書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

言わない、という選択

前回、基本的に私は、人の中では自分のオリジナルな意見は出さない、と書いた。それは、批判されるのが分かっているから、という理由以外にも色々ある。

一番大きな理由は、私のその意見というのが、その場にいる人を否定したり批判したりする内容だった時、それを言わないほうがよいと思うから。相手を批判したら、自分も批判されるから嫌、というのではなく、そもそもわざわざ相手を批判しに行きたくないのだ。私は誰かを批判する事に、あまり意味を感じない。

誰かを批判する事を、正直さの証、みたいに捉える風潮には疑問があって、相手の考え方が自分とは合わない場合、「合わない」という事実を相手に伝える事を、正直な行為だとは私は思わない。その行為は、正直さとは関係ないと思う。

正直である、という事と、自分の考えをずけずけ相手に伝える、という事は、全く違う事だと私は思う。自分の本音を伝える事で、誰かを傷つけるなら、本音を伝える事は害にしかならないと私は思っている。

 その場にいる誰かの考えが、私の考えと違う時、私は「何も言わない」という選択を取っている。だから、その場にいる人数が多くなればなるほど、伝えられるオリジナルな意見は、少なくなっていく。だから参加人数が増えれば増えるほど、会話の内容が薄まるというか、一般論に寄っていく。

誰かと一対一で会話する時は、気にしなくてはいけないのは目の前の相手だけになるので、言える事が増える。けっこうオリジナルに近い考えを言える事もある。そういう意味では、面白い話をしようと思えば、さしで会話するに限るわけだけれど、ある程度多人数でざっくり話す時のうわっすべりな熱というのも、捨てたものではないと思ったりもする。