書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

放デイでの事故について

 少し前ですが、SNSを通して、放デイで事故があった事を知りました。

障がい者施設通う男子中学生 行方不明になり死亡…水に執着あり2人で付き添いの取り決めも当時は1人 施設は3か月新規受け入れ停止処分 吹田市(MBSニュース) - Yahoo!ニュース

 放デイは、8年程前から作られ始めた、障害児向けの「放課後デイサービス」の事です。放課後と土日に、障害児を預かり何らかの療育を行う所だそうです(息子の時代にはなかったので、私は詳しい内容は分かりません)。福祉施設なので費用は税金から出され、利用者はあまり出費をせずに利用できます。

 送迎はバスが出ているそうで、事故は、その送迎バスで起こりました。

 その放デイでは、利用者である障害児が送迎バスから降りる際には、2名の大人が介助する決まりだったそうですが、その日は何らかの事情で1名の大人しかいなかったそうです。そのせいで、1人の障害児の方が、バスを降りてどこかにいなくなってしまった事にすぐには対処できず、結局その障害児の方は、亡くなってしまったそうです。

 彼には知的障害があり、中学一年生で、言葉が喋れなかったそうです。

 彼のご両親は、放デイに説明を求め、SNSで応援者の署名を募っているそうです。その事をご紹介されているブログ記事↓(このブログ主様は、該当のご両親ではありません)障害児の死亡事故。署名にご協力下さい | 自閉症児のかーちゃん日記 (ameblo.jp)

 

 まずは、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。

 その上で、いくつか思うところがあり、今日は書いています。

 

 こういう施設での事故というのは、よく起こるし、なくならないです。保育所や老人ホーム、障害者施設など、「手のかかる弱者」を預かる場所では、人災と思えるような事故がしばしば起こっています。

 

oinor-i.hatenablog.com

 

oinor-i.hatenablog.com

 

oinor-i.hatenablog.com

 

 過去に、こういう記事を書きました。私が一貫して思っている事は、「手のかかる弱者」を預かる施設では、こういう人災とも言える事故は、起こるのが当然だという事です。それが良いとは思いませんが、仕方ない、とは思います。また、私が年をとり、他人様のお世話になる際に、人災とも言える事故で殺されても文句は言えないなと思っています。

 「手のかかる弱者」を日常的にお世話することは、大変な事だからです。人間の持つ忍耐力の限界まで酷使されるにも関わらず、社会的地位も金銭的メリットも低い。「手のかかる弱者」をお世話する仕事が、好きで好きでたまらない、だからこの職についた、という人は少数派。多くは「他に出来る仕事がないから」やっている、という人が多いと思います。

 そもそも、自分が老親や乳幼児、障害者の世話をみたくないから、他人に預けているわけです。自分がやりたくない事を、他人にやってもらっているわけです。その他人が、喜んでやってくれているはずはない。生活の為に仕方なくやっている人が、多いのではないかと、私は思います。

 だから、この手の事故は、なくならないのだと思います。

 

 今回は、送迎バスの降車の際に、大人が1名しかいなかった事が事故原因ですが、ではどうすれば良かったのか。こういう施設は常に人手不足で、おそらくその時も、なんらかの理由で1名が休まれたか辞められたかしたのでしょう。「大人1名しか手当できないから、今日は送迎バスは出せません」と言われたら、困るのは利用者の親です。

 私も障害児を育てましたから分かりますが、障害児育児は、毎日ギリギリでやっています。一日でも放デイに行けなかったら、全てが破綻するような家庭も多いと思います。だから、大人が1名しかいなくても送迎バスを出したのでしょう。致し方なく。

 そして事故が起こった。

 放デイが悪いのでしょうか。

 私にはそうは思えません。

 事故理由の説明を求めるのが悪いとは言いませんが、回答としては「人手不足で致し方なかった」以外にないでしょうし、放デイ側はそれが正当な理由にならないと分かっているから、回答したくないのでしょう。

 確かに、国は憲法で最低限の生活を国民に保障している以上、こういう福祉施設を作っているわけですが、国がどこまで完璧に福祉を行えているかと言えば、全く足りていないのが実情です。福祉が不完全なのは国のせいであって、個々の放デイ施設のせいではないと思います。個々の放デイを責め立てても、意味がないというか、無駄だと思います。

 この事故の理由は福祉予算の少なさからくる人手不足のせいである、という事は、ご両親もうすうす分かっておられるのではないでしょうか。それでも放デイの口から「人手不足だった」と言わせないと気が済まないのでしょうか。そこが私には理解が出来ない部分です。それは、意味がない行為だと私は思います。

 もし署名活動をなさるのであれば、放デイに説明を求める目的ではなく、国に対して障害児福祉予算の増額を求めるほうが、まだしもかもしれません。

 でも、それすらも、無意味だとは思いますが。国は、障害児への福祉予算が足りていない事など重々承知だからです。でも、福祉予算を使う優先順位として障害児は低い。署名ぐらいでは覆りません。しかもコロナ禍以降、それまでも大変だった日本の経済力は、どうしようもなく大変な局面まで来てしまっています。今までの福祉を維持する事すら困難な現状で、予算増額など、出来るはずがありません。必要性は分かっていても、物理的にお金がありません。

 

 私は、息子を他人に預けっぱなしにする、という事を、中学卒業までしませんでした。お稽古や療育は、必ず付き添い見守りましたし、幼稚園や学校ではずっとPTAをしていて、学校に常に出入りし見守っていました。先生方を信用しているとかいないとか、そういう話ではなく、非力な息子には誰か全力で親身になってくれる大人が常に見守る必要がある、と思っていたからです。

 逆に言えば、私が見守らなければ、必ず事故が起こる、そしてそれは避けようがない、と思っていたからです。

 

 ではどうしたらいいのか、という事ですが。いつも書く事ですが、発達障害児かどうかの胎児診断は現在はまだありませんから、子供を産まない以外にこういう不幸を防ぐ方法はないと思います。発達障害児はグレー児を含めると6人に1人生まれていますが、そもそも誰も子供を産まなければ、障害児が生まれる事はなく、致し方なく施設に預け、その施設で事故に遭う、という不幸も起こりません。

 誰も子供を産まなければ、国が終わるわけですが、終わっていいと私は思います。終わっていいと言うか、存続できないなら仕方ないと思います。