書くしかできない

発達障害の息子、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

神様が助けてくれた、と私が思った事

 こんな事もあるのだなあ、と驚いた事があったので、忘れないように書いておきます。

 毎度で申し訳ないのですが、また息子の話です。

 詳しくはまた、別記事に書きますので、結論だけ端折って書くと、息子が、「〇月〇日学校を休む」と普通に言いだしたのです。彼の頭の中では、完全に、「〇月〇日は休む」と決定している様子。

 「新学期が始まって、慣れないクラスなので思ったよりも疲れてしまったので」という理由だそうで。

 でも疲れた、と言っても、ご飯もちゃんと食べれているし、夜も寝れているし、結構機嫌よく過ごせている。しかも彼が休むと主張している〇月〇日、というのは、一カ月以上先の日にちなのです。本気でしんどいなら、「明日休む」と言うはずです。余裕はまだまだあるのだけれど、先に休む予定を「お楽しみ」として設定しておきたい、というのが本当のところなのだろうと思いました。

 それで私は、「学校を休む『予定』なんて作っちゃ駄目だよ」と言いました。その私の返答に息子が癇癪をおこし、また面倒くさいしつこいしつこい長話が復活してしまったのです。

 延々、「何故休む予定を作ってはいけないのか」という話を、過去にももう何千時間話したか分からない話を、またまた繰り返し蒸し返し。付き合わされて疲れ切った私が、疲れた顔をした途端に、息子は「お母さん、笑って。24時間笑って」と命令してきました。

 ああ、まただ。また出た。コレだ。

 疲れたら人間笑えなくなるのだ、という事など、息子は百も承知で、言ってきているわけで、何故笑えないのかとか言いだすと、また話が死ぬほど長くなり、終わらない。

 ああ、地獄の長話復活だ。。。

 どうして、どうして??

 学校では極力ストレスがなくなるように手筈を整えているし、出来うる限りの配慮ももらっているし、先生方はみな息子には優しいし、クラスは静かだし、何一つ不満はないはず。しいて言えば、クラスが新しくなったから、その雰囲気に慣れるのがしんどい、という事はあるだろうけれど、そこは新学期だからどうしようもない。

 笑えないのに、笑えと言われ、無理やりぎこちなく笑えば「ちゃんと笑って」と言われ、終わらない。延々、終わらない。苦しすぎる。誰か助けて。

 息子からの要求がしつこすぎて死ぬほど苦しい。どうしたら。いったい、どうしたらいい。

 追い詰められた私の目に、正面の壁にある神棚が入りました。

 私は必死で、頭の中で、「〇〇神社の神様。助けて下さい。私がどうしたらいいのか、教えて下さい」と神様にすがっていました。

 そしたら、ふと頭に浮かんだのです。私は、頭に浮かんだままに、息子に言っていました。

「お母さんが24時間笑える方法を今から言うから聞いてね」

最初、思いつく限りの質問を一方的にワーワー言っていた息子に、私の言葉は届きませんでしたが、私が何度も言っていたら、やっと聞いてくれました。

 ここから私は、息子に対して、次々に指示を出していくのですが、その指示について、予め私自身が考えていたわけでも知っていたわけでもないのです。ただ、私の頭の中に浮かんだ言葉を、そのまま同時通訳のように息子に伝えていました。

「まず、目を閉じて」

私が言うと、息子は素直に目を閉じました(こういうところは、発達障害ならでは)。

「次に、大きく深く深呼吸して。はい、ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」

深呼吸を3回繰り返した所で。

「次に、頭の中に、お母さんの顔を思い浮かべて。お母さん、笑ってる?」

「笑ってない」と息子。

「じゃあ、頭の中のお母さんの顔を、笑い顔にしてみて」

目を閉じたまま、息子は少し考えて、唇をゆがめながら私に聞いてきました。

「僕、笑ってもいい?僕が笑うと、お母さんの顔を笑い顔にできるみたいだから」

あ、そうなんだ、、。なるほど、、。と思いつつ

「もちろん、いいよ」

と私が答えると、息子は目を閉じたままぎこちない笑顔を作っていました。

「頭の中のお母さん、笑った?」と私が聞くと、

「笑った」と息子は答えました。

「OK。じゃあ、目を開けて」

 息子は目を開けました。息子が目を開けた時、私は自然に笑っていました。私の指示に素直に従い、最後はぎごちない笑顔を必死で作って頭の中の私を笑顔にしようと頑張っている息子を見ていたら、私も自然に笑顔になったのです。なんと素直なのだろう、なんといじらしいのだろう、と思って。

 目を閉じ、深呼吸し、笑顔を作った息子のほうも、その一連の作業で心が落ち着いたようで、さっきまでの癇癪がおさまっていました。人は、笑いながらは怒れないのですね。あらためて。

 しかし、頭の中に誰かの顔を思い浮かべ、その顔を笑い顔にしようとしたら、人は無意識に自分自身も笑い顔にしなくてはならない、という事を、その時私は初めて知りました。最初から知っていて、こういう事を彼にさせたわけではないのです。

 こじつけかもしれませんが、〇〇神社の神様が助けて下さったとしか、思えませんでした。神様の助けで、なんとか乗り切れたと、心から感謝しました。

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 この後、私達は、「合理的な理由もないのに何かを強く思い込み、それに激しく執着してしまい、否定されるとパニックになって癇癪を起す」息子の「こだわり」という障害特性について、丁寧に話し合いました。

