書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

人の悩みに寄り添う、の「寄り添う」って具体的に何?

 人の悩みに寄り添ってあげる、という言い回しは、良く聞きます。

 この「寄り添う」って、でも具体的にする行動は、人それぞれ違うのかもしれない、と最近、気づきました。

 私が思う「寄り添う」は、➀悩んでいる内容を丁寧に聞く(傾聴)、➁解決方法を一緒に考える、です。

 でも人によっては、➀のみを寄り添いだとしておられる方もいらっしゃるし、➀も無しで「悩んでいる相手の事を否定せずにただ見守る」というのを寄り添い行為だと解釈されておられる方もいらっしゃるようです。

 正解はないですね。

 私がなぜ、➀➁をして「寄り添い」だと考えているかと言えば、相手が望んでいる事が、おそらくそれだろうから、です。

 相手は多分、私に悩みを丁寧に聞いて欲しいだろうし(話している最中に、遮ったり意見したりせず)、存分に隅から隅まで思いの丈をぶちまけたいだろうし、だからまずは傾聴ですよね。

 それから、一緒に解決策を考える。1人より2人のほうが、経験値が高くなるので、解決する可能性が高まりますから。一緒に考えるのであって、意見を押し付けるのではないし、すぐその場で解決できる事は少ないでしょうから、詳しい人を探したり、調べたり、色々時間もかかるでしょう。それでも、解決を本人だけに任せるのではなく、「一緒に考える」事で、本人の重荷を軽くしてあげるのまでを、私は「寄り添い」だと思っています。

 私自身は、人に相談するタイプではなく、たいていは一人で考えて解決するほうですが、何故私がそういうタイプになったかというと、親が相談に乗ってくれる人ではなかったからです。それで、人に相談する事を、最初から諦めてしまう癖が習い性になっただけです。

 本当は、人に相談して、他人の広い知見を頂き視野を広げるほうが、より人生は豊かに、快適になっていただろうと思います。

 自分一人で悩み苦しむほうが、本人の成長に繋がる、という考え方もあるでしょうが、私は他人と一緒に悩み苦しんだって成長に繋がると思うんですよね。相談相手の質にもよりますが。どういう解決策が出たところで、結局のところ、実行するのは本人なのですから。

 なんてことを、今日はつらつら考えました。

 

ではまた~