書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

つじつまが合う。

 書き忘れていたのですが、この3月に、とうとう義母が我が家に滞在されました。以前は毎年、GWに来られていたのですが、コロナで延期を繰り返しており。で、とうとうこの春、来られた、という次第です。

 五芒星巡り効果でしょうか、あれほど嫌だった義母の滞在が、今回は全く苦に感じませんでした。実際のところ、我が家に泊まられたのは二日だけで、後は、関西を起点にあちこち旅行された、というのもあります。

 その旅行に、私はついて行かず、夫と息子と、一緒に来た義弟が付いて行きました。なのでその間、私は家でのんびりできたというわけで、負担もありませんでした。

 あっという間に来られて、あっという間に帰られた、というのが、今回の印象。以前は、十円ハゲが出来たほど、負担だったのですが。変われば変わるものです。

 

 今回、驚いたのは、義母の小旅行に付き合ってきた息子が、帰ってくるなり、「全然楽しくなかった」と言い放った事でした(義母のいない所で)。息子は以前は、義母になついていたので、これほど義母を嫌うのは驚きでした。

 義母は、とにかく何をさせてもグズグズする人で、義母がいると、何一つさっさと進まないのですね。私もこの義母のグズグズ癖が一番苦手で、だから義母には近づかないようにしているのですが、今回息子はこの義母の欠点をまざまざと感じ、ほとほと嫌気がさしたようでした。

 特に義母は、誰かが自分を待っていると分かっていると、余計にグズグズするという悪癖を持っています。わざとじらして楽しむのですね。相手を待たせる事で、自分を重要人物だと思えるのでしょうかね。これは夫もよくやります。私は、夫ともできるだけ行動を共にしないし、夫がグズグズしだしたら、待たずにさっと離れます。今回は義母に対しても、そういう風に対応しましたので、私は被害には合いませんでした。

 でも、息子はもろに被害を被ったようでした。

 例えば、駅に着いて、これから昼食を取ろうという時に、急に義母が駅のお土産屋さんで、お土産を見始めたそうです。昼食の時間をとうに過ぎており、若い息子はお腹がペコペコだったのですが、義母はわざと見たくもないお土産を延々見ていたそうです。

 息子がその話を私にした時、ちょうど義母もその場にいましたので、息子に謝ってくれるかなと思ったのですが、とんでもない。義母が発した言葉は、「○○ちゃん(息子のこと)が、早くお昼を食べに行きたいと思っている事は、お祖母ちゃんはお見通しだったのよ。だから、わざとゆっくりお土産を見たのよ」でした。

 え???嫌がらせですか?なんのために?

 とにかく、小旅行の間中、義母はこのグズグズ癖を続けていたそうで、息子は義母が大嫌いになったのだそうです。さもありなん。

 小旅行から帰って来た息子いわく、「もう二度と義実家には行かない」とのこと。以前はあれほど楽しみに行っていたのに。

 一応お断りしておくと、私は息子に対して、義母の悪口や批判は、言った事がありません。だからこそ今まで息子は、お祖母ちゃん大好き、だったわけですが、ここにきて、それが、お祖母ちゃん大嫌い、に反転したのでした。

 

 なんとも感慨深い。

 私は以前から義母のことが苦手で、理由は様々ありますが、一番はなんといってもあのグズグズ癖でした。それを誰に言っても、理解してもらえず、「とはいえ、ご主人を産んでくれた人なんだから、大事にしないと」的な苦言を呈されるのが常でした。

 だから自然、私は誰にも義母の愚痴は言わないで来ました。息子にすらも。ところが、今回、その息子が、私と同様に、義母のグズグズ癖にウンザリし、義母が苦手になったのです。

 やっと理解者が一人、できた。

 喜ぶべき事ではないかもしれませんが、私は少し嬉しかったのでした。

 

 義母のグズグズ癖は、例えばこんな感じ。

 お風呂に入るという「行事」だと、お湯のきれいなうちに、最初に入って頂きたいのですが、「お風呂湧きました、どうぞ」と声をかけても、グズグズし、入るとも入らないとも言わない。お湯が冷めてしまうので、とりあえず息子を先に入れ、夫も入り、「次、お義母さんどうぞ」と声をかけてもやはりグズグズでらちが明かない。仕方なく私が入り、出て来て「おまたせしました。お義母さん、どうぞ」と声をかけてもやはりグズグズ。さすがに夫が怒り「入らないとお湯が冷めるから」と言うと、やっと腰をあげ、着替えなどを持って立ち上がるものの、そこからまたグズグズが始まるんですね。着替えを持って、リビングのど真ん中で立ったまま、なぜかそこからテレビを見始める。そして番組について何事か喋り出す。その状態が延々30分。「ご覧になりたい番組なら、録画しておきますから、お風呂どうぞ」と言っても、「ああ、うん、ええ」とか言って、動かない。

