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書くしかできない

子供、夫、私。過ぎていく日々を書き留めています

いつも偶然、「人」から入って来る

日々の思い

 気温はまだ低いが、日差しが暖かくなってきた。こうなるとどうにも出歩きたい欲が湧いてきて困る。出歩くと行っても私の場合、ひたすら歩くだけ。長い長い散歩が好きだ。真冬はなかなか遠出できなかったので、少しでも暖かくなってくると、もういけない。お散歩行きたい欲が抑えられない。

 そんなの行けばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、そうでもない。私は例年、まだ寒いこの時期にやたら張り切って遠出を繰り返してしまい、本格的な良い季節である5月頃に体調を崩す、という失敗を何度もやっているのだ。だから今年は用心して、この時期はあまり無理はしないよう、自粛するつもり。

 話は変わるが、というか、ここからが今日書きたかった事なのだが、もしかしたら自慢めいてしまうかもしれない。人生というのは、ちょっとした人との繋がりで、大きく変わっていくのだと、改めて気づいたという話。

 ちょっとした人との繋がりというのは、予め計算して繋いだ繋がりではなく、以前から何らかの関わりがほんの少しだけあって、お互いなんとはなしの好感を抱いている、というような人と、ちょっとした立ち話で聞いた事がきっかけで、人生が大きく変わる、みたいな事が、私には多いのだ。

 例えば、私の子供は非定型発達で、幼少期から様々な療育やサポートを受けてきたのだが、簡単に調べられる情報での療育やサポート機関は、今ひとつで、子供にとってとても有意義だったものは全て、口コミでふと教えてもらった所ばかりなのだ。ふと教えて頂いた病院が良い所で、そこから安定的な人生設計ができるようになったりもした。当時私は、非定型の息子の将来に大きな不安を抱えていたので、その不安が無くなった事は本当に大きい。そういう、後に「あの情報のおかげで人生が変わったな」というような情報は、誰かにわざわざ問い合わせたり、尋ねたりした時には、不思議と入ってこないのだ。何故だか、たまたま偶然以前からなんとなく好感を持っていた知り合いに会って、なんとなく教えてもらった話から得る事が多い。

 先日は、こんな事があった。私は4月から、ある場所に初めて参加する事になるのだが、そこには知り合いが一人もいないので、かなり不安を抱いていた。それを、いつも息子の小さくなってしまった服を貰って頂いている方に、お渡しする際に愚痴まじりに言ってみたら、「そこに知り合いがいる人を知っているかも」と言って頂き、翌日にはその知り合いの方と連絡が取れていた。とても有難かった。初めて参加する不安が消え、心が軽くなった。

 自分にとって本当に欲しい情報、本当に良い情報、というのは、私の場合、いつも偶然、「人」から入って来る。その「人」というのは、私にとって、心地よい人間関係を繋げていられる「人」からなのだ。当たり前過ぎる事だが、人と良い人間関係を地味に繋げている事は、大切だと感じる。自分に無理してまで「良い人」を演じる必要はないし、見返りを期待して何かをするのは愚の骨頂だが、それでも、いつも少しだけ人に親切に、少しだけ気遣って、少しだけ遠慮し、少しだけ損をし、少しだけ恥をかき、少しだけ言葉を控え、少しだけ積極的に言葉をかけてみる笑ってみる、そうやっていると、心地よい人との繋がりが維持できて、それが私の人生を、良い方向に進ませてくれる。そんな風に思う。良い春だ。 

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ドラマ「カルテット」を観て

日々の思い

 普段あまりテレビを観ないのだが、「カルテット」は毎週楽しみに観た。本当に面白かった。放映が終わってからだが、他の方のこのドラマへの感想を、あれこれ読ませてもらったら、更に面白かった。一人として、同じ感想ではないという事が分かったので。それだけ、種々多様な受け止め方ができるドラマであったのだ、という事だと思う。

 色々な感想の中で、わりと多数派かなと思ったのは、「負け犬がうだうだやっている、その中途半端さのリアル感が良かった」というもの。そうなのか。あの4人を、他の人は「負け犬」だと感じたのか、と私は不思議に感じた。

 というのも、私は、あの4人が羨ましいなあとずっと思って観ていたからだ。真紀さんも、すずめちゃんも、家守さんも、別府さんも、もし代れるものなら、どなたでもいいから代わりたい、と思うほど羨ましかった。

