書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

結果主義で孤独好きな人間は、こうやって生まれる。

 兄弟(姉妹)喧嘩を、親は仲裁すべきか否か。

 仲裁すべきではない(兄弟喧嘩は、親はスルーすべき)というブログ記事を拝読しました。大好きでよく読ませて頂いているナナイロペリカンさんの、この記事です↓

ケンカを叱った後の姉妹の反応の違い : たまご絵日記 ~2児のかあちゃん奮闘記~ Powered by ライブドアブログ (blog.jpし

 

 ナナイロペリカンさんには、小学生の二人のお嬢様がおられて、当然ですが、よくケンカをされる。で、ナナイロさんは、話は聞くけれども、どちらが良い悪いのジャッジはしないのだそうです。

 娘たちが、ナナイロさんに、自分の味方になって欲しがっている事は百も承知の上で、「お母さんは、喧嘩を続けている限り、あんた達のどっちの味方もしない。あんた達が喧嘩を止めたら、味方になってあげる」と言う事にしていると。

 そう言うと、娘たちは、しぶしぶ喧嘩を止めるのだけれども、一瞬で気持ちを切り替えて遊びだす次女さんに比べ、長女さんは、まるで草薙(芸人の)さんのように、いつまでも気持ちを引きずって苦しんでいるのだそうです。

 この記事のコメント欄には、「私も長女で、理不尽に我慢ばかりさせられて辛かった。ナナイロさんは、もっと長女の話を聞いてあげて」という意見が、けっこう寄せられました。一方、数は少ないながらも、「私は次女だけれど、先に成長している長女にうまく立ち回られ、次女こそ理不尽に我慢ばかりさせられて、子供時代は本当につらかった。もっと子供達の話を聞いて欲しいし、必要ならジャッジもしてあげてほしい」という意見もありました。ナナイロさんのお人柄が良いので、荒れた、というほどではないのですが。

 ナナイロさんは、この記事の3個後ぐらいの記事で、「スピルバーグの母親の子育ても、兄弟喧嘩はオールスルーだったんだよ」という内容の記事をあげておられます。

 

 私は、ナナイロさんが大好きなので、これらの記事を読んだ時も、「まあ、仕方ないな」と思いました。

 私自身は次女で、とんでもなく勝手な姉と、放任気味で姉妹喧嘩も当然オールスルーの母との3人家族(父は仕事に忙殺されていて、ほとんど家にはいませんでした)に育ったので、なかなかハードな子供時代でした。

 私は、長女だから我慢させられる、次女だから我慢させられる、という風に分けられるものではないと思っています。我慢させられるのがどちらなのかと言えば、生まれる順番ではなく、個々の性格だと思うのです。

 人間には、くそ真面目で繊細なタイプと、自分勝手で大胆なタイプがいるもので、親が仲裁に入ってくれなければ、兄弟喧嘩でわりを食うのは、「くそ真面目で繊細なタイプ」と、これは相場が決まっています。

 でも、じゃあ、私の母が、または、ナナイロペリカンさんが、姉妹喧嘩の仲裁が出来たのかと言えば、無理でしょう。兄弟喧嘩の仲裁は、本当に骨の折れる仕事だからです。しんどいですよ。不愉快だし。毎日のことだし。

 「スピルバーグの母親だってスルーしてたんだから」と言いつつ、兄弟喧嘩をスルーする事は、母親の精神的疲労を軽減する事に繋がるので、ある意味では正解だと思います。母親だけがしんどい思いをする謂われはないのでね。

 

 ただ。

 兄弟喧嘩を仲裁してもらわずに育った場合、往々にして、その子供達は「結果主義」になります。

 上のナナイロさんのブログ記事を見て頂いても分かるように、親が子供に投げるメッセージはいつも「喧嘩をする子は悪い子」です。「喧嘩をしない子が良い子」です。

 兄弟姉妹からどんなに理不尽な嫌がらせを受けたとしても、それに対して文句を言うと喧嘩になります、そして、「喧嘩をするあなたは悪い子」と親から決めつけられる。

 一方で、兄弟姉妹からどんなに理不尽な嫌がらせを受けたとしても、喧嘩になるのを恐れて、文句を言わずじっと耐え続ければ、悪い子レッテルを貼られる事はありません。

 つまり、親(子供からしたら世界の全て)が見ているのは、「喧嘩をするかしないか」という結果だけだと子供は理解します。過程は無視されるのだと。過程など、関係ないのだと。大事なのは結果だけなのだと。

 

 そうやって育ったのが私で、だから私は、徹底的に結果主義です。やる事やらずに結果も出さずに、言い訳だけグズグズ言う人が苦手です。相手には言いませんが。私は、とても冷たく厳しい人間だと自分でも思います。「結果主義」は、幼い頃の私が生き抜く為に身に着けた、人生訓なのです。

  また、私が孤独好きなのも、「人と関わると理不尽な我慢ばかりさせられる」という思い込みから来ています。実際はそんな事ばかりではない、と分かっていても、20歳過ぎまで過ごした実家での経験が、強力な刷り込みとなって心に沁みついているので、「理不尽な思いをしたくないなら、一人でいるべき」と思い込んでいます。

 

 親が、丁寧に話を聞いてくれ、公平な判断をしてくれる家庭に育つと、たとえ「くそ真面目で繊細なタイプ」の子供でも、物事の過程を大事にし、他人の人間性を信用できる大人に、育つんじゃないかなと思います。でも、「丁寧に子供の話を聞き、公平な判断をする事」は、とてつもなく大変な作業なので、これが出来ない親のほうが普通だと私は思います。だから、「くそ真面目で繊細なタイプ」の人は、たいてい、結果主義で孤独好きなんじゃないかと、私は思っています。私だけかもしれませんが。

 

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