書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

社会問題は無視しろ、という意見

 先日、こんな意見を目にしました。勝手ながらご紹介すると、こんな感じです。

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悩んでいる人の多くが、

身の丈以上の大きな範囲の事、

今、その人が考えなくてもいい壮大な社会問題に、

意識を向け過ぎている。

その人が考えても仕方ない

政治のこと、

医療のこと、

経済のこと、

宗教のこと、

あらゆる広義な範囲の、この世の全てを、取り締まろうとしている。

世の中を良くしていくことは、誰かがやらねばならぬことだけど、

それは今、個人レベルであなたがやるべきことじゃない。

壮大な社会問題は、心にゆとりのある人に、任せておけばいい。

 

今悩んでいる人は、大きな社会情勢などではなく、

小さな個人的な今のあなたの問題にだけ、目を向けるべき。

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 仰る事はよく分かるものの。。。

 「今何かに悩んでいる人は、自分の悩みにだけフォーカスし、社会問題まで視野を広げてはいけない」というのは、違うんじゃないかと思いました。

 

 というのも、

 今のその人の悩みが何であれ、社会と繋がっていないわけはないからです。

 例えばその人の悩みが「貧困」であれば、社会にその原因がある事が多いです。自分の貧困だけを見てしまうと、ただただ自分責めか、環境への怨恨を行うしかなく、それは解決には向かいません。

 社会を変える、というほどの事は考えなくてもいいけれど、「この社会の中で、貧困にならずにうまく生きていくには、どうしたらいいのか」は、考えるべきです。

 そして、それを考えるには、社会を見なければ始まりません。自分の個人的事情だけを見ていては、その他大勢の貧困者から、一歩抜け出す事は出来ません。

 

 私の例で言うと。

 息子が障害児ですので、障害者がどうやってこの社会で幸せに生きていけるか、日々考えています。情報も集めるし、人にも尋ねるし、自分でも考えます。

 社会に目を向けず、息子の障害にだけフォーカスしてしまうと、ただしんどい・つらい・お先真っ暗・不安しかない、に終始する事になります。

 障害があってもうまく生きていく道を、血眼になって探す必要があります。勿論、息子の障害も見ながら、一方で広く社会も見て、生きていく道を見つけるわけです。

 社会を見るべきではない、という意見には、私は違和感を覚えます。

 

 確かに、自分の問題を棚上げし、自分の問題から目をそらす為に、現実逃避の目的で、「社会平和」とか「世界平和」とかばかり語る人は、よくないなあと思いますが、だからといって、社会に目を向けず、自分の個人的問題にだけ注視していたら、問題は解決するというものでも、ないと思います。

 

 両方をやっていく、偏りなくやっていく、バランスよくやっていく、という事が、現実的にうまく生きていくには必要な事だと思います。