書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

優しさはバランス

 「子供のことは放っておいて、親が自分を優先して満たしていけば、子供は勝手に良い子に育つ」みたいな発信を、またしても見てしまい、相変わらずだなあと思いました。

 私は、子供に対しても、誰に対しても、「優しく」ある事が、結局のところ、難を逃れ物事がうまくいく秘訣だと思っています。

 そして、優しさというのは、バランスだと思っています。

 子育てで言うならば、上の発信のような「放任放置」でもなく、かといって「過干渉」でもない、いい具合のバランス感覚を子供との間にとり続ける事だと思います。

 

 人間の心というのは、シーソーのようなものだと私は思っています。

 一人一人が心にシーソーを1台持っている。

 放任放置も過干渉も、子供のシーソーのどちらかの端に、親がどっかりと座り込む事です。親からしたらラクなのです。シーソーの端に座ってればラクですよね。

 でもバランスを取り続けるというのは、子供のシーソーの中央にいて、右にも左にも傾けず、良い具合に平行を保ち続ける事なので、しんどいわけです。

 子供の心の状態次第で、右が重くなる事もあれば、左が重くなる事もあり、その都度平行を保つ為に、親自身の位置や重心を、調整する必要があります。

  「常に放任放置でいいのよ~」では、子供のシーソーは一方に傾いたままで動かなくなります。「過干渉」も同じ。放任放置とは反対の側に、親がどっかり座り込みテコでも動かん!状態。これらは子供からしたら、とてもしんどい状況です。子供の心は身動きとれません。シーソーは、基本的に平行を保たねば、動く余地がなくなります。

 

 自分の親とのバランス、他人とのバランス、社会とのバランス、どれも同じ事じゃないかな。バランスをとるというのはしんどい事だけれど、それが優しさなんですよね。我を抑え、相手をよく見て、相手に合わせる。そうやってうまく、相手の心のシーソーが、常に平行を保てるよう調節し続けていれば、大きな問題は起こらないように思います。

 

 こういう優しさは、もちろん自分に対しても行うべきで、自分に対しても優しくあるべきですね。じゃないと、病気になりますから。心がけたいです。