私はよく、「他人に注意しても無駄」と書いています。その理由は、「人から注意されて、ああそうかと改善出来る人間は皆無だから」と思っているからです。
この件について、桜井識子さんが、ブログに分かりやすく書いておられたので、ご紹介します。
桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba (ameblo.jp)
内容を勝手ながら要約させて頂くと。
完璧な人間というのはいなくて、みんな、何かしら学びつつ生まれては死に、生まれては死に、を繰り返している。その「学ぶ項目」の順番は、人それぞれで違う。
例えば、「感情的に怒らない」という項目と、「人には出来るだけ親切にする」という項目の、どちらを先に学ぶか、というのは人によって違う。
感情的に怒るという学びがまだクリアできていない人が、人には親切にするという項目は既にクリアしている場合もあるし、その逆の場合もある。
なので、誰かの1つの欠点を見て、自分よりも(霊格的に)下だと決めつけてはいけない。その人は、自分がクリアできていない学び項目を、すでにクリアしているかもしれないから。
また、学びは、本人が自分自身で経験しながら進めていくものなので、他人が「注意する」という形で、口出ししてはいけない。口出ししてしまうと、その人の学びの過程を邪魔する事になるから。
なるほどな~。
私の悪癖の1つに、他人の落ち度が気になって仕方ない、というのがあるのですが、気にはなるけれども、本人に直接注意は、しません。最初に書いたように、注意しても無駄だからです。注意されて直せる人なんて、この世に存在しないと思っているので。
でも、注意する事が相手の学びの邪魔になる、という視点は、納得です。
私も、何かを勉強する時、人から教えてもらった事をそのまま受け取るだけでは、全く身につかないなと思っていました。自分から能動的に調べたり整理したり分析したりしないと、勉強は身につかないと。
人生の学びも、同じなんだなあ。
少し話が変わるのですが、よくSNSで、アンチの人に対して「陰でごちゃごちゃ言わずに、直接私に堂々と言ってくればいいのに」と仰る方がいますよね。
あれ、すごく違和感があって。
何故かと言うと、そういう方って、アンチからのコメントは即効削除されるんですよね。つまり、アンチが直接その方に意見しても、聞かないどころか削除しているんですね。だからまあアンチの方は、別の場所で意見を言うしかなくてそうしていると、「陰でごちゃごちゃ言わずに直接私に言ってこい」と言う。。。いや、直接言われたら削除するくせに、ちょっと卑怯じゃないですか?と思う。
そういうのを見聞きすると、私は余計に、本人に直接注意するのは無駄でしかないという気持ちを新たにするわけですが。
もっと言うと、本人に直接注意するのは、その人の学びを邪魔する行為だから止めたほうがいいわけですねえ。。なるほどなるほど。
これはでも、年端も行かない子供の場合は、別なんだろうか。だって、極端な話、子供って、親が注意しなければ、地べたの雑菌だらけのゴミだって拾って口に入れてしまいますからね。排泄も、その場でしてしまうしね。そういう事は駄目なんだと根気よく注意されて、なんとかやらなくなるわけで。
私の場合は障害児を育てているので、障害児もやっぱり例外かも。注意してやらないと、認知の歪みからとんでもない理解をしていたり、悪気なくとんでもない行動をしたりしますから。
でも、子供でもない障害もない人に対しては、注意しないというのが、大前提なんだと思います。
今日はこのへんで。ではではまた~