 この彼の「こだわり」は、小さい頃からずっとあり、少しづつ減ってきて、今はなくなったものと思っていたのですが、最近「いや、まだ終わっていない」という事に気づきました。

 今回は、〇月〇日学校を休む、という事を、何故か息子が勝手に決めてそれができるものと勝手に強く思い込み、その実現に強く執着し、私から駄目だと言われて癇癪を起したわけです。

 無暗に学校を休んではいけない、という当たり前の事が、彼の「こだわり」の前では、法廷での裁判のように、「何故いけないのか、について徹底的に証明しなくては」いけないのです。論理的に、具体的に、一ミリの矛盾も曖昧さも持たさず、説明しつくさなれければいけない。

 「学校を休んだらどうなるの?警察に捕まるの?」「〇〇君は休んでいるけど、どうしていいの?人の事は分からない、とか言わないで」次々に繰り出される息子の腹立たしい質問にも、丁寧に一つづつ、具体的に答え続ける。

 学校を休んではいけない、という事について、息子がようやく納得したところで、次に「あなたには『こだわり』という障害特性がある。少しづつ直していこう」という事を、沢山の沢山の具体例と未来図をもってして、彼に伝え、終わりのない彼からの質問に答え続け、何時間も彼と話し合いました。疲れましたが、一応、終わりました。こうやって一応終わった形にはなっていますが、彼はまた、すぐに、この話題を蒸し返しては、私を困らせ、苦しめるのだろうなあと思います。

 仕方ないです。これが、発達障害児を育てる、という事で、発達障害児の親をやる、という事だと私は思っています。私にできる事は、そこから逃げないという事、それだけです。私は私の人生において、何か建設的な事を成し遂げる事はできません。ただ、息子から逃げずに踏ん張る、それだけでほぼ全力を使いきっているからです。

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 読んで下さっている方は、「いっそ、『学校休みたいなら、休めばいいやん。好きにすれば』と突き放せばいいのに。『休んじゃ駄目』と言われれば言われるほど、休みたくなるものだから。逆に『休んでいいよ』と言われたら、意外と休まなくなるんじゃないの?」というご感想を持たれた方もおられると思います。

 はい。それも有りだと思います。ですが、息子のタイプの発達障害児には、通用しないのです。

 息子が異様に記憶力がいい、というのはすでに何度か書いている事ですが、例えば私が「いいよ、休みたければ。好きにしなさい」と許可を出してしまうと、息子は「〇月〇日、何の理由もなく、学校を休む事ができた」という事実を、頭にインプットします。そして、それを絶対に忘れないのです。そして、思うがままに学校を休むようになってしまうのです。何故ならば、「〇月〇日、何の理由もなく学校を休めたから、明日も休んでいいはずだ」という理屈が、彼の頭に「こだわり」としてインプットされてしまうからです。

 息子に対しては、絶対に、どんな事があっても「悪い前例」を作ってはいけない、それが彼を育てる中で、私が肝に銘じている事なのです。一度でも悪い前例を作ってしまうと、彼はそれを梃にして、どんどん悪いほうへエスカレートしていくのです。その「梃」は「こだわり」という障害特性によって強化され、一度インプットされたこだわりは、どんな事があろうとも覆す事はできません。彼自身が「別の考え方をしてみよう」と反意しようと頑張っても、無理なのです。人間の意思の力で、この「こだわり」を消す事は不可能なのです。

 だからこそ、そういう事態にならない為に、悪い前例は絶対に作れず、だから「理由なく学校を休む」という前例も、絶対に作れないのです。

 ある意味、発達障害というのは、本当におそろしい障害だと思います。何故なら、彼等には「どうして出来ないの?(出来て当たり前でしょうに)」「どうして分からないの?(いい加減分かってくれても良さそうなものなのに)」という問いかけが、出来ないからです。答えは全て「障害だから」に帰結されてしまう。問いかけ自体が無意味なのです。というより、そういう問いかけをする事自体が子供を傷つけ追い詰めてしまうからです。従って、そういう問いかけをする事によって昇華されるであろう私の全ての怒り、憤り、やりきれなさは、ただひたすら私の中にたまっていくだけなのです。

 仕事なら、辞める事ができる。結婚なら、離婚する事ができる。でも、子供の場合は、一生逃げられないのです。発達障害児を産むまで、私はこういう事について、真剣に考えませんでした。お気楽だったのです。愚かです。

 ですが、本当にギリギリまで私が苦悩した時は、もしかしたら、神様が助けて下さるかもしれない、と、私は思うようになりました。少しだけ心の重荷が軽くなった気がします。頑張れるだけ頑張って、どうしても私個人の力では立ち行かなくなった時は、神様にすがろう、そう思います。私がこう考えるということも、私が愚かでお気楽であるから、なのかもしれませんが。

 ・・・・・・

 長くなって恐縮ですが、これには後日談がありまして、この事があった翌日、なんと、息子の学校のクラスが、学校側の事情で、急遽、数日間休みになったのです。インフルエンザの学級閉鎖のようなものだとご理解下さい(インフルではありませんが)。

 「頑張って学校へ行く」と決めた途端、あれ程欲しかった「休み」がもらえた息子は、「嬉しい。でも不思議だ」と言っていました。

 思いがけないお休みがもらえた数日間、息子はマイペースで日々を過ごし、しっかり充電できた模様です。

 私にはこのお休みは、神様からのプレゼントのように思えてなりませんでした。

 勿論、全ては偶然と、単なる私の思い込み、なのかもしれません。