私は以前から疑問に思う事があります。
「人を悪く思わない」という事です。
これは正しい事ですが、人を悪く思いたくないが為に、面倒な人から目を逸らしたり、面倒な事からさり気なく逃げたりする場合を、どう考えたらいいのか?ということ。
例えば。
誰かが困っている。でも助けてあげると自分が面倒事に巻き込まれる。面倒事に巻き込まれると、悪意があったり怠惰だったりする関係者と関わらねばならなくなる。そうすると、そういう人達を悪く思いたくなる。どうしたってそうなる。相手に言っていかなくても、心の中では批判的に感じてしまう。
一方で。
誰かが面倒事に巻き込まれていても、素知らぬ振りで逃げてしまえば、自分が巻き込まれる事はない。従って、悪意ある怠惰な人達と無関係でいられ、結果として誰をも悪く思わずに済む。
正しい在り方は、前者なのか後者なのか。
いつも分からなくなるんですよね〜。今のところ答えは見つかっていません。私は今までは割と前者で生きてきたんですけど、これが正しかったのかどうか…不明です。
別に、心の中で人を悪く思うくらいはいいじゃないか、直接相手に批判をぶつけるわけじゃないならいいじゃないか、というご意見もあると思います。私自身、誰かに面と向かって批判的意見をぶつける、という事は、まずやりません。これは、恨みに思われたくない、生き霊を飛ばされたくないからです。私自身が生き霊を飛ばしてしまう人間なので、よくわかる。
でも、心の中で誰かを批判する、というのも、本当はやりたくないんですよね。理由は、まずは誰かに生き霊を飛ばしてしまうと、相手を傷つけた後、ブーメランとなって私に戻ってくるからです。誰かに対し強く否定的な思いを抱くと、私はいつも不運に襲われたり具合が悪くなったりします。
もう1つの理由、神仏は人間を批判しないから、です。神仏は人間を助けたり勇気づけたり慰めたりはして下さいますが、批判したり罰したりはしない。なので、神仏ですらしない事を私ごときがやってはいけない、と思うのと、心の中の状態をできるだけ神仏に近づけたいという思いがあって、心の中であっても、人を悪く思いたくないんです。
これについて詳しく書いた記事はこちら。
面倒事を避けていれば、面倒な人と関わらずに済む、誰をも批判せずに済む、わけで。そのほうがいいのかな、と思う時があります。
でもそれも違う気が。
例えば、ミスは、するよりしないほうがいいですよね。ミスしないほうが人に迷惑をかけません。でも、チャレンジを沢山している人は、していない人よりミスの数が多くなります。極端な話、じっとしていて何もしなければ、ノーミスです。ノーミスだからそのほうがいいのか、と言えばそうでもない。色々チャレンジしたほうがいいとなんとなく思う。たとえミスが増えて、それゆえに人に迷惑をかける事態になっても。
色々チャレンジして、それでも一切全く1ミリもミスをしない、というのが正解なのだと思いますが、私はそんなに完璧な存在じゃないから。まあ無理です。
ああ、完璧な人間になりたいなあ。
一切ミスしない人間。面倒事に巻き込まれても誰も悪く思わない人間。仙人みたいな神様みたいな。そんな人間になりたいですわ。
住吉大社の素敵な手水舎。いつ行っても幸せな気持ちになる場所です。大阪市内なのに、不思議といつも涼しい風が吹いています。