 何に憧れていたかというと、沢山あり過ぎて困るが、まずは、ピアノ以外の楽器を習ったという事が羨ましい。ピアノは町に沢山教室が溢れていて、ピアノが弾ける事なんか、さして珍しくもなんともないが、バイオリンやビオラを弾ける事は、とても稀少だと思う。友人が子供にバイオリンを習わせているが、まず先生がそれほどいないから、遠方まで通わなければならない、その送り迎えがハンパなく大変だ。その上、楽器を買えばOKではなく、その後のメンテが大変なのが弦楽器。友人は、子供のバイオリンの絃の調節に、わざわざ京都くんだりまで毎回出向いていくそうだ。その手間と費用を思うと、、、。これはピアノも同じだが、住宅が密集している日本で楽器を練習するにはそれなりに防音設備の整った部屋も必要だ。なんのかんので、子供に弦楽器を習わせるのは、親が金銭的にも時間的にも余裕がないと難しい。裕福だったまきさんや別府さんはまだしも、すずめちゃんや家守さんですら、幼少期から弦楽器を習わせてもらい(つまり教室まで毎週送り迎えしてくれ楽器のメンテもしてくれる、自己犠牲を厭わない親がいた)、大人になって人前で恥ずかしくない程度に演奏できるまでにしてもらえた、というのは、相当恵まれている環境だったと思う。ドラマでは、4人の可哀想な過去がわりと前面にでていたが、確かに気の毒な面も多いが、それでも、恵まれていた面もあったと思う。

 また、他にも4人に憧れた面はある。一人ひとり見ていく。一人ひとり不幸な過去を背負っているのは分かっているが、それでも、私には羨ましい面がある、という意味だが。

 まず真紀さん。大人になってから、本気で惚れてくれる男性が二人もいる、いた、という事。男運がいい、というか、良い人に好かれる質があるようで、逮捕されてからついた弁護士の男性すら、とても良い感じの人だった。弁護士の先生が、わざわざ自宅まで来てくれる、一緒に歩きながらコロッケを食べてくれる、なんて事は普通ならあり得ない。私が知っている弁護士さんも、人間的にとても良い人だが、さすがに自宅には来ないしコロッケを食べながら歩かない。良い男に惚れられる質を持っている、というのが、真紀さんの羨ましポイントだ。

 次に、すずめちゃん。どこかしら天然の匂いのする彼女だが、それでもうまく社会に溶け込んで生きてきている、という所が羨ましい。天然さがとてもうまい方向に出ていて、独特の個性という強さに天然の良さが活かされているし、一方で、天然ではありながらも、先を読んで地道に努力する、つまり計算して生きる事もできる人だ。こういう天然さを持つ人は本当に珍しい。

 次に、家守さん。軽々生きている感じがして、ああいう軽さは私には無いので憧れた。ドラマでは、35歳でまだバイト人生なんて悲惨、という描き方をしていたが、今日び、30でも40でもバイト人生の男性は少なくない。私は55歳でバイトの男性を知っているが、さすがに未婚ではあるものの、なかなか楽しく生きておられる。Vシネに出ていた家守さんと同じで、知人も女に不自由した事がない。知人の場合、実家がわりとしっかりしているので、いざとなったら実家に頼ろうとしているのかもしれないが、家守さんもビオラ奏者になれたぐらいだから、しっかりした実家がおありなのだろうと思う。しっかりした実家がある、という事は、人生において大きなアドバンテージだと思う。

 最後に、別府さん。まだ30代前半なのに、いくつか転職していたり、料理も含め家事が完璧にできたり、という器用さが凄いと思う。あれだけ家事ができたら結婚なんかする必要ないし、家でバイオリンの教室を開いたらいいのだ。優しく気配りできる人だから、子供受けもいいだろう。別府ファミリーというネームバリューもあるし、そこそこ成功するんじゃないか。私の家の近所で、もし別府さんが自宅でバイオリン教室を開いていたら、息子を通わせたいと思う。息子は喋るよりも楽器のほうが得意なたちで、今は(ありきたりの)ピアノを習わせているのだが、、、。

 というわけで、私はあの4人が、負け犬だとはとても思えないのだ。みんなしっかり自分の人生を歩んでいる。別に一流奏者にならなくても、ちょっと雇われて演奏するセミプロで、十分楽しいんじゃないか。だから、あのラストは、ちゃんとしたハッピーエンドとして描き切れていると思う。4人の恋愛模様に決着がつかなかった事を残念だと感じておられる方も多いようだが、私は全く気にならなかった。言われて初めて、ああそうだったな、と思ったぐらい。もし、「カルテット」に次回作が出来たとしたら、そこで引き続き描かれるのではないかな。楽しみが先にのびていいわ、ぐらいに思う。これだけヒットしたのだから、次回作、作られるといいなと思う。

