書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

いちからの子育て記録3・激しいこだわりと自閉行動

 今日は発達障害特有の「こだわり」について書きます。

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 発達障害の世界で言う「こだわり」は、一般的な「こだわり」とは、少し意味が違います。普通「こだわり」というと、匠がこだわって作った作品、というように、良い意味で使われる事が多いですが、発達障害児の「こだわり」は、そういう意味ではありません。
 どうしても、「それ」をしないといけない気持ちになる、様々な事象において、自分だけの、そういう「強迫観念」を持つ事を、発達障害の「こだわり」と言います。
 彼等の「こだわり」には、一切合理的理由はありません。なので、普通の人から見ると、単なる子供の「我が儘」に見えます。いや、我儘にすら見えないかもしれません。なぜならそこには、合理的理由は全くないからです。しかし、彼等は、他のもので妥協する、という事ができません。ここで、子供の「こだわり」を治そうと、大人が叱ったり矯正しようとすると、子供の「こだわり(強迫観念)」はより刺激され、強固なものになっていきます。
 具体的に、幼児期の息子の「こだわり」に、どんなものがあったか、書いてみます。
〇どこかに出かける時の道順は、常にいつも、同じ所を通る。例えば、道の右側なら、右側。曲がる位置も、同じ個所でないとならない。工事等で、そこが通れない場合は、パニックになる。
〇電車の乗る時は、いつも同じ車両の、同じ位置に座る。その席に誰かが座っているとパニックになる。時計が読めるようになってからは、乗る電車も、毎回全く同じ時刻のものに乗らないといけなくなった。早めに駅につけば、その電車が来るまで何本もやり過ごす。逆に遅くなって乗れなくなった場合は、パニックを起こす。
〇朝起きて、電気のスイッチを押すのは、自分である、と決めていて、誰かが先に電気をつけてしまっていると、パニックを起こす。
〇テレビから流れる歌に、たまたま誰かがハミングすると、怒り出す(テレビの歌を、歌っていいのはテレビの中の人だけで、テレビのこっち側の人が歌ってはいけない、というこだわりが彼にはあったので)。
〇玩具の遊び方を、誰かが教えようとすると激怒する。玩具の遊び方は、全て自己流で、自分で決めた方法で遊ぶ(たいていうまく遊べないので、それはそれで癇癪を起すが)。
〇家族としか手を繋がないし抱かれない。他の人間が手を繋いだり抱こうとすると激しく泣きわめく。
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まだまだ沢山ありますが、省略します。これだけ読むと、だたの「我が儘」に見えると思いますが、これは全て、我が儘ではなく「こだわり」です。
 「こだわり」があると、生活するのが大変です。なので、息子のこだわりは、なんとかして、無くしていきたい。色々な本を読み、勉強会に出て、専門家の教えも請い、分かった事は、驚くべき事に分かったのは「発達障害児のこだわりを、なくす方法は、無い」という事でした。専門家ですら、基本的な対処方法を持たない。彼等は、子供の検査をし、どのレベルの障害なのかを類推する事はできるけれど、日常生活を正常に送る為の、具体的な対処方法を、示唆してはくれないのです。
 専門家の方々が、口をそろえて仰るのは、「その場その場で、丁寧に対応しましょう」というお題目だけなのです。そんなものは、子育ての現場では、何の役にもたたないのです。

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 私が具体的にやった事は、何よりもまず、叱らない事、止めさせない事、できるだけ日常生活を、息子のこだわりに合わせて暮らさせる事、です。例えば、特定の電車にしか乗らないのであれば、その電車に「絶対に」乗れるように、最善の努力をしました。それでも、乗れない時があります。そういう時の息子は、大パニックを起こし、駅のホームで大の字になって、地べたにひっくりかえって、泣きわめき、延々泣き止まないのです。
 私も精いっぱいあやすわけですが、そんなもの、息子の耳には入りませんから。見ていて、異様です。駅員さんもやってきます。どんな虐待が行われているのかと、見物人が丸く輪をかいて覗き込みます。その輪の中で、私は、泣きわめく息子の横で、ひたすら耐えるしかないんですね。それが30分も1時間も続きます。
 駅員が去り、見物人が去っても、息子は延々泣き続けます。体力が尽きるまで、泣き続けます。それが、発達障害児の「泣き」ですから。
 彼等は、全く合理性のない自分の「こだわり」に対し、何がなんでもそうしなければいけない、しなければ死んでしまう、と感じています。強迫観念です。だから、それが通らなかった時、頭が暗転してパニックを起こすわけです。そして大泣きです。
 健常児が我が儘から大泣きすると、親は、泣く子供を無視したり、場合によっては言い聞かせたりして、しつけていくわけですが、その方法は、発達障害児には通じません。発達障害児は、体力が尽きるまで、泣き続けます。親は、それに寄り添うしかありません。他に、何もできません。ただ、親を責めるように、甲高い大声で繰り返し泣き叫ぶ子供の横で、ただ、寄り添うだけです。
 通りすがりの人が、色んな事を言います。
「ちょっと抱いてやればいいのに」
「お腹がすいてるんじゃないの。喉が渇いているんじゃないの」
「体の具合が悪いんじゃないの。熱があるんじゃないの」
「泣き声が他の人の迷惑になるので、止めてもらえますか」
「危ない!こんなに泣いて反り返ってるのに、よく親のあなたは平気で見てられますね」
「子供がかわいそうだわ」
そういう一言ひとことに、私の中に大事に持っていたキラキラした「自尊心」のようなものが、一つづつ剥がされ、粉々に散っていきました。それでも、パニックを起こして泣きわめく息子の側から、離れる事はできないのです。親である私は、ただ、見守るしかないのです。
 そして、息子を見捨てる事なく、叱りつける事なく、ただ息子のこだわりに応え続け、パニックを見守り続けた日々の先に、ある日、息子のこだわりの多くが、消える時が来ました。ある日、ふと気づいたら、息子は、普通の子供のように、普通の日々を送れるように、なっていたのです。普通の日々。それは、不遜な言い方を許して頂ければ、私が私の自尊心と引き換えに、手に入れたものです。(普通、という言葉を、私は、「苦しまずに生きれる状態」というような意味で使っています。標準的、という意味ではありません)

