書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著 ③

 前回、前々回の読書記録からの続きです。

 人間は、どうすれば、退屈せずに生きられるのか。どうすれば、充実感を持って楽しんで生きられるのか。興味の対象を次から次へと変えていき、永遠に満足感を得られない無限ループから抜け出すには、どうすればいいか。

 著者は、この本の結論の最初に、こういう事を書いています。

「結論だけ読んだ読者は、この結論に従えば退屈は何とかできる、と思うだろう。でもそういうものではない。この本を最初から最後まで通読し、自分なりにこのテーマについて受け止め考えていくことで、読者がそれぞれの仕方で、このテーマの解決方法を見つけていく。今から書く結論は、そういう類の結論である」

 まあねえ、確かにそうでしょう。でもわざわざこれを書いてしまう、という所に、著者の、根っからの哲学者気質を感じます。何でもそうですが、答えだけ手早く手に入れて、分かった気になるのはラクですが、実はそれこそが「退屈」を生み出す姿勢なのだと、著者は言いたいのだと思います。

 

 さて。で、この本の結論。

 著者は結論は二つある、と言います。

 一つ目は、退屈をなくすためには、浪費すべきである、ということ。浪費とは、ものを受け取る、という事です。

 浪費に対し、消費、という言葉があります。消費は、ものを受け取るのではなく、観念を受け取っているに過ぎません。物を受け取るのではなく、終わる事のない観念消費のゲームを続けているのです。

 現代の私達は、浪費家ではなく、消費者です。

 ものを受け取る浪費は、ものの受けとりに限界があるため、どこかでストップします。そこに現れる状態が満足感です。

 一方、消費は観念のみを対象としているので、いつまでも終わらず、満足感も得られず、満足を求めて更に消費が継続され、次第に過激化していきます。満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れるのです。

 この状態から抜け出すには、ものを受け取れるようになるしかなく、そうなる為に必要なのは、「思考する」事だと著者は書いています。

 

 「思考する」これが2つ目の結論です。

 人を、環世界にとどまらせる方法は、「思考する」事だと著者は言います。

 実のところ、思考したくないのが人間で、私達は思考することから逃げている。でも、思考する事なく、人間が環世界にとどまることは不可能です。

 思考とは、楽しむ為の訓練です。世界には、思考を強いる物や出来事で溢れています。

 例えば「食」をとってみます。食を楽しむためには明らかに訓練が必要です、複雑な味わいを口の中でえり分け、それを様々な感覚や部位で受け取る事は、訓練を経てはじめてできるようになることです。こうした訓練を経ていなければ、人は特定の成分にしかうまみを感じなくなります。確かに私達は毎日食べてはいますが、でも実は、食べてはいないかもしれません。おいしいものをおいしいと本当に感じているのではなく、おいしいと言われているものをおいしいと言うために、口を動かしているのかもしれません。

 絵画や音楽でもそう、どんなことでもそう。私達は、ものを受け取る際に、しっかりそのものを受け取る訓練をしなくてはなりません。訓練とは、楽しむ為に深く思考することです。美しいと言われているものを美しいと言いたいがために見るのではなく、楽しいと言われているものを楽しいと言いたいがために楽しむのではなく。

 

 人間は、高度な環世界移動能力をもち、複数の環世界を移動する。だから一つの環世界にとどまること、そこにひたっている事ができない。これが人間の退屈の根拠でした。

 でも、人間はその環世界移動能力を、著しく低下させる時がある。それは、何かについて思考せざるを得なくなった時です。人が自らその環世界に向かって不法侵入し、それが崩壊する時、その何かについての対応を迫られ、思考し始めます。思考する時、人は思考の対象にとらわれます。退屈は消えるのです。

 

 本書の最後に、著者はこう書いています。

 環世界にとどまる事ができるようになった人、消費ではなくものを受け取る事ができるようになった人、思考することができるようになった人は、ある時、何かおかしいと感じさせるものに出会うかもしれない。

 何かおかしいと感じさせるものを受け取り、それについて思考し続けることができるかもしれない。

 退屈とどう向き合って生きていくかという問いは、あくまで自分に関わる問いである。

 戦争、飢餓、貧困、災害。私達の生きる世界には、退屈すらできない生を生きる人がいる。私達はそれを思考しないようにして生きている。

 しかし、退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は、おそらく、自分ではなく、他人に関わる事柄を思考することができるようになる。次に向かう課題は、おそらくそこだろう。

 

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 これで、この本についての読書記録は終わります。長々と引っ張ってしまってすみませんでした。最後までお付き合いくださった方、有難うございました。

 

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