書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

安心させてあげたい

 最近、ふと湧いてきた自分の気持ちに、驚いた事があります。

 ふと「息子が幼児の頃の子育てが、とても愛しい」という気持ちになっていたのです。

 あれほど苦しかった子育てなのに、今振り返ると、胸がいっぱいになるほど幸せだったと思えるのは、何故なんだろう。

 2~3歳の頃、毎日公園に出かけ、木が生い茂った隙間に入って行く息子の後を必死で追いかけた事。高い塀の上を歩こうとするので、落ちないように支え続けた事。大阪城公園内の遊具広場で、長い滑り台を一緒に何度も繰り返し滑った事。1人で遊具に登れないので一緒に登って支え続けた事。あれもこれも思い出され、愛しさで胸が押しつぶされそうになるのは、どうしてなんだろう。

 あの時は、「明日こそ死のう」という思いを支えに、日々をなんとか過ごしていた、それほどきつい時間だったのに、今思い出すと、もう二度と経験できない幸せな日々だったのだと思えるのはどうしてか。

 おそらく、あの頃の私の苦しさの根源は、息子の将来が見えない事だったのだと今になって気づきます。発達障害児が大人になった場合、どういう人生になるのか、まだその先例が全くなく、医師ですら確たることは言ってくれず。自立できそうもない息子を育てる事に、不安しかなかった、それが苦しさの源だったのだと思います。

 今、大学4回生になろうとしている息子は、落ち着いた真面目な性格と、得意の記憶力で、自立して生きていく足がかりを得ようと頑張っています。おそらくなんとかなるのではないか、と思える段階まで来ました。

 今の私は、幼児期の息子を育てながら苦しさにあえいでいた、あの頃の私に、言ってあげたい。大丈夫だと。ちゃんと生きていけるようになる、と。だから安心して育てていい、と。一度しかない幼児期を、楽しんで育てたらいいのだと。

 もう一度、小さい頃の息子の笑顔を見たいと思いました。心の底から私を信頼してくれている目。幼児の頃にあった、息子と私の特別な絆。当時の私が「安心して大丈夫」と思えてさえいたら、不安感から感受性を麻痺させる事なく、息子の正味の愛らしさを感じられたでしょうに。

 

 下の記事は、わずか5年前に書いたもので、息子が高校生だった頃のものです。当時ですら私は、息子の将来に不安しかもっていなかったのだと分かります。

oinor-i.hatenablog.com

 今、息子はとても逞しくなって、息子なりの花を咲かせようとしている事を、当時の私に言ってあげたい。そして、安心させてあげたい。

 

 

 このブログを書き始めた頃、私はまだつらい育児の途中でした。ブログのテーマは、「発達障害児育児の苦しさ」でした。でも今やっと、そこから抜け出せたような気がします。目を覆うような惨めさと、思いがけない幸運と、助けてくれた方々の力と、私のみっともないクソ根性と、息子の真面目な頑張りが、今を作ったのだと思います。

 幼児の頃のあんなに頼りなく、それだけに可愛かった息子が、今の逞しい息子になった事を、少しだけ寂しく思えるほど、今の自分は安心できているのだと思います。