書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

他人への怒りや批判を軽減させる方法

 いつも拝読している、発達障害関連のブログに、またしても興味深い記事が載っていました。スカイさんのこのブログは、いつもとても参考になります。今日も、いつもながら、勝手に引用させて頂きます。

 タイトルは「他人への怒り、激昂するほどの批判・敵視を軽減させた従妹の話」。ブログ記事はこちら↓

スカイのブログ

 内容をかいつまんで引用すると、

今は2児の母となり、そこそこ対人関係も上手になっている、発達障害の従妹さんがおられる。彼女は、特に幼稚園、小学校時代は波乱いっぱいだった。常に誰かといがみ合っているか、集団で逆襲されていじめに合い、学校に行けなくなっているか、の繰り返し。 

 発達の遅れ、自閉的な「物の見方の偏り」が原因だった。しかし彼女は子供時代から、療育は受けていなかった。その頃はまだ療育が受けられるような場所がなかったからだ。当時は、公的サポートがほぼ皆無の状態だった。 

 彼女が変われたのは、中学、高校の頃、親から繰り返し言われる言葉が、浸み込んだせいだ。その言葉とは、 

「相手ができないことと、あなたができなかったこと、それを同じとみなして、帳消しにしなさい。」

「内容は違っても、同級生や先生や他人ができないことは、自分もどうやってもできないことと同じ。できない同士。自分はできない、相手にはできるように批判して求める、は理不尽だからね。」

 「人はできないことが当たり前、間違って当たり前。それがわかるまで、自分の弱点、できないこと、批判されがちなことと、相手に言いたい批判とを一つと一つ、セットにして消していこう。」

  たとえば家で、弟が洗面台を使った後に歯磨き粉のキャップを締めず、ばらばらにしていると、彼女は『お前ちゃんと絞めろよ!』と激高していた。でもその時、『何度言われても自分はトイレや部屋の電気を、使っていない時は消す、ということができない。』という風に、セットで考えるようにして、相手への激高を自分への恥、見たくない部分とセットにして、気分を萎えさせる・・・というようなやり方をやってみた。ら、なんだか、肩から重荷が取れた、という境地になったそう。

 「他人と自分の弱点を同時に見ていく」という方向に視点が変わったため、意識が他人からそれて、他人と自分の両方の世界を意識し始めたため、ほんの少し、自閉の輪っか、偏りの輪や虹色部分がズレて、違う意識・思考の癖を通じてまた違った経験や体験をしはじめたのかもしれない。

  それが思春期の中学、高校の時期に重なったことで、より自分観察にのめりこんで、他人の不完全さと自分の不完全さを受け入れることができるようになった、という感じのようだ。

  従妹には、この時期が「はじめて自分が、現実社会で生きている実感が得られた時期」と言う。たぶん、考えて行動したことが、外の世界で有効であった、外の世界とうまくつながることができた、そういう初体験の時期だったのだろう。

  考え方のシフト、というのは自閉の子でもできる、と経験上思う。ただ、そのできる、というのも「極端な一点集中」的であるため、のめりこむような感じでのシフトになる。従妹は他人と自分の「できない・不完全さ」を同等につり合いを持たせる、独特の試みにのめりこんだ。結果、人を許せるようになり、自分の不完全さをそんなものなんだ、と受け入れるようになり、穏やかになった、ということだ」

(引用終わります)

 スカイさんが書かれているように、「他人と自分の弱点を同時に見ていく」という方法は、発達障害者だけでなく、健常者にとっても、怒りを鎮める有効な視点だと思われます。

 私の息子は、同じ発達障害でも、他人を批判的に見ない、人を一切ジャッジしない、という特性を持っています。一方で、この従妹さんのように、常に周囲を批判的に見ずにはいられない、という特性をもった子もいる。一言で発達障害と言っても、本当に一人一人個性があり、同じ特性を持つ人はいない事を、改めて感じます。

 なので、この記事は、息子にはあまり参考にはならなかったのですが、私自身が人をジャッジする悪癖持ちなので、むしろ私自身に、とても参考になりました。

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 ちなみに、逆に、他人から不要な攻撃を受けない方法、については、過去記事に書きましたので、ご参考までに下に貼っておきます。一言で言えば、①日頃から態度をハッキリさせる人間として振る舞う、②危ない人間には近づかない、③何を言われてもされても一切反応反論せず、瞬殺で逃げる。これに限るようです。

 

oinor-i.hatenablog.com