 ボケてるわけではなく、若い頃からお義母さんという方は、こうだったのです。

 

 すでに他界されましたが、お義父さんは、むしろせっかちなタイプだったので、どうやって生活していたのだろうと思い、一度お義母さんに尋ねた事があります。

「お義父さんとは生活のペースが違ったのではないですか?」と。するとお義母さんの答えはこうでした。「お父さんが私をせかしてくると、『ああ、胸が苦しくなってきた。心臓がドキドキしてきて息苦しい』と言う事にしていた。そう言うと、お父さんは諦めて何も言わなくなるから」と。

 それ、仮病ですよね。。

 

 お義母さんに対する違和感は沢山あるのですが、いちいち書いても仕方ないので割愛します。

 一番気分がよくないなあと思うのは、我が家に滞在する直前に、どかんと物を送ってこられる事です。「ちゃんと世話しろよ」と言わんばかりに。お世話かけますね、というお気持ちがあるなら、むしろ、我が家に滞在した後に、御礼として物を送って下さるのが筋だと思うんですよね。

 私の父は医者ですが、患者さんが手術の前に、物やお金を持ってこられる事を、とても嫌っていました。「これだけ渡すのだから、ちゃんと手を抜かずに手術しろよ」と言われているようで気分が悪いと。そんなものを渡されなくても、仕事なんだからちゃんとやるのに、信用していないのだなと。本来、御礼の気持ちを示したいなら、手術が終わって全快してから、渡すのが筋だと言っていました。(父はわりと高潔な人だったので、いずれにしても、患者さんが何かを持ってこられても、お断りしていましたが。)

 お礼というものは事が終わった後に渡す物、事の前に渡すのは袖の下だと思います。

 さすがに父の場合と違い、私は義母が送ってこられるものを、受け取り拒否はできませんが、出来ることなら拒否したかったです。我が家に滞在する直前以外にも、義母は事あるごとに物を送ってこられるのですが、それは私の、大きな心の負担になっていました。何て言ったらいいのか、、、。とにかく嫌で嫌で仕方なかったのです。これを他人様に言うと、100%私の我儘だと言われるので、誰にも言いませんが。

 

 お義母さんには、二人息子がおり、それぞれに一人づつ子供がいるので孫も二人。嫁も二人。で、二人の嫁(うち一人は私)が二人とも義母と距離を置いています。また、二人の孫(うち一人は私の息子)も二人とも、義母と距離を置いています。私の息子は以前は義母大好きだったのですが、今回とことん苦手になったようです。もう一人の孫さんは、随分以前から、義母を苦手とし、全く義実家には寄り付きません。その母親(嫁)もしかり。

 

 さてさて、長々と愚痴を書きましたが、義母はもう80歳を超えました。おそらくもう二度と我が家に滞在する事はないと思うので、ある意味、嫁の務めもこれで終わりです。頑張った、私。30年以上、心の重荷であった事は間違いありません。

 息子が障害児だと分かった時に言われた言葉は、一生忘れません。「うちに障害の血はないから、原因はあたなの家の側にある」「ちゃんと先祖供養をしないから、そんな子が生まれる」「(近所の目があるから)もううちには来ないで」

 息子がとても愛らしく、普通の子供に見えたという事と、成長するにつれ優秀になっていった事で、手の平返したように、「○○ちゃん、○○ちゃん」とベタつくようになりましたが。最初は、何かの罪、何かの罰のように言っていたのでした。

 思うに。お義母さんには悪気はそんなにないのでしょう。ただ、単純な人なんだなあ、と思います。そういう方と、ご縁を繋いでしまった私は、どういう人間なんだ?と考えてしまいます。なんらかの理由があるのでしょう。でも、とにかく頑張った私。誰にも共感されないまま、長年の違和感を抱きつつ、義母と付き合い続けた自分をねぎらいました。

 いい事も、悪い事も、何事もいつかは終わるのですね。

 私ももう50代後半。これからは色んな事が、答え合わせのように、1つ1つ終わっていくのでしょう。それはきっと、面白い、興味深いことでしょう。

 今回、我が家への滞在の最後の最後に、あれほどかわいがっていた孫から、きっぱり拒否されてしまった義母。息子の障害が分かった時に、最初に息子を拒否したのは義母のほうです。拒否した人間に、拒否された。見事な答え合わせですね。

 人生というのは、理不尽なようでいて、長い目で見ると、いちいちキッチリつじつまが合っていくものなのかもしれません。

 そう思うと、思わず背筋が伸びる気がします。私も、これで人生すごろく上がり、みたいなダルイ事を言っていないで、頑張らないと。

 息子の新学期が始まります。さあまた、神経を使う日々の再開です。

 ではまた~