書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

不満は人を苦しめる

 以前にこんな記事を書きました。

oinor-i.hatenablog.com

 ここで言及させて頂いた方のお子様は、中2から2年間不登校でした。ですが、この春、晴れて通信制高校に進学が叶い、元気に登校されているそうです。

 にも関わらず、この方(お母さん)は、「私の心が病んでいる」とブログ記事を挙げておられました。「娘はもっと出来る子。通信制ではなく全日制高校に行かせるべきだったのでは?」という思いがあるからだそうです。

 2年間の不登校期間を経て、無事に通学できるようになったのだから良かった、、、とはならず、「通信制高校に行くなんて、本来の娘のポテンシャルからしたら、おかしい。娘は全日制高校に行けるレベルの人間なのに。悔しい」と思うようになってしまった。それで心が苦しい、と。

 

 この方は、いつも「私が悪いんです。私が間違っているんです。それは分かっています。私を叱って下さい」という書き方で、自分責めの文章を書かれます。なので、おのずとコメントには、「そんな事ないです。お母さんは頑張っておられます」「元気出して下さい」「落ち込む事は誰だってあります」「あなたは悪くない」といったあたたかい言葉ばかりが寄せられます。

 そういう言葉が欲しくて、そういう記事を書いておられるんだなあ。勿論、それが悪い事だとは思いません。読者の方に慰めて欲しい、という思いが強い方なんだな、それだけしんどいんだな、と思います。

 

 話を変わるようですが、BSドキュメンタリーで、ウクライナで子育て中のお母さんが取り上げられていました。小さな子が3人いて、現在も妊娠中で、夫はすでにどこかに行ってしまっていなくて、一人で子供を養っていました。家はボロボロで、家の外は爆弾で壊された建物ばかりで、外に出ると普通にミサイルが飛んでくるという環境で、地面はいつも冷たく湿ってジメジメで。先の見通しなど何もなく、頼れる人もいなく、その日暮らし。

 

 結局のところ、上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。当たり前の事ですが。

 それでも、現状に不満を感じてしまう時というのは、誰しもあって、理由は2つあると思います。

 1つ目は、自分が「こうであろう」と思っていた状態と、現実とが食い違っている時です。それが、最初から想像していない高いレベルになくても、別に不満は感じないけれど、この程度はあるだろうと思っていたレベルに達していないと、人は不満を感じるのだと思います。

 このお母さんも、娘さんは全日制高校に行き、そこそこ優秀な大学に行き、そこそこ立派な職につくのだろう、と想像していたのだと思います。

 2つ目は、自分に罪悪感がある時です。罪悪感というか、「あの時の自分の言動は間違っていたのでは」という思い。失敗した、という思い。「今、不満な状態にあるのは、過去の自分のミスが原因だ」という思いがあると、人は現状に不満を感じるのだと思います。ミスさえしなければ、という後悔が、自分に現状を満足させないのです。

 このお母さんは、不登校前も不登校中も、数々の「子育てにおける間違い」をやってきたと書いておられました。

 

 不満が人を苦しめる以上、不満は持たないようにしなければいけません。

 不満の原因となる➀と➁を、持たないようにすればよいわけです。

 自分をとりまく状況について、常に、最低を予測し、また自分のミスについては、やってしまった事は取返しがつかないのでスッパリ諦め、次回から二度と同じミスはしないと心に刻む。

 要するに、万事割り切る、という事です。

 言うは易し、行うは難し。でも、自分が苦しまない為には、割り切らねばならんのだろうと思います。

 

  

ちなみに、この方については、過去にこういう記事も書きました。

oinor-i.hatenablog.com

 この方は、「来院してみては?」と読者に言われ「来院して障害と診断してもらったとて、それが何になる? 障害名を言い訳にして生きていくなんて、、。少なくとも今は来院すべきとは思わない」と書いておられました。

 あの時、来院してたら良かったのに、と私は思います。障害名こそつかなくても、親を含め周囲が、娘さんの生きづらさの原因を知る事が出来れば、それこそ全日制高校に通う事も可能だったかもと思います。

 障害児である私の息子が全日制高校に通えたのは、息子の生きづらさを学校が理解し配慮してもらえたからです。

 この方の娘さんも、周囲からの適切な配慮があれば、全日制高校に通えたかもしれません。

 彼女は当時、「障害を言い訳に甘えるような事はしたくない」と書いておられましたが、確かに潔くかっこいいですが、、。

 結局、思ったように生きられなくなり、「こんなはずじゃ」となるのであれば、障害を言い訳にしてでも、思う通りの人生を生き抜くほうが良いのではと私は思います。

 

 これも割り切りですよね。私達は、色んな事を、ひとつ一つ割り切りながら、なんとか頑張って生きるしかないのだと思います。割り切れない程大きな重荷が来たとしても、それでも必死で割り切るしかない、そう思います。

 

追記:

最近、久々にこの方のブログを拝見して驚きました。お子様はお亡くなりになったそうです。詳しい理由は伏せておられたので、よく分かりませんでしたが、何らかのご病気が原因だったとの事です。大変残念です。お悔み申し上げます。こういう事があると、胸が苦しいですね。ほんとうに。