書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

無頓着でいられる幸せ

 足を骨折してみてつくづく、無頓着に歩けるという事は、幸せだったんだなと感じます。当たり前の話なのですが。

 足を折ってみると、折れた箇所に負担をかけないように歩かないとならず、常に足に神経を向けています。うっかり、折れた箇所に重心をかけてしまうと、激痛なので。。

 折れていなければ、何も考えずに歩けるものを、と思うと、何も考えずに歩ける事、つまり無頓着に歩ける事が、いかに幸せかを実感するわけです。

 (とはいえ、だいぶ回復してきまして、来週には普通に歩けるようになると思います)

 

 歩く事だけではなく、何でもそうですが、無頓着でいられる事は、幸せですね。

 私は経済的には困った事がなく、買い物する際、あまり値段を見ません。よほど大きな買い物なら気にする事もありますが、それでも値段が高いから買わない、という選択はあまりしません。普段のスーパーの買い物だと、まず値段は気にしません。必要なものを、それこそ無頓着にカゴに入れていきます。時々、レジでギョッとするような会計金額になっている時がありますが、それでも、「何が高かったのかな?」とぼんやり思うぐらいで、いちいちレシートをチェックする事もありません。

 幸せな事だなと改めて思います。

 

 一方で、息子や夫、はたまた母や姉など、家族と話す時は、とても神経を使います。言っていい事と悪い事、相手の気分や機嫌などを慎重に見極め、一言ひとことに気を使います。無頓着に話す、という事は、まずありません。

 私が、思った事を無頓着に口にしてしまうと、息子はワナワナする(神経症の症状)、夫は怒って家の中の空気を悪くしこれが息子を神経症にする、母は不機嫌になり不機嫌さをこちらに押し付けてくる、姉はキレる、という感じで、散々な事になりますから。私は一言ひとこと、考えて口に出します。

 これは、不幸なのだなと思います。仕方ないですね。

 

 人は、ある部分は無頓着でいられ、ある部分は神経を使わねばならず、それでなんとかバランスとって生きているのでしょう。無頓着でいられる事に感謝しつつ、神経を使う事については修行だと捉え、自分の大切な人生を大事に生きていきたいです。

 

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