書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

まず結論から言って。

 時々、誰かと話していて、「まず結論から言って」と言いたくなる事があります。絶対に言いませんが。

 

 結論から言って、という言葉が出る時の状況には、いくつかあると思います。

 一つ目は、話し手が、結論ではなく過程を説明したい時、です。

 以前、私はよく夫から、「結論だけ言って」とパシッと言われたものですが、私がまさにこのケースでした。複雑で煩雑な過程の把握は誰にとっても負担ですよね。だから「結論だけ言って」になる。

 私は今は夫に話しかける時は、極端なほど、結論しか言いません。家族にとって不都合な結論であっても、過程を聞けば致し方ないと分かるような話は、過程を説明できないので、そもそも夫の耳には入れません。過程の把握を夫に強いる事は無理なので、仕方ないんですね。それでも家庭生活まわっているので、問題はないようです。

 

 二つ目は、話し手自身が話の筋道を理解していないか、自分に都合よく捻じ曲げてしまっている時、です。

 話しながら自分が言いたい事を整理する人は、「他人に聞かせる」ことを利用しないと、自分の頭を整理することが出来ないんですよね。あと、話を自分都合で捻じ曲げてしまっている人もいて、これらの人達の話は、要領が得ず、まわりくどく、行ったり来たりがあり、なかなか結論には至りません。よって「結論だけ言って」になる。

 私の母がこのケースです。

 

 三つ目は、話し手が、自分に都合の良い事だけを言い、都合の悪い事は伏せる時、です。

 これだと、話の筋道を追って聞いていても、不自然に飛んでしまい筋が通らなくなります。「え?なんでそこがそうなるの?」と疑問だらけで、ついていけなくなります。よって聞き手は疲弊し「もう結論だけ言ってくれたらいいよ」となる。

 私の姉がこのケースです。義母もそうです。

 

 四つ目は、話し手が、言いたい事を的確に表す表現を見つけられず、右往左往する時です。

 言いたい事はハッキリと話し手には分かっているのだけれど、語彙力や表現能力が低い為に、それを的確に言い表せず、ああでもないこうでもないと同じ事を何度も言うような場合、「結論は?」と急かしたくなる。

 私の息子がこのケースです。

 

 私は読書が趣味ですが、何かを読んでいても、「結論だけ読んでおわろう」と思う事が時々あります。これは、私に忍耐力がないからです。あとは、その文章のテーマに自分が全く興味が持てない時や、文体が苦手な時も、結論に飛びたくなります。

 

 結局、どんな話し手・書き手であろうと、聞き手側・読み手側に忍耐力があれば、お付き合いできるのでしょう。お付き合いする事が良いかどうかは、また別の話ですが。

 私は年とともに忍耐力がなくなっており、丁寧に最後までお付き合いするのは息子に対する時だけとなりました。これはもう、死ぬまで貫くつもりです。

 

 かくいう私自身のブログも冗長なので、「読みづらいわ~、結論だけでいいわ」と思われていそうで申し訳ないです(笑)。ではではまた~