『自分の環境に満足してない』
『自分は我慢しているのに』
『本当は自分もそうしたい』
『単なるストレス発散』
こういう気持ちからの行動ではないか?
う~ん、そうかな?というのが、私の意見です。
むしろ誰かから批判された時に、その批判を受け取らない人は往々にして、上記のような事を挙げる傾向にある気がします。
これは個人的な見解ですが、私が面と向かって誰かを批判する理由は完全に一択で、「迷惑をかけられている」時です。迷惑さえかけられていなければ、その人が何をどうしようとどうぞご勝手に、と思います。
例えば姉から、延々陰謀論界隈の長いLINEを頻繁に送られると、迷惑なので、「あなたのやっている事は迷惑なので止めてくれ」と言います。姉は激怒しまして、私のことを「真実が見えない頭お花畑な愚か者」と言ってきます。でもそれに対しては何も言い返しません。実質的な被害である「陰謀論LINEを送られる」を止めてもらえれば、それで良いからです。
姉は、私が受け取り拒否する理由を、上記のように考えているようです。「自由に生きている私が羨ましいんだろう」とかよく言われますからね。
誰かから批判された時に、自分自身がとるべき姿勢は、その批判が正当なものかどうかを冷静に吟味する事で、正当だと思うなら苦しくても受け取るべきでしょう。受け取りたくない人は、上記のように考えて、自己正当化を図るのかなと思います。
また、批判が的外れであるならば、ただ受け取らねばいいだけで、わざわざ上記のように考えて、相手を侮辱する必要はありません。ただ、受け取らない、それで由です。と私は考えています。
では2つ目の記事。こちらの内容も、短く引用させて頂きます。
人間には、「やってはいけない」と思うと、むしろそれをやってしまうという心のシステムがある。だからその習性を逆手にとって、「やるべき事」を「やってはいけない」と思うようにすればよい。例えば、ジム通いを続けたいとしたら、「ジムに行ってはいけない」と思うようにする。勉強をやりたいなら、「勉強をやってはいけない」と思うようにする。そうすれば、自然と望ましい行動をとれるようになる。つまり、望ましい行動の逆張りをすれば、逆にその望ましい行動が自然にとれるようになる。
これは民間カウンセラーさんの記事なのですが、なるほど理にかなってはいます。
ただ、1つ問題があって、これを実現させるには、本当に心の底から「逆張り」を「真実」だと自分に思い込ませなくてはいけません。これって、可能でしょうか?
口で「私はジムに行ってはいけない」と唱えるだけでは無意味で、本気で心底それが真実だと思い込まねば、この心の逆張りシステムは成立しません。
でも、本心では「ジムに行くべき」と思っているのに、意識の力で「ジムに行ってはいけない」と思い込む事は無理です。できない事です。だとしたら、この逆張りシステムは実行不可能だと思います。
こういう実行不可能な案を、便利な心理システムだとして、提唱されるカウンセラーさんが多いですが、害が大きいなと感じます。なぜなら、実行不可能なのに、実行できるように言うからです。真に受けた素直は人は、うまくいかないのは自分のせいだと苦しむでしょう。それが、そもそも実行不可能だとは思わずに。罪が深いですね。
最後に3つ目の記事について。内容のかいつまんだ引用はこちらです。