書くしかできない

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発達障害児には、真実をハッキリストレートに伝える。

 今日は長いです。

 息子の「しつこい絡み」が無くなった、あっても一日で終わるようになった、という事を昨日来書いています。その要因としては、息子本人が成長した、という事と、私の息子への対応を変えた事が挙げられる、とも書きました。その対応の変化については、過去記事に詳細を書いているので、見て頂く事はできると思います。

 今日、書こうと思っているのは、「そもそも、何故、息子は、私に対して、しつこい絡みをしてきていたのか」という事です。

 もちろん、本質的な理由は、それが息子の障害特性である、という事ですが。でも、障害特性であっても、息子自身の成長と、療育や子育てでの取り組みで、改善された事は多いのです。

 なぜ、「しつこい絡み」だけは改善されずに、つい最近まで残っていたのか。未だ改善されていない障害特性は他にもありますが、それは、改善されずに生きていても別段大きく困る事ではないものばかり。でも「しつこい絡み」は、私をとことん疲弊させ、息子自身の時間も無駄にし、人に絡めば絡むほど息子自身も精神的に過敏になっていき、よくない事ばかりなので、一日も早く改善したかったのです。にも関わらず、何故、なかなかそれができなかったのか。今日はその理由について、私なりに整理した事を書きたいと思います。

 何故、彼の「しつこい絡み」が起こるのか、ですが。彼は頭の中で自分で作った理想のパターンが、現実化しない事に、耐えられない、という障害特性を持っているからです。こういう自閉的な特性は、発達障害者なら、多かれ少なかれ誰しもが持っています。

 彼の頭の中で作り上げた「物事はこうある」というものが、現実と一致しない時(大抵、一致しません)、彼は、誰かにそれをしつこく言って、一致させようとするのです。

 たとえば、発達障害児の子供によくあるパターンですが、息子は小さい頃、「母親は、自分だけを見ている。母親は自分以外の人間とは喋らない。関わらない」と、勝手に頭の中で決めていました。子供は、母親を独占したいという欲望を持っているので、つまりこれは、彼自身の欲望を100%満たす状況なわけです。なので、息子と一緒の時に、私が別の誰かと喋ろうとすると、しつこく邪魔してきました。大声をあげたり、私に話しかけたり、質問したり、何かしてくれと頼んだり、私の手を引っ張って他所へ連れて行こうとしたりして、とにかく邪魔します。私が「ちょっと待ってね。お話しが終わるまでちょっとだけ待ってね」と言っても、聞きません。私が、他の誰かと喋るのを止めるまで、しつこく邪魔し続けます。私が相当強く叱っても、怒っても、息子は邪魔する事を止めません。息子に必ずしつこく邪魔され続けるので、私は、息子と一緒にいる時は、他の誰とも話せませんでした。息子の「母親を独占する」という頭で考えた状況が、現実化していたのです。

 息子は、しつこく邪魔する事で、自分の頭で考えた状況を、現実化できる、と思い込んでいます。だから、どれだけ強く叱られようとも、理屈で「それはいけないよ。お母さんにも都合があるのだから。邪魔するのは止めなさい」と言い聞かされても、聞く耳を持ちません。発達障害児にとっては、自分の自閉した頭の中で考えた世界だけが、正しいからです。自分が考えた世界に、現実を合わせる為に、「しつこく誰かに絡んで、現実を是正させる」という行為をするのです。

 これが、発達障害児と、健常児の、大きな違いだと私は感じます。

 健常児は、周囲の状況に自分を合わせる事が可能です。でも、発達障害児は、「周囲の状況」というものの存在が、そもそも分かっていません。極端な言い方をすれば、発達障害児がしっかり把握できる世界には、自分しか存在していないのです。自分が考える状況に、自分が存在できないと、「おかしい」という事になり、なんとかして正しい状況に戻さねば、となり、誰かにしつこく絡んで状況を是正させようとするのです。

 私は、つい最近まで、息子のこの障害特性に対し、「刺激しない」という事を基本に対応してきました。つまり、出来る限り、息子の望む状況に環境を整えていたのです。上の例で言えば、息子と一緒の時は、他の誰とも喋りませんでした。喋ると息子が反応するので、反応させない為には、喋らない、という方法しかなかったからです。

