書くしかできない

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子供が虐待されるのは当たり前

 酷い事件ですが、公けにされていないだけで、巷によくある事なのだと思います。

【速報】静岡・裾野市の保育園で元保育士3人が暴行容疑 園長を犯人隠避の疑いで市長が刑事告発(テレビ静岡NEWS) - Yahoo!ニュース

 

 保育園の3歳児クラスは、一人の保育士で定員20人。4歳児クラスは30人だそうです。この人数は多すぎると、はるか昔(30年前)から指摘されていて、政府も改善を約束しているのに、いっこうに改善されないまま、今に至ります。

 また、保育士のお給料が安過ぎる、という指摘もされ続けていますが、改善されません。

 小さい子供を育てた事のある人なら分かると思いますが、子供一人世話するだけで、どれだけ疲弊するか。どれだけ重労働か。感情労働か。ストレス満載になるか。

 それを、20人。30人。一人の人間が世話する。

 無理でしょう、と私は思います。

 心の弱い人は、ストレスを抱えきれず、当たりやすい目の前の幼児を虐める事で、自身のストレスを発散するのです。

 こういう事件は、起こるべくして起こっただけのこと、だと思います。個人を責めてもしょうがない。どう考えても、今の日本の保育園の現状は、保育士による幼児虐待を招くように出来ています。

 間違いなく、多くの保育園で、程度の差こそあれ、同じような事が行われていると私は思います。

 心が強い人は、過剰なストレスを抱えながらなんとか耐えて働いている。弱い人は、子供を虐待する事でストレスを逃しながら働いている。それだけのことです。

 保育士による幼児虐待はけしからん!と怒る人に、私は言いたいのです。

 いや、全然、想定内でしょう、と。

 保育士さんのストレスは、大きすぎるんだから、幼児虐待が起こっても仕方ないでしょう、と。

 

 弱い人は、ストレスを抱えると、自分より弱い存在を虐めて発散する。それが人間性というものです。

 弱い存在の代表が、乳幼児であり、高齢者であり、障害者です。

 弱者虐待という悲惨な事件を防ぎたければ、弱者のお世話をする方々の待遇を改善し、お給料を上げ、彼等のストレスを減らしていかねばなりません。でなければ、弱者のお世話をする人達による、弱者虐待はなくなりません。

 これは、親による子供への虐待も同じ事です。

 虐待する人は必ず「しつけのつもりだった」と言いますが、そんなわけはない。ただの自身のストレス発散です。そういう人達には、ストレスを溜めさせてはいけないのです。そういう人達は、感情で動いているので、モラルでは止められません。

 子供を叩く親が一定数いるのと同じで、園児を叩く保育士さんも一定数いるのです。自分のストレスに負けてしまう人は、母親であれ保育士であれ、目の前の子供を叩くのです。そうやってストレスを発散させて、つらい子育てを続けるのです。

 

 私の子供が幼児だった頃、それまで働いていなかったお母さん達が、子供を保育園に預ける為に、パートを始めるのをよく見ました。パート代は、そのまま保育園代になるのですが、それでも構わないそうで。子育てより仕事のほうがラクだから、と。

 働かなきゃいけない事情があるから、子供を保育園に預ける、という母親ばかりではないのです。子供を保育園に預けたいから働く、という人も結構いるのです。

 そういう人は、自分は子育てに向いていないから、プロに任せたほうがいい、と口を揃えて仰ってましたが。子育てにプロも素人もないし、向いてる向いてない、もありませんよ。ただ、子育てから逃げてるだけだなあ、、と私はぼんやり眺めていました。

 子供を保育園に預けたいから働く、と言っていたお母さん方の中には、「子育てが辛過ぎるから、自分が育てていたら虐待してしまうから、保育士さんに任せる」と言う人もおられました。何故、保育士さんは虐待しないと思うのか、私は不思議でした。

 一億総「子育てから逃げる」国民ですから、子供が虐待されるのは当たり前。私はそう思います。

 

 もう30年も、保育の現状を改善するべきだと指摘され続けて、全く改善がされないわけですから、今後も、声だけ上がるだけで、改善はされないでしょう。

 そのうち、少子化が進み、子供の数が激減する事で、この問題は解決するのかもしれません。

 私個人としては、そうなるべきだと思います。少子化が進み、日本の国力が地に落ちて、最悪、日本という国がなくなったしまっても、構わないと思っています。

 弱者救済が出来ない国は、むしろ滅びるべきです。

 

