書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

自分の幸せを数え上げる行為

 以前からなんとなく違和感があった行為があって、それは、「自分の幸せを数え上げる」というもの。

 「私は、ないものねだりしているけれど、よく考えたら、家族がいて、仕事があって、仲良くしてくれる人達がいて、かわいい子供がいて、すごく幸せだって思う」みたいな。

 これ、一見、「足るを知る」行為に見えるのだけれど、微妙に違うのです。

 「足るを知る」人は、いちいち数え上げないのです。自分の幸せを。「こうだから幸せ」「こうだから幸せ」と、一つひとつ精査していかない。ただ、今、ここに生きている、それが幸せだと感じているだけなのです。

 「自分の幸せを数え上げる行為」は、だから、「足るを知る」の真逆の精神性から来ている気がします。

 「これが幸せの条件」というのを、予め自分で作っていて、そこに自分がどれだけ当てはまっているか、自分がどれだけそれを持っているか、をチェックしている、そんな気がするのです。

 ウツになるタイプの人は、私の知る限り、この「幸せを数え上げる行為」を習慣的にやっているように思います。自分の持っている幸せの数を、一つひとつ数え上げて、「ほら私はこんなに幸せなんだから」と自分を納得させ、これが口癖になったあたりで、精神的におかしくなっていくんじゃないだろうか。

 幸せには条件なんかないし、だから、いちいち数え上げる事なんかできないものなのだ、という事を、分かっていないと、生きていくのはキツいだろうと思います。

 なぜならば、自分の持っている幸せを一つひとつ数え上げる事で、否が応でも、持っていない幸せのほうを、意識してしまうからです。幸せを条件と考えるなら、持っているものを見れば、持っていないものも同時に見えてしまう。

 幸せは条件ではなく、魂の状態のことですから、数え上げる事はできないと私は思います。

 今日は、いつにも増して、理屈っぽかったです。。。

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 気が付いたのですが。あの台風の後、公園の木が根こそぎ倒れたりしていたのに、花壇の花は大丈夫だったのですよね。あんなに茎が細く小さな花なのに、千切れたり吹き飛んだりしていなくて、次の日見てみたら、元気に起き上がって咲いていました。弱く見えるものほど、本当は強いのか。トラックが吹き飛ばされるような暴風でも、花は倒れない。不思議。(上の写真は、別の時の撮ったものです、、)