 そうやって、「刺激しない」対応をとっている限り、息子は、私にしつこく絡んでくる事はありません。でも、私の力が及ばない外の世界で(例えば学校で)、息子の考える世界と違う状況が起こってしまうと、息子はやっぱり私にしつこく絡んで、それを自分の考える世界に是正させようとしました。私にできる限りは手を尽くしましたが、出来ない部分においては、息子が我慢するしかなく、息子はそれが我慢できないので、いつまでも私にしつこく絡んで、外の世界を自分の考える状況に合わせるように、言い続けるのを止めないわけです。

 便宜上、「息子は我慢できない」と書きましたが、実際はちょっと違うのですね。本人も「我慢しなくてはいけない」と分かっているのですが、どうしても、耐えられないのです。なので、この部分は、ただの我儘と言ってしまうのはちょっと違う気がします。やはり、「周囲に合わせる事ができない」というのが、彼の障害特性なのです。絶対にできないわけではないのですが、「周囲合わせる事」によるストレスが巨大で、耐えきれないようです。無理やりそのストレスに耐えると、強迫性障害のような、二次的な精神障害が発生します。

 なので。私は、ずっと、息子のしつこい絡みに耐えるのが、親である私の仕事だと思って、受け止め続けて来ました。でも、私が受け止め続ければ続けるほど、彼の絡みはエスカレートしていき、時間が延びていきました。2時間が3時間、4時間、5時間、6時間。そして、毎日それが続くようになりました。そしてまた、息子はしつこく絡む行為を、私だけではなく、私の身内にまでするようになっていきました。

 そこで、私は病院に相談し、息子への対応が間違っていた事に気づき、対応を一変しました(経緯については、よければ過去記事ご参照ください)。あれから半年程たちますが、息子の「しつこい絡み」が、確実に減ってきている事を実感しています。

 息子の「しつこい絡み」が一段落した今、「そもそも、何故、あのしつこい絡みが起こったのか」について、まとめておきたいと思うのです。以前にも少し書いたのですが、あの時は、「対応を変えて、本当に息子は改善するのだろうか」と半信半疑な状態でした。でも、今は、確信に近いものを感じています。

 発達障害児が、誰かに対して「しつこい絡み」をする時、それは、「自分の考えた状況に合うよう、周囲の状況を変えさせる為」であり、状況が自分の希望通りになるまで、しつこく絡み続ける事を止めません。

 であるならば。

 「自分の希望A」と、「自分の希望B」を、対立させるしかないのです。例えば「僕の思い通りにやりたい」というのが希望Aだとして、「お母さんに好かれたい」が希望Bだとする。これを、同時に実現する事は、不可能である事を、本人に認識させるのです。

 先日も、息子は私にしつこく絡みながら、「お母さん、僕の事、好き?」と聞いてきました。以前の私なら、「どんな状況の息子であっても、受容してやりたい」という気持ちが強かったので「好きだよ」と答えていました。本当は、そんな状態の息子は好きではなかったのに、好きではない、と告げて息子を傷つけるのが嫌だったのです。でも先日は、「好きではない」と言いました。息子に「好きではない」と告げる事は、とても勇気がいりました。怖かったです。「好きだよ」と言っている限り、私は良い人間でいられました。でも、「好きではない」と告げた瞬間に、私は悪魔になったような気がしました。その後も、息子はしつこく同様の質問をし続けて来ましたが、私は一環して、「こういう状態のあなたは好きではない」と言い続けました。

 息子の頭の中の「希望A」と「希望B」が、相反する事を、息子は認識しないわけにはいかなかった。息子の希望A「お母さんにしつこく絡みたい」、希望B「お母さんに好かれたい」。

 Aが現実化する限り、Bは現実化しない。Bを現実化しようとすれば、Aは諦めざるを得ない。

 どちらにしても、息子自身が自分で選択するしかないのです。そして、息子は、Bを選択したのだと思います。だから、しつこい絡みは2時間で終わり、それっきりで続かなかったのです。

 つまり、こういう事です。

 発達障害児が、自分の希望を押し通そうとして、頑固に我儘(に見える事)を言い続ける時。彼(彼女)の希望は、一つではないはずなので、希望の全てを言わせてみて、全てが同時に現実化する事はない、という事実を、本人に自覚させる事が、有効だと私は思うのです。

 希望Aが現実化したら、希望Bは成り立たない。希望Cがなりたつ時、希望Dは現実化しない。そういう事を、一つひとつ、具体的に、本人に分からせる。

 発達障害児は、少なからず自閉しているので、そういう、客観的な思考ができません。だから、そこは親が助けてあげる。

 発達障害児が、頭の中で、個々に独立して考えている状況の、AとBとCとDは、独立して考えている間は、何の問題もないわけですが、同時に並列で並べてみれば、同時に立ち並ぶ事は不可能だ、という事が、分かります。

