書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

犬の安産の秘密と人生の充実

 今年の夏は、猛暑になるそうな。というようなニュースが流れると、すぐに「長い夏休み、どうやって子供達を遊ばせよう。。。外遊びさせてやりたいけど、猛暑だと難しい、、」と心配気に仰る方がおられて、ほんの少しだけ違和感。

 こういう方向の事を書くと、意地悪目線と言われそうで怖いが(実際、意地悪目線なのかもしれないし)、一応、思いついたので書いてしまう。

 私は、今年の夏は猛暑、、と聞いたら、ああそうなのか、と思うだけなのだ。私もけっこう子供と遊ぶほうだが、今年の夏暑過ぎるの?困る!どうしよう!と思った事がない。小学生の頃を思い出すと、暑すぎた夏は、午前中に市民プールに行く事をルーティンにしていた。

 何かというと、先のネガティブな事を引き合いに出して、今の心地良さに水を差す事を、私はもったいないと思ってしまう。

 例えば、息子が小さい頃、本当に愛らしかったのだが(育てにくかったが、愛らしさにかけては天下一品だった)、「可愛いのは今だけよ。中学生にでもなったら、それこそ親と口もきいてくれなくなるわよ。今から覚悟しておきなさい」と義母によく言われた。私は、どうしてわざわざ、そんな先のネガティブな事を、今言うんだろう、と不思議だった。それに実際のところ、中学生になっても高校生になっても息子は依然として、私とよく話している。義母のネガティブ予想は外れた。

 義母は旅行に行っても、「ああ、こんなに楽しくても、来週には帰るのね。帰ったらまた、変わりばえのしない毎日が続くだけだわ。楽しいのは今だけよ」と初日から言うのだ。義母には、未来の不幸を先取りする自分を、知恵者のように思っている気配があった。他の人間は愚かだから、何も考えずに浮かれているけれど、私は賢いから先々を読むのよ、というような。

 私は、未来の不幸を先取りして今の心地良さに水を差すような事は、あまり好きではない。未来の不幸を先読みして、何か具体的な対策でも打つのならよいが、そうでないなら、何の意味もないと思う。

 過去の失敗をいつまでもぐちぐち言っている人もいて、あれも正直不思議でならない。失敗はキッチリ反省して、改善したら、それで終了。もう2度と思い出さないぐらいでいいんじゃないかと思う。

 ただ、未来に明らかに不幸が待っていると分かっているのに、何も手を打たなければ確実に不幸になるし、過去の失敗を一切反省せず改善もしなければ、繰り返し同じ失敗をすることになる。そういうのは、「今を集中して生きている」というのではなく、未来にしろ過去にしろ、自分に都合の悪いことは全部見ないフリをしているだけの事だ。今さえよければそれでいい、という刹那的な生き方を、「今を生きる」と格好よく言うのは違うと思う。

 黒川伊保子さんの著書に、母胎に対する胎児の大きさは、犬も人間も変わらないのに、何故犬は安産なのかその理由が書いてあった。犬は過去や未来を考えない、今しか考えないからだそうだ。陣痛にはインターバルがあって、確かに陣痛時は想像を絶する痛みだが、それが延々続く事はなく、陣痛と陣痛の間には一定の間隔がある。その間は、全く痛くも痒くもない。最初は20分くらい、陣痛が進むと数分に縮まるそのインターバルの間に、いかにリラックスして休めるかが、安産と難産を分ける(勿論、難産の原因はこれだけではないが)。インターバル時間にリラックスする事は、胎児に十分な酸素を送りこみ、母胎自身の体力を取り戻す事に繋がる。しかし人間は、一つ前の陣痛の痛さを引きずり、また、次の陣痛の痛さを予見して怖れる為に、どうしてもこのインターバルをリラックスしきれない。一方、今しか考えない犬は、このインターバルに十分にリラックスできる為、胎児も母胎も弱る事なく力強く陣痛を進める事ができ、結果、安産になる、という事らしい。

 人間が犬になる事はできないけれど、気持ちの重心を「今」に置くと、「今」の精度が上がるのは間違いない。

 とはいえ、私は、こういう風に考えるのも好きだ。

 「いつか死ぬのだ。こうやって空を仰ぎ見る事も、この道を歩く事も、いつかできなくなるのだ。今、空を見るのを楽しもう、今、この道を歩く事を楽しもう。いつかできなくなるのだから」と。

 死ぬ、という究極のネガティブ事項を先取りして、今を捉えなおしているのだけれど、わりと思い出すたびにこれを自分に言い聞かせている。何をしている時でも、ふと思い出したら呟いている。「いつか死ぬのだ、こうやって掃除機をかける事もいつかできなくなる。今、掃除機をかける事を楽しもう」などなど、、。

 そうすると、今が充実する。早い話、気分が上がる。退屈なことをしていても、退屈じゃなくなる。先に書いた「未来のネガの先取り」をしているわけで、何か言ってる事が矛盾しているようだが、私の中では矛盾していない。

 この先にネガティブな事があるからこそ、今が素晴らしく見える。そういう風に心を持って行くようにしている。

 今年の夏は猛暑なのだと聞いたら、涼しい6月がより素晴らしく見える。梅雨ですらその瑞々しさを楽しめる(夏どうしよう?と悩むのではなく)。

 成長したら親から離れてしまうと聞いたら、手のかかる今が愛しく思える。癇癪さえ可愛らしく見える(将来さみしくなるのだな、と落ち込むのではなく)。

 いつか死ぬのだと思えば、生きている今が充実する。楽しみたいと思える(死んだらどうなるのだろう?死ぬ時苦しいのだろうか、等と怖がるのではなく。どうせ死んだら一緒、と投げ出すのではなく)。

 分かりやすく書こうと思うと、どうしても理屈っぽくなってしまう。困った。このへんで終わります。