書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

発達障害の療育の先生と、10年ぶりにお会いする。

 私は、息子が「これ、やりたい」と言い出した時は、それが一般的な感覚では「???」な事でも、誰かに迷惑をかける事でなければ、できるだけ実現できるように動く事にしている。

 今年の最初の頃、息子が、「A先生に会いたい」と言い出した。A先生とは、息子が3歳から6歳までの3年間通った、発達障害児の為の療育機関の先生だ。療育機関、と言っても、ごくごく小規模のNPO法人で、息子が入った当初、A先生ともう1人の先生とお2人が立ち上げたばかりだった。場所も保育園の一室を間借りしていて、週に1クラスだけ、でスタートした。息子はそのスタート時のメンバーだったのだ。3歳の発達障害児ばかり4人でのスタートで、1時間、椅子に座って手先を使う遊びをした。先生の話しを聞いたり、鉛筆を持ったり、ハサミを使ったり、という、幼稚園で健常児が普通にできる事を、できるようになる為に、練習させてもらえた。家では癇癪を起して絶対にやれないそれらの練習が、不思議と先生の所では喜々としてやれるのだ。そして、先生の所でやった事を、家でもやりたいと息子にせがまれすらした。ハサミを持つ事など、家では危険過ぎて絶対にさせられなかった。あの教室に行かなければ、息子は大きくなってもハサミを使えなかったと思う。A先生の教室では、無理だと思っていた事がどんどんできるようになった。まるで魔法のようだった。その保育園は、我が家からはバスを乗り継いでいかねばならない遠方だったが、親子共々楽しみにしていて毎週休まず通った。

 私の息子は、2才半の時、児童相談所の発達検査を受け、広汎性発達障害と診断を受けた。一言も話せなかったし、数々の発達の遅れや癇癪のひどさ、こだわりの多さ等から日常生活をまともに送る事さえ難しい状態だった為、障害の程度は中度とされ、小学校には行けないでしょう、と診断された。

 淡々と書いているが、当然、新米母だった私はショックを受けた。よく、育てにくいお子さんを抱えている方が「いっそ、発達障害だと診断されたほうが楽だと思う」と仰るが、あれはどうなのだろう。実際に子供が障害児だと診断されてみると、その重さはなかなかのものがある。幸せな未来の夢を、一瞬で断ち切られるわけだから。この子は一生、他人に面倒をかけて生きていかねばならない、この子は一生、他人の情けにすがって生きなくてはならない、それを宣告されるわけだから。他人の情けにすがって生きる事が、特に男の子の場合、幸せな一生だとは、とても思えない。「この子は幸せな人生は送れませんよ」と他人からハッキリと宣告される事は、なかなかの絶望だ。

 ショックは受けたものの、そこで絶望していても仕方ない、できる事はなんでもやっていこう、と私は思った。家でできる事はできるだけやったが、どうしても家でできない事も沢山ある。療育機関を探しまくった。当時、発達障害児向けの療育機関は少なかった。どこも長い順番待ちで、人気のところは8年待ちとか言われた(枚方の例の所ですね)。児童相談所から紹介された公けの療育機関も1年待ちで、始まっても毎週どころか、3ヶ月に1回の頻度だった。内容は良かったものの、頻度が低すぎて役に立っているのかどうか不明だった。病院主催の療育は2年待ってやっと順番が回って来たが、これまた半年に1回で、しかも参加年齢が6歳までだったので、2回受けたら終わってしまった。児童相談所や病院経由でない私的機関も色々探して行ってみたが、内容に不安が多く、通える所ではなかった。

 そんな中、A先生方が始められたNPO法人の療育は、毎週やってくれた。それがどれだけ有り難い事だったか、言葉には尽くせない。お二人の先生はとても優しく、発達障害児の扱いに慣れておられて、本当に辛抱強く子供達を育ててくれた。1年間保育園での間借り教室だったが、口コミで生徒が増えたので、通いやすい場所のビルの数室を契約し、独立した教室を開かれた。内容も充実し、最初に座って手作業手遊びを30分した後、次に部屋を移って沢山の運動遊具(鉄棒、滑り台、ジャングルジム、平均台、ボール、等々)を使った全身遊びを行った。その後、みんなでおやつを食べ、全員で電車ごっこなどの子供同士が関われる全員遊びを一緒にやった。A先生の教室に3年間通うことができて、息子は小学校に入学できたのだ。あの教室がなかったら、難しかったと思う。A先生には本当に感謝しかない。

 多くの療育施設がそうであるように、A先生の所も参加年齢が6歳まで、だったので、小学校入学と共に、A先生の所には伺えなくなり、それから10年、ご無沙汰していた。息子も一切A先生の話はしなかった。それが、今年の初めに突然、A先生に会いたい、と言い出したのだ。

 随分長いブランクがあったので、改めて連絡を取るのは気まずいものがあったし、息子がA先生に会ったところで、普通の世間話ができるとも思えない。それでも、息子が会いたいと言うのなら、と思い、電話をさせて頂いた。先生がご迷惑でなければ、15分程でいいので、お目にかかれないでしょうか、息子が先生のご都合のよい時間に、お伺いさせて頂きますので、と。ご多忙の先生なのでひやひやしたが、こころよく快諾して下さり、息子はお土産のお菓子を持って、A先生の所へニコニコと出かけて行った。

 息子が先生とどんな話をさせて頂いたのかは分からないが、元気よく帰って来た息子は、「先生に会えて楽しかった。沢山誉めてもらった嬉しかった」ととても喜んでいた。その後、先生から私宛にお手紙が来て、「思いがけず〇〇君(息子のこと)と会えて懐かしかったです。とても成長していて正直驚きました。どうやって育てたのかお母さんの話が聞きたいので、一度会えませんか」という内容だった。またそのお手紙には、私の子育てに対する質問が、沢山書いて下さってあった。とりあえずその質問にお答えするお返事を書き、また、今度実際にお会いする段取りもつけた。

 息子のおかげで、私はA先生にお会いし、御礼を言う事ができることになった。また、私の子育ての話が、A先生の教室に通う発達障害児のお母様方に、何かの役に立つのなら、本当に嬉しいなと思う。当初、保育園の一室で1クラス4人からスタートした教室が、今は毎日たくさんの子供が通う大きな療育機関に成長し、先生の数も増えたと伺った。発達障害児をとりまく現在の状況なども、A先生から伺えるのがとても楽しみだ。