書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

キレない為に、息子自身が考えた工夫

 息子は、キレ散らかした後、必ず「今日はこんなんになったから、もう引きこもるしかない。気分が悪い。明日は学校を休む」と言う。以前はこの言葉をまともに受け取り、あたふたしたものだが、今は違う。

 息子の気分が悪くなっている理由が分かったからだ。それは、自分が「悪いと分かっている事」をやってしまったという事実を受け止められない事からくる、思考停止状態なのだ。

 だから、「あなたがキレたのは、あなたが悪いせいじゃない。誰も悪くない。話の流れがたまたまそうなってしまっただけ。しいて言うなら、運が悪い」と言ってやればいいのだ。すると息子は一瞬で元気になる。「僕が悪くないならいい。気分が良くなった。明日も行くわ」となる。

 私から見たら、なんという変わり身の早さ、単純さに気味の悪さすら感じるが、これが彼なのだ。むしろこの気味の悪いほどの単純さを利用するほうが良いのだ。

 

 最近は、息子がキレない方法を完全に構築しつつあり、日常生活で困る事が減った。

 息子がキレる時というのは、前回にも書いたが「自分がやりたくない事はやらず、やりたい事は絶対にやれる現実が実現する」事が、危うくなった時だ。

 息子は、不安症を持っているので、悪い方を常に考えている。これは、考えて安心したいと同時に、悪い方を考える事が不安でしんどい、という状況も作る。

 じゃあ、悪い方は考えなければいいのに、と私は思うが、悪い方を考えないという事は不安過ぎて出来ないらしい。

 だから、次から次へと悪い予想を繰り出しては、私に質問して確認してくるわけだ。

 更なる息子の問題として、悪い予測がその通りになるなら、そう言って欲しいと言うと同時に、そう言われると耐えられずにキレるというのがある。つまり、自分の思い通りにならないなら正直にそう言って欲しいと言いつつ、辛い真実を受け止める事は出来ないのだ。

 息子が出来る唯一のことは、自分の理想通りを私が「これは嘘ではなく事実だ」と言って答えてくれる事だけなのだ。

 

 つまり、私が嘘をつかねばならない、という事になる。

 息子をキレさせない為には、普通に考えたら「無理だ」と言うしかない状況でも、だから絶対に「無理だ」とは言わない事が大原則となる。 

 それはとても頭と神経を酷使し、最後はどうにでもなれ無理なら死ねばいいだけのことと開き直れる豪胆さも持つ必要がある、ギリギリの作業になるのでどうやるのかは簡単には説明できないが、まずはこれをやるというのが大原則。

 

 その上で、日常的に気を付けている事がある。

 というか、「キレない為に僕はこうすべき」と息子自身が考え出した事なのだが。箇条書きにしてみる。

 

➀私に時間がない時は、ややこしい質問はしない。

 ややこしい質問に答えるには長時間を要するのに、時間がない時に聞かれると、私は正論をスパスパ並べてきつい言い方をするしかなくなる。この「正論を言われる」のが息子には耐えられないので、キレる事になる。時間がある時なら、私は正論は避けて、息子が気持ちの逃げ場を作れるような曖昧な表現でややこしい説明する事が出来る。時間がない時は私の頭はそこまで働かない。

 ただ、息子がどうしても「今」私に、ややこしい質問がしたい!と言う時がある。一秒も待てない、今答えを知りたい、という時があるので、そういう時はその後の私の予定を全てキャンセルして、息子の質問に答える事にしている。キレられるより、そのほうがずっとマシなので。

 例えば、私が夕食の準備に入るタイミングで質問された時は、「待てないか」と聞き、「待てない」と息子が言う時は、その日の夕食は缶詰やお弁当で済ます事に決める。たいてい息子のややこしい質問に答えるには3時間ほどかかるので、夕食準備を30分ほど後にずらして対応する、等という事では無理なので。そういう中途半端な対応だと、私は30分で答えを出さねば、と思ってしまい、息子の嫌いな正論を語る事になり、結局息子はキレる事になるので。

 