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 発達障害児が「こだわり」を持つ理由は、私には分かりませんが、無理に考えるなら、2つあると思っています。

 1つには、五感が異常に過敏だ、という事です。ほんの小さな音が大音響に聞こえてしまったり、少し味が濃いかなという程度が激辛に感じられたり、肌に少し刺激があるかなという素材の服がヤスリのように感じられたり、と、そういう過敏さは、発達障害児には生まれつきあります。何にどの程度過敏なのか、は、発達障害児一人ひとりによって違います。この五感の過敏さが、独特の「こだわり」に結びつく、という事はありえると思います。

 2つめは、自閉的傾向です。自閉症までいかなくとも、発達障害児は多かれ少なかれ自閉的傾向を持っています。他者に興味を持たず、自分の中だけで自分の理想の世界を作り完結してしまう、という傾向です。この「自分の中の完結した理想世界」が、現実と食い違う時、幼い発達障害児は、パニックを起こすのだと思います。「自分の中の完結した理想世界」こそが絶対的に正しく、現実のほうがおかしい、と感じるが故に、泣きわめき癇癪をおこし、なんとかして現実を変えようと試みるのだと思います。これを一言で「我儘」だと決めつけてしまうのは、危険です。何故なら、「自分の中の完結した理想世界」が絶対的に正しいと感じるのは、発達障害児が我儘なのではなく、発達障害児の脳機能が、生まれつきそういう風にできているからです。

 例えば、生まれつき赤を青だと感じる色覚異常の方がおられますが、その方に、赤は青ではなく赤なのだ、と、無理やり教え込んでも、その方には青にしか見えないわけです。生まれつき脳機能がそうなっているからです。躾で矯正できることではないです。それと同じ事が、発達障害児の脳機能の不具合にも、言えるのではないかと私は思います。

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 では、どうしたらいいのか。

 私が思うのは、発達障害児は、この世界の次元に合わせるべく、自力でチューンナップしていく能力を持っているのではないかという事です。親が環境を整えて見守り続けていれば、彼等自身の力でチューンナップを行っていくのではないか、と。勿論、完璧にこの世界とぴったり合う、という所まではいかなくとも、成長するにしたがって彼等の五感なり、能力なり、反応なり、それら総合したものが、うまくこの世界に適応して、生きていく事ができるようになるのではないか、と思うのです。
 このチューンナップ期間が、どのぐらいかかるのか、それは、発達障害児一人ひとりで違うのだと思います。大事な事は、下手に叱りつけない事、だと思います。叱ってしまうと、その刺激で、「こだわり」が余計に固定してしまうからです。先にも書きましたように、こだわりは我が儘から来ているのではないので、叱っても治る事はないからです。叱って治ったように見えたとしたら、それは、治ったのではなく、子供が恐怖感から、全ての活動を一旦中断しただけの事です。またいずれ復活してしまいますし、子供とて、自尊心はあり、理不尽に叱られ続けると、(我が儘からではないのに、自分ではどうしようもない事で叱られるわけなので、子供としては、理不尽に叱られた、と感じます)、「二次障害」が残る事があります。二次障害が起こると、「こだわり」が定着してしまうだけでなく、情緒的に問題を抱える事になります。
 
 発達障害児は、気持ちの切り替えが難しい子が多いので、「気持ちを切り替えてやる」「気持ちをよそにそらしてやる」事は、息子が「こだわり」に落ち込むのを避ける助けになりました。
 子供を叱らない、というのは、決して「放置する」という意味ではなく、叱らずに、子供の気持ちを楽にしてやる方法を模索する、という事です。コレがダメなら、アレ。アレがダメなら、ソレ。と、次から次へと手を打つことで、何かがヒットする。私は息子が好きな玩具や道具を、常に持ち歩いたり、簡単なゲームを仕立てたりして、息子が何かのこだわりに突入するのを、未然に防ぐよう気を付けていました。一旦こだわりに突入し、パニックに至ってしまうともう手がつけられないので、そうなる前に、手を打つ。工夫する。こだわりに引っかからないように細心の注意をはかる。
 子供に合わせるなんて、どんだけ過保護ママなのか、と思われるでしょうか。でも、こうやって対処した事で、息子には今、「こだわり」は残っていませんし、日常生活で困る事はなくなりました。二次障害も出ていないし、精神的にはむしろ健常者よりも落ち着いているように感じます。無闇に叱らない、押し付けない、という事は、発達障害児の育児で、最も大切な事ではないかと感じます。勿論、それは、親にとって、もっとも難しく苦しい事でもありますが、頑張っただけの成果は必ず出ると思います。

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