 何故ならば。人はその人生で、普通2回、弱者になるからです。乳幼児期と高齢期です。場合によって病気や事故で、障害者になる可能性もあります。

 誰しもが必ず弱者の時期を通るのです。

 そして、運が悪ければ、弱者である自分を世話してくれる人から、虐待を受けるのです。

 この国では、「弱者のお世話」という仕事の価値は低く、無給か低給です。常に人手不足で過剰労働です。ストレスは尋常ではなく溜まります。心が強い人は、そのストレスを抱えたまま耐えて働きますが、心が弱い人は、弱者を虐める事でストレスを逃がさなければ働けません。

 国は、「弱者のお世話」という仕事に対し、正当なお金を払う気もないし、待遇を改善する気もありません。

 従ってこの国では、多くの一般の国民は、人生で2回、虐待を受ける可能性があります。その可能性は、決して低くはありません。国民が大なり小なり虐待を受けているのに、国を存続させる意味が、私には分かりません。国民を救う事ができないのであれば、国の形態を保っている事に、何の意味があるのでしょうか。

 

 虐待は、高齢者施設でも大なり小なりある事だと思いますし、障害者施設ではよく聞く話です。発覚するたびに、非難の声が上がりますが、状況が改善する事はありません。それをしっかり認識し、自分や家族が被害者にならないよう、気を付けていくしかありません。

 

 親御さんを責めるのは、ちょっと違うとは思いますが。

 保育士から虐待を受けたお子様の親御さんは、お子様の異常に、気づかなかったのか、私は不思議でなりません。

 たとえ言葉でまだ話せない子供でも、そこまでの虐待を受ければ、いつもと違う様子を見せるのではないでしょうか。園に行きたくないと言うでしょうし、夜泣きをしたり、体調を崩したりもするでしょう。

 そもそも、20人もの3歳児達を、たった1人のお大人が、1日中面倒を見るという事に、不安は感じないものでしょうか。

 

 1人の大人が、3歳児を安全に面倒見れる人数は、せいぜい5人までだと思います。これ以上になると、目が届かないし、子供からの要求にこたえられないし、そもそも一人一人の子供の状況把握も出来ません。20人なんていうのは、とんでもない人数です。私なら、不安になります。1人に20人見させる日本の法律が、おかしいと私は思います。

 

 私は、息子を、私立の少人数の幼稚園に入れました。別段、お勉強などはしないで、一日中遊んでいるだけの自由保育の園で、1クラス15人程度で、担任の先生にプラス2人の補助員さんがいました。息子は、週の半分は療育に通っており、療育では私が付き添うか、先生とマンツーマンでした(子供5人のクラスなら、先生も5人)。

 幼稚園は、9時から2時までと短時間でしたし、私自身PTAの仕事で、よく園に顏を出し、息子の様子を確認していました。

 少人数の手厚い幼稚園でしたが、私が見ただけでも、先生による子供の放置はよくありましたし、叩かないだけで、「それはどう考えても虐待でしょう」と思われる状況も見ました。

 これが現実です。私に出来る事は、息子が虐待されないよう、見守るだけでした。だからPTAは三年間ずっとやりました。それでも、私の目の届かないところで、息子は一度だけ、虐待じみた扱いを受けたそうです。

 着替えが上手く出来なかったので、「一人で着替えできるまで」倉庫のような部屋に閉じ込められたそうです。障害児ですから、バツを受けたところで、出来るようにはなりません。障害児である事も、一人で着替えが出来ない事も、強制しても意味はない事も、園には伝えていたし、それを承知で預かって頂いてましたが、こういう事をされました。

 当時、息子は言葉が話せず、私は息子が倉庫に閉じ込められた事を知れませんでした。大人になってから、「こういう事があった」と息子から聞き、怒りで震えました。

 幸い、当時の息子は、感覚もにぶく、閉じ込められた事がそこまでのトラウマにはなっていないようですが、それでも嫌な記憶として、彼の中でずっと残っています。一生消えないでしょう。

 今になって息子から聞いても、当時の先生方はもう誰も残っていませんから、苦情も言えません。

 どんなに素敵な園でも、虐待はあるんですよね。その園は、外から見たら、とても良心的な園なのですから。

 人間なんて、弱いものです。つくづくそう思います。