これは息子だけの特徴なのか、それとも発達障害の特性なのか、定かではないのですが、ある種の察知能力(?)のようなものがある気がします。
良い事ではなく、悪い方向で。
どういう事かというと。
息子は、私が「それだけは止めて欲しい」「それだけは聞かないで欲しい」という、私がピンポイントで「それだけはイヤだ」という事を、したり、しつこく聞いてきたり、するんですね。
例えば。
私が何かに熱中し始めた瞬間をまるで狙ったかのように、何かを頼んで来る。例えば、本を読み始めて、面白くなって熱中し始めた瞬間に、「あれやれ、これやれ」を言ってくる。読み始めた瞬間なら、中断するのは容易で気にならないけれども、読み始めてしばらくして、さあここから面白くなる、と私がのめり込み始めたその瞬間に、毎回何某かを頼まれるんです。これ、本当に毎回です。
息子本人には、嫌がらせをするつもりは全くないと思うので、どうしてなのか不思議でなりません。
他の例としては。
私は、私の困った身内のことは、気にしないように考えないように心がけていきています。何故ならば、私にはどうしようもない事だからです。例えば、姉のこととか、私は考えると姉に何かを言いたくなるし、生き方を正したくなるので、極力忘れるように心がけています。でないと神経がもたないので。姉の娘の今後についても、同じく、出来るだけ考えないようにしています。考えると怖くなるので。しかも同じく私にはどうしようもないので。
ですが、息子はほぼ毎日、姉のことや姪っ子のことを、私に聞いてきます。過去の細かい出来事や、今現在の様子、今後のことなど、それはそれは重箱の隅をつつくようにして、繰り返し繰り返し、聞いてきます。
私は彼女達のことは忘れたいのに、毎日毎日息子に聞かれるので、忘れるどころか、逆に記憶にしっかり沁みついてしまっています。私が、忘れたい・避けたいと思っている事ほど、聞いてくる。
答えるのがしんどいし、また、私の答えが息子の気に入らない場合は、話が終わりません。いつまでも繰り返し、聞いてこられるので、私は、本意ではない事を言わざるを得なくなります。
息子の中で、姉の話や、姪っ子の話は、彼に都合よく作りあげられていて、事実とは微妙に違うのですが、それを私になぞらせようとするのです。
私は事実そのものを答えるのであればまだ良いのですが(そもそも姉の話題は避けたいけれども、それでも事実を言わせてもらえるならまだマシ)、事実とは異なる事を言わねばならないのが、苦痛なのです。でも、そうしないと話が終わらない。
普通の人だと、相手の雰囲気を見て、ハッキリ言われなくても「これは止めたほうがいい」とか「これは聞かないほうがいい」と察するので、私のこのしんどさは、息子といる時のみ発生します。
息子は、私の雰囲気を見て、察せないというより、逆に、「相手がして欲しくないと思っている事」「聞かれたくないと相手が思っている事」を、無意識で察知し、わざとそこをついてくる気がします。
意地悪というか、ものすごく人間っぽいと言うか、人間の本質にはそういうものがあるのだろうな、と感じます。
相手が嫌がるその部分をあえてつく。そうしたい、という。
以前、大学に入りたての頃、明らかに未婚の雰囲気の50代くらいの女性教授に、息子はいきなり「子供はいますか」と聞いたそうです。なぜそんな事を聞いたのか?と尋ねたら、「気になったから」と。
普通なら、そういう雰囲気の女性には、結婚や子供の話は避けるものですが、息子はあえてそれを相手に意識させる。そういう所があります。これはコミュ力不足というような生易しいものではなく、こういう面が社会からはじかれてしまう部分なのだと思います。
難しいのは、これを息子に注意すると、注意されたという事がトリガーとなって、余計にこういう面が強くなってしまう事です。いわゆる「こだわり」になってしまうんですね。なので、私に対して行われる場合は忍耐の限界まで我慢し、限界を超えた時のみ、さりげなく拒否するにとどめています。また、他人様にやっているのを発見した時は、やんわりとそれとなくほのめかす程度に注意というか、それについて言及します。おそらく本人はピンと来ていないと思いますが、逆に本人がピンときてしまったら、こだわりになってしまい、更に固執するので。
自然に消えない確率99%です。
今日は愚痴になってしまいました。ではまた~
南禅寺の紅葉。綺麗でした。また記事書きます。