 

 

アーユルヴェーダで言えばヴァータな質

日々の思い

 アーユルヴェーダの考え方が好きで、何かと生活に取り入れている。アーユルヴェーダによると、私はヴァータというものが溜まりやすい体質になるようだ。内面的には、気まぐれで飽きっぽく衝動的でイライラしやすい。体質的には、余計な動きが多く冷え性、お腹にガスがたまりやすく頭痛持ち、という事になる。勿論、全部当てはまる。

 ヴァータがよりたまりやすくなる行動は、日常生活が不規則なこと、連続した音(テレビやヘッドホン)を浴び続ける事、睡眠不足、旅行(外出)が多い、等。

 逆にヴァータがたまりにくくなる行動は、生活のルーティン化、会話や食事をできるだけゆっくり行う事、コーヒーや甘いものを控える事、朝日を浴びる事、等。

 実際のところ、不思議なもので、アーユルヴェーダを知る前から、いくつかの事は心掛けていた気がする。できるだけ毎日同じパターンで暮らす事を好んでいるし(同じ時間に起き、食事をし、家事をし、寝る)、テレビ等の音を避けるようにしている。睡眠時間の確保を何よりも優先しているし、あまり旅行は好きではない。朝起きたら必ずカーテンを開けて寒過ぎなければベランダに出るのも日課だ。コーヒーは一日一杯が限度で、後はお白湯でティーブレイクするのが一番体調がいい。ただ、異常なほどの早口だし、食べるのも早いので、このへんは改善したいとずっと思っている。

 ルーティン化した生活を送っている限り体調は完璧で、旅行に出かけると途端に体調を崩す。だから夏の旅行以外、旅行はしない。若い頃は出歩きたい欲が強く、自分の質など無視して動きまわっていたので、楽しい反面しんどさもきつかった。今はもう、自分はこういう陰な質なのだと割り切り、出歩けない自分で由とするようになった。 

 もう少し突っ込んで、精神面で語ると、ヴァータがたまりやすい人間は、勘が鋭く表現力もあるが、過敏過ぎて思考があちこちに飛びがち(一つひとつの思考が点になり、線でつながらない)。それが結果イライラに繋がり、体質を悪化させる事になる。だからこそ、繋がらない思考を繋げる為に、生活をルーティン化しひと繋ぎにする事と、何か一つの事に没頭するのが良い、という事になるようだ。

 よくよく考えてみるに、私が一番快適に過ごせていたのは、結婚して子供が産まれるまでの期間だったと思う。子供無しの専業主婦だった期間だ。家事というのは自分のペースでできるのでルーティン化しやすいし、専業主婦であるから余暇の時間は溢れるほどあった。生活をルーティン化し、かつ、自分の好きな事に没頭する事が可能だったのだ。子供が産まれてからは、相手はナマ物であるから、一寸先も分からぬ不確かな状態に振り回され、ルーティン化など程遠いし、余暇の時間など全くなくなった。ある程度育ちあがった今は、少し時間に余裕もできてきたのだが。

 私と同じようなヴァータ体質の方は、子供無し専業主婦という道が、一番快適に生きられるのかもしれない。子供を産んでしまった私はもう遅いので、生活面でやるべき事をできるだけルーティン化して片づけ、余暇の時間に好きな事に没頭する、というのを心掛けたい。それが私にとって、一番適した生き方だと自分でも思うからだ。ただ、そういう生き方が思うようにできない事(いちいち子供に邪魔される事)を、嫌がらないことも同時に心掛けたい。

 アーユルヴェーダもそうだが、風水でも何でも、今の時代、理想の暮らし方生き方というのは、わりとすぐに簡単に知ることができる。だが、現実問題、完璧にそれを実現できるかといえば、なかなか難しい。理想の生活を知ることが、逆にそれを実現できない自分を苦にする結果になる。理想の生活は理想の生活で正しいわけだが、様々な事情で理想の生活を送れない場合、それはそれで仕方ないと、あっさり諦める。そこを諦められるかどうかで、幸せに生きられるかどうかが決まるように思う。

 

*ご自身がどういう体質なのかはこちら等で調べられるようなので、ご参考までに貼らせて頂きます。

www.ayurvedalife.jp