➁遠い将来についての質問はしない

 今現在の事、今関わっている事は、質問自体に具体性があるので、答えもシンプルで済む。でも、何年も先の事は、不確定要素が多過ぎて、今現在では白とも黒とも言えない事が多い。それでも無理やり白黒つけようとすると、不確定要素の全てを数え上げ、1つ1つを丁寧に予測検証していかねばならない為、膨大な時間がかかる。そして、出た結果はあくまでも予想であり、確定ではない為、息子の安心材料にならない。

 話しが長時間に及ぶと、私が疲れてイライラしてくるので、答えは不確かな上に、私のイライラが息子を更にイラつかせる事になり、完全に悪循環。

 よって、先の事については、質問しない方が良い、という結論。

 ただ、どうしても気になる場合は、質問する。その質問が、簡単に答えられる場合もあるから。例えば、法律で決まっている事や、学校が決めている事は、今の時点でも、数年先でも、まず変わらないので、即答できる。

 なので、未来の事でも気になる事は私に質問してみて、答えに時間がかかりそうだと分かったら、「これは聞く時期じゃない」と判断し、質問するのをやめる。

 

③時期じゃない、という割り切り

 全ての事には、それがハッキリ判明する「時期」があり、その時期が来ていないのに先取りで心配するのは害しかない、という事を、息子がやっと理解した。

 「今の心配事は、時期が来れば、歯車が合うように答えが出るから待っていたほうがいい」という事。

 息子のキレ散らかしは、高頻度で、息子自身が何についてモヤモヤしているのか言語化出来ない事に寄る。頭の中にモヤモヤがあるが、それを私に言葉で伝える事が出来ないし、自分でもそれを言葉できちんと把握する事もできない。ただ気持ちの悪いモヤモヤが頭にあるという状態が我慢できず、私に八つ当たりしてキレるという流れ。

 これについても、息子自身が「モヤモヤしている事が言葉に出来ない時は、まだそれを考える時期じゃない、という事だと思う」と気づいた。まだそれが起こっていないので、具体性に欠け、「何が不安なのか。不満なのか。分からないのか」が分からない。漠然としたぼんやりした情報を聞いて不安になっているものの、あまりにも漠然としていて不安の根拠を説明できない。そういう時は、「まだ時期じゃない」と本人が割り切れるようになった。

 息子が私に何かを質問しかけて「あ、これはまだ時期じゃない質問だわ」と自分で気づいて途中でやめる、という事もよくある。

 

④こじらせは悪だという認識

 過去の失敗の原因が、息子自身の「こじらせ」によるものだ、とやっと本人が気づいた。つまり、何年も先から、ある事を気になりだすとずっと毎日、一日中、それを言い続けるという事をすると、こじらせてしまい、それの「時期」がきても正しい決断ができなかったり、情報を見逃したりして、失敗してしまう。

 例えば、息子は成人式に行くか行かないかを、高1からずっと言い続けていた。行きたくないが、みんな行くから自分だけ行かないのも嫌だ、という。だから私も、アドバイスのしようがない。行かなくていいよ、と言えば「みんな行くから行かないのは嫌」、じゃあ行けば?「いやだ、行きたくない」。このやりとりを、成人式当日まで、何年間も毎日、一日中言っていた。結果、成人式には遅れてなんとか行って、行ったらとても楽しかったらしい。沢山写真も撮ったらしい。

 何年間も毎日悩み続け、私に絡み続けた時間はなんだっだのか。無駄でしかない。しかもストレスを積み重ねただけで。しかも、そうやって成人式について「こじらせ」てしまった為、当日になっても正しい決断が出来ず、グズグズして遅れていく事になった。とても楽しかったらしいので、最初からちゃんと参加したかったと後になって言っていた。

 こじらせさえしなければ、当日行くか行かないか、正しく判断できたはず、という事を息子自身がやっと分かった。

 よって、時期ではない事は、早々と先取りして悩まない、それはこじらせに繋がり、せっかく時期が来ても正しい判断が出来なくなるから、という事を本人がやっと分かったようだ。

 

 以上➀~④を、息子自身が気づいた事で、私への無益な質問が減り、息子自身もイライラする事が減り、なんとか平和を保てている。

 ただし、息子の頑固な我儘(やりたくない事はやりたくないが、やりたい事は絶対にやりたい)は依然として継続中なので、これが改善しない限り、状況は根本的には良くならないと思う。

 でも、とにかく、とりあえずの平穏が保てているだけで、今は良しとしている。