書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

間違いを正当化すると人生は一段下がる

 今日は、自分の為の覚書になります。相変わらず抽象的な事を書きますので、お付き合いいただける方のみ、お付き合いください。すみません。

 私は、人の人生とは、どういう時に下がっていくのか、という事を時々考えます。(あ、私が「人」と書く時は、他人様の事だけを指しているのではなく、勿論、私自身も含めて考えています。というか、私を中心に、私以外の人も多分そうだろう、というようなニュアンスで「人は」と書いています)。

 人生が下がる、とはどういう事かというと。

 いつの時代も、人は、不安や苦しみを抱えて生きています。全く不安や苦しみがない人というのは、存在しません。ただ、5年前の自分、10年前の自分、20年前の自分と比べて、その不安や苦しみが増している人と、減っている人は、いると思います。変わらない、という人も、いるでしょう。

 つまり、不安や苦しみが、以前の自分よりも増している事を指して、「人生が下がる」と私は考えるわけです。

 で、「何をすると」「どういう時に」人生は下がっていくのか?について、今日はつらつら考えていたわけです。

 そして私なりの結論が、おそらく「自分の間違いを正当化するたびに、人生は一段づつ下がっていくのだろう」という事です。

 世の中に、完璧な人はいません。人は、肉体を持って生きていて、この肉体には煩悩が付随していますから。煩悩に引きずられると、人は間違いを犯すのです。全ての人が同じだけ煩悩を持って生まれてくるわけですが、煩悩を少しづつでも克服しようという方向に生きる人と、煩悩のままに生きる人とでは、人生が分かれていくのだと思います。

 煩悩を克服しようと生きていても、勿論100%克服できるわけではありません。肉体を持っている限り、100%の克服は不可能です。それでも、少しづつでも克服しようとする人は、少なくとも人生が下がっていく事はないと思われます。そういう人は、不安や苦しみを持ちながらも、その不安や苦しみとうまく共存して生きていける。何故なら、それらが少しづつ減ってきている事を感じているからです。煩悩を一つ克服するごとに、不安や苦しみが一つ減る、そういう成功体験を人生で何度も経験しているから、自分の今の不安や苦しみが、永遠に続くものではなく、自分次第で減らしていけると知っているからです。

 一方で、煩悩をそのままに生きている人は、不安や苦しみが減りません。煩悩は、人に間違いを犯させるからです。

 更に言うと、自分が間違いを犯した時に、その間違いを正当化してしまうと、人生はガクンと落ちるのだと思います。ただ間違いを犯すのではなく、犯した間違いを「これこそが正しい生き方だ」としてしまう事。それが一番良くないと感じます。

 (ここで具体的な例を書けばいいのでしょうが、どう書いても他人批判になりそうなので、例を挙げるのは止めておきます。)

 人は、煩悩を持っている限り、間違いを犯す事からは逃れられませんが、間違いを犯した自分を客観的に見つめて、つど反省し、改善し、同じ間違いを二度と繰り返さなければ、人生が落ちていく事はないと思います。

 また、自分の中の煩悩を丁寧に見ていき、「これは自分にとってよくない」「これもいらない」と、一つひとつつぶしていく作業を行う事によって、人生は少しづつ良くなっていくのだと思います。

 例えば、誰かに何かを言われてムカッとした時に、感情のまま相手に言い返すのは、煩悩に引きずられる行為ですが、ぐっとこらえて少しだけ時間をおいてみる。そして、相手の気持ちを考えてみる。そして、許してやろうと思えれば由。思えなくても、言い返しさえしなければ、一つ先に進んだ、という事になると思います。

 煩悩の克服なんて、大げさな事ではなく、本当に日常的な些細な事の積み重ねだと思います。やるかやらないかは自分だけが決められるわけで、自分の人生はやはり、自分が作っているのだと思います。

 良い人生にしていきたい。不安や苦しみが少しでもない人生にしていきたい。その為に、自分がやるべき事はハッキリしていて、やるか、やらないか、だけの事なんだと思います。

 今日はまたしても、理屈っぽい抽象的な事を書きました。最後までお付き合いくださった方、有難うございました。

 

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