書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

差別と偏見は誰にでもある

 昨日の続きになりますが、メンタリストDaiGoさんが、謝罪を2回行ったという事で。1回目は、「ああ、この人は、本当に他人に謝りたくない人なんだな」というのがよく分かる動画でした。「申し訳ありませんでした」の部分が超早口で、声も小さく、その後すぐに、それにかぶせるような大声で「で、ですね~、僕はこう思うんですけどね~」と自説を並び立てておられました。あれは謝罪じゃないな、と思っていたら、翌日改めて動画を流し、今度は黒スーツにネクタイで、神妙に謝罪の言葉を、丁寧に何度も繰り返して頭も下げていました。誰かにかなり強烈に何か言われたんだな、と思いました。

 DaiGoさんは、ご自身でプラットフォームをお持ちなので、たとえYouTubeから外されても、特に困る事はないはずで、というかすでに年商100億円だそうなので、本日今から無職になっても何らお困りにはならないはずで。だから、YouTubeを続けたくて、お尻に火がついて慌てて謝った、というのではない気がします。

 あと、今回の発言&謝罪も、わりと多くの方が仰っているような「炎上目的」「動画再生数稼ぎ目的」とは、私には思えないです。

 DaiGoさんは、自分が言いたい事を、ただ言い続けているだけだと思います。ご自身の考えにとてつもない自信を持っておられて、誰にも忖度せずに強者の立場で言いたい事を言い、それが、たまたま世の時流に乗っただけだと思います。ホリエモンさんもひろゆきさんもそうですが。

 今回2回も謝罪したのは、理屈で考えて、彼の意見が間違っていると、誰かに徹底的に詰められ、確かに逃げようがないなと、自分の意見は間違っていると認めざるをえなくなって、行ったものだと思います。

 彼は本当に、心の底から、「生活保護受給者やホームレスの人達は、怠け者だ」と思っていたのだと思うし、でもそう発言した後で、誰かに「そうではない」事を徹底的にゴリゴリに詰められ、「確かに、全員が全員、そうだというわけではない」と認めざるを得なくなったのだと思います。

 でも、多分、彼は、本心を言えば、「生活保護受給者やホームレスの人たちの何割かは、怠け者だ」と、今でも思っていると思います。本当はそうではないのに、彼はそう思い込んでいる。彼の偏見は、完全に間違っています。

 でも、そういう間違った偏見を、実は大なり小なり誰しもが持っているのではないでしょうか。

 

 私は今回、DaiGoさんを責める人達を見て、「みんな、そんな善人なんですか?」と疑問に感じました。ヘイトスピーチは駄目だ! 優生思想は駄目だ! 生活保護受給者やホームレスの人たちを差別しては駄目だ! とみんな言うけども。

 じゃあ、自分の家の目の前の公園に、ホームレスの人たちが沢山住み着いても、嫌じゃないですか? 不景気が極まり生活保護受給者が激増して、消費税が20%とか30%に爆上がりしても、嫌じゃないですか? 

 自分の家の隣りに保育園が出来るのさえ嫌がるのに、隣りに障害者施設が出来たら、嫌がりませんか? 

 生活保護受給者やホームレスや障害者が、自分にとっては遠い存在で、自分の邪魔にならないから、差別しないだけで、目の前に来られて生活の邪魔をされたら、やっぱり嫌じゃないですか? 死んでほしいとはまでは言わないまでも、どっか他所に行って欲しい、自分の目に入らない所に消えて欲しいとは思いませんか?

 私は、DaiGoさんの発言を擁護する気はさらさらありませんが、ただ彼は、本当にそう思っていたから、そう言っただけだと思うし、彼のような気持ちは、誰しも少しは心の中に持っているものだと私は思います。ただ、それを口にしないだけの良識があるから、言わないだけです。

 

 私の息子は、中度の発達障害です。彼は、健常児の中で育ち、今も健常者と共に大学に通っています。彼を育てる中で、息子(と私)は、本当に沢山の差別と偏見を受けてきました。今でも受けますよ。先月も、ZOOMでのSGDで、10人ぐらいの生徒が「どういう人が、まともにものが考えられない人か。信用を置いてはいけない人というのは、どういう人か」というグループ討議していた時、まず最初に上がったのが「発達障害者」でした。彼等は、自分達と同じ大学生に(そしてまさにそのグループ内に)発達障害者がいるとは思いもしなかったのでしょう。私なら「重度の認知症患者さん?」とかが、まず浮かびますが、今の若い知的レベルも高い人達でも、全ての発達障害者=重度の知的障害兼精神障害者、という認識なのだと知りました。これを偏見と言わず、何を偏見と言えばいいか。。。

 とはいえ、今の息子は、自分自身に十分に自信を持っていますので、発達障害について世間がどんな偏見を持っているかを知っても、何とも思いません。私もそうです。ただ、発達の遅れが目立っていた中学までは、こういう偏見や差別は、とても辛いものでした。自信を失い、傷つき、前へ進む力を失いかけました。

 でも同時に、世の中の全ての人は、それなりに偏見を持っているものだ、どんなに立派な人でも、優しい人でも、素晴らしい人でも、それなりに誰かを自分より下に見るという事は、あるものだ、という事実を、知りました。

 

 私達人間は、自己中心的な生き物です。自分が一番かわいく、自分が一番正しいと思っています。つまり、自分以外の人間のいくばくかを、心のどこかで自分より下に見ています。自己中心性というのは、つまりは煩悩です。人間は生まれながらに、必ず煩悩を持っているのです。その煩悩の量を減らしていく事が、人格を磨くという事です。でも、どんな人格者でも、煩悩がゼロの人はいません。だから、偏見を持たない人間は存在しないと私は思っています。ただ、人格を磨く中で、その量を減らし、言葉にしないという良識を持つようになっているだけだと思います。

 生活保護受給者やホームレスの人たちや障害者を、自分より下に見ている人達も、実は日本人である限り、白人社会からは差別を受ける存在です。オリエンタルである日本人は、アングロサクソンからは、下に見られています。

 原爆が落とされたのが日本だけ、という事から、これは良く分かります。ドイツでもない、イタリアでもない、日本だけに2つも落とされた。白人は人間だけど、東洋人は人間ではない。だから大量に殺してもかまわないわけです。

 私達人間は、人を差別するし、差別もされる。そういう生き物です。

 本来そういう生き物なのだけれども、できるだけそうしないように気を付けて生きていくしかない。それしか出来ません。

 

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