 他者から与えられるストレスに、発達障害児は弱いです。そのストレスに耐えるのは、相当な容量を要するので、すぐに容量一杯一杯になってしまい、精神的に病んでしまいます。

 ですが、自分の頭の中に存在するモノどうしの取捨選択行為は、息子を見る限り、それほど大きいストレスを感じないようです。いずれにしても、親が「Aを選びなさい、Cを選びなさい」と指示するのではなく、本人に選ばせる事が絶対だと思います。

 希望Aと希望Bが同時には成り立たない、という、この部分さえ納得できれば、どちらを選ぶのか、という行為は、さほど時間もかからず、しんどい思いもしないようです。

 なので。発達障害児に対しては、彼(彼女)の頭の中の希望を全て聞きだし、一覧にして書き出してみるのがいいのではないでしょうか。そして、矛盾する部分、同時には成り立たない部分を指摘し、子供に取捨選択をさせたらいいと思います。その時、子供に対する「情け」は、禁物です。子供を傷つけたくないから、と、現実を歪めて伝えるのは駄目です。事実をそのまま伝えます。

 私が、息子に、「このままのあなたは好きではない」と、キッパリ伝えたように。

 冷たいようですが、そこまでハッキリ言わないと、息子には分からないのです。

 「好きではない」と言われて初めて、息子は、「しつこく絡んだら、お母さんから嫌われる」という事実に気づいたのだと思います。嘘のような話ですが、多分、そうだと思います。

 今まで私は、息子にどんなに困らされても、息子のその行為は注意しても、息子自身を嫌いにはならない、と、息子に伝えてきたからです。息子は、その私の言葉を、文字通りに受け取って、「僕がどんな事をしても、お母さんから嫌われる事はないんだ。だから、僕は、しつこくお母さんに絡んでもいいんだ」と、思っていたのだと思います。

  健常児に対する子育てなら、「行為だけを叱る(つまり、子供の人格自体を否定しない)」というのが、正統です。

 でも、発達障害児に、この正統な子育てをやってしまうと、失敗なのだと、私は改めて分かったのです。

 発達障害児に、「行為だけを叱り、子供自体は否定しない」という育て方は、理解してもらえません。こういう微妙なことは、発達障害児のマインドには、通用しないのです。彼等には、「好きか嫌いか」の二択したありません。「どんな事をしても、お母さんは、僕の事を好き、と言ってくれている。なら、どんな事をしてもいいんだ」と、彼等は考えるのです。

 だから、発達障害児に対しては、(気を使って)現実を優しい方向に歪めず、真実をそのままハッキリストレートに伝えるしかない、と私は思います。

 もちろん、これが通用するのは、ある程度、自我が出来上がった、また言葉の理解が進んだ年齢の発達障害児、という事になります。息子でいえば、小学校4年生ぐらいから、でしょうか。何歳からになるのか、というのは、発達障害児個々で、異なると思います。遅すぎても、早すぎてもいけない。子供の発達具合を丁寧に観察するしかないですし、時期についてのアドバイスは、なかなか他人からはもらえないと思います。

 同時に思う事は。

 真実をハッキリストレートに子供に伝える以上、親も、いい加減なごまかしは、言っていられなくなります。親が、自分に都合良く子供を扱う目的で、子供に辛い現実を伝えるような事をしていたら、子供は親を信用しなくなります。親の口から厳しい辛い言葉を言われた時、おそらく、子供の中で、「親の言葉を受け取るか、無視するか」の葛藤が起こるはずです。子供が親を信頼していなければ、親の厳しい辛い言葉は無視する、という選択をとるでしょう。そのほうが、ラクだからです。

 だから、子供に厳しい真実を伝える時の前提として、親は、子供から信頼されていなければいけません。親が、自分に都合の悪い事は子供に伏せておいたり、いい加減だったりすれば、子供に無視されるならまだいいほうで、親子の断絶が起こる危険もあります。

 そういう困難さもふまえた上で、それでも、「真実をストレートに伝える」子育てが、発達障害児には適している、と、今頃で遅いかもしれないのですが、私は気づき始めています。これは、どこの病院や療育でも教えてもらえなかったし、本にも書いてありませんでした。でも、私の経験からすれば、正しい気がしています。

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