書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

自己正当化と説明責任

 自己正当化と説明責任。私はいつも、この2つの間で混乱する。

 本人は説明責任を果たしているつもりでも、受け取る側は「自己正当化だ自己弁護だ言い訳だ詭弁だ」と受け取る場合が多い気がするし、逆に、そうなる事を予想して、何も言わずにいると「説明責任を果たしていない」と言われたりする。

 一方、今回の新潮と文春の問題のように、明らかに文春側が分が悪い場合(と私は感じているが違う感想を持つ方も当然おられるでしょう。ここは便宜上、文春に非があるという前提で書きます)、文春側が肝心な部分(中吊り広告をコピーした件)について何も言わない事は、明らかに「説明責任を果たしていない」と言われても仕方ないと思う。文春側としては、中吊り広告をコピーした件については、「私が悪かった間違っていた」と言えないのなら(というか、言う気がないのなら)、あとはどういう文言を並べようと自己正当化以外の何ものでもなくなるのがよく分かっているから、あえて触れられないのだと思う。

 結局のところ、どちらに非があるのか、客観的に見て明らかな場合には、自己正当化と説明責任の違いが、私にもハッキリと分かるのだ。

 詰問された側に非がある場合、詰問された側には説明責任があり、謝らないのであれば、その文言は自己正当化になる。一方、詰問された側に非がない場合、詰問された側の説明は、自己弁護や言い訳ではなく、純粋に説明責任を果たしたというだけの事になる。

 分かりやすい。

 でも、世の中のほとんどの事は、どちらに非があるのか、分からない事が多い。どちらが客観的な正解かどうか、よく分からない事が多い。どちらの考えが正解だったのかは、人が死ぬ時になって初めて分かる、というような事が世の中には多い。と私は思っている。だから、やはり、いつも、自己正当化と説明責任の間で、私はうろうろ迷ってしまう。