書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

役目を果たし、周囲は気にしない

 「望む現実を引き寄せる為には、物の見方考え方を変えたらいい」という話は、よく聞きます。確かにそうなんだけど、ただ「見方考え方を変える」だけでは、現実は変わらないと思います。

 考え方を変え、その新しい考え方に即した行動をコツコツ積み上げていく事で、現実が変わっていくのだと思います。ただ、考え方を変えただけで、行動が伴わなければ、現実も変わらないですね。

 物の考え方をどうするのがいいか、と言えば、他人に迷惑をかけない前提で、他人を気にせず、自分が良いと思った事をやるのが一番だと私は思います。

 あまり周囲の意見を気にしても、意味がないと思うのです。最終的に、自分の人生の責任をとるのは自分なので。他人が責任とってくれるわけではないので。他人は、言いたいように言いますから。他人の意見を気にする人は、自分の人生の責任を他人に押し付けようと無意識に思っているのかもしれませんが、他人は責任など絶対にとってくれません。この「他人」には、当然、親も含みます。

 自分が良いと思った事をやる時、前述しましたが、「他人に迷惑をかけない」というのが大前提なので、何をやるにしても、まず自分の役目を果たしてから、になります。自分の役目から逃げて、「これを私はやるべきだ」とそればかりやるのは、「良い事をやっている」にはなりません。

 やるべき事をやった後に、プラスアルファ―として、自分が良いと思った事をやる。この順番は絶対です。そして、この順番を守っている限り、何をやっても良い。他人に何を言われても気にしない。

 そうやって生きていると、少しづつ理想した現実に、近づくと思います。完璧に理想通りではないにしても。

 例えば、私は、息子の子育てにおいて、周囲から散々「過保護過ぎる。母親が過保護過ぎるせいで、子供が駄目になる」と叱られ続けました。

 息子は発達障害児なのですが、彼が小さい頃は、今と違って、発達障害は全く知られていませんでした。私もまったく知りませんでした。息子を病院で診察してもらって、初めて「発達障害」という言葉を聞いたぐらいです。世の中に、発達障害という言葉も概念も、ほとんどない時代でした。

 発達障害は、他の障害と違って、外から見てもあまり分かりません。また、「おかしな子だな」となんとなく分かっても、どういう育て方接し方が正しいのかは、世間一般には知られていませんでした。勿論私も知りませんでした。だから学びました。

 でも、一般の人は、そもそも発達障害を知らないし、どういう接し方が正しいのかも知らないし、だから息子に対しても、健常児に対する子育てを当てはめて意見してきます。仕方ない事ですが。

 でも、健常児に対して正しい子育ては、発達障害には正しくない事がほとんどです。発達障害児には、障害特性に合った配慮と支援とフォローが絶対に必要なのですが、それは、健常児しか知らない人から見たら、「ただの過保護」に見えるのです。

 だから、私は、他人に「過保護過ぎる」と叱られても気にせず、自分が正しいと思う子育てを貫きました。その結果、中度の発達障害児である息子は、一度も不登校になる事なく心を病む事もなく育ち、今は大学生です。大学も、楽しく通えています。

 勿論、発達特性がなくなったわけではないので、息子と関わるのは本当に大変だしストレスですが、それでも、毎日大学に行けて、自分がやるべき事は勉強だと分かっている。毎日行く所があり、やるべき事がある、というのは、本当に幸せな事です。そこから経験を広げ、学びを深めるという、前向きな未来を感じられるからです。

 

 こんな事を書くと愚痴になってしまいますが、私は本当は、仕事がしたかったのです。でも、あまり丈夫な体ではないので、障害児育児と仕事とは両立できる自信がなく、仕事は諦めました。私の「やるべき事」は、育児だと思ったからです。育児を放り投げるわけにはいかなかったから。

 そして、その育児をしながら、その中で、「こうすべきだと思う」という私の考えを貫いた結果、今、息子が小さい頃に望んでいた未来に、今います。完璧に望み通りではないですが。

 他人の意見に惑わされない事は大事です。また、それを言う前に、まず自分の役目をきちんと果たす事。こちらのほうが、大事です。つまり、①自分の役目を果たす②自分が良いと考えた事を貫く。この二つが、望む未来を引き寄せるのだろうと思います。

 

 もう一つ例を書いておきます。

 私は、20代の半ばに、民間の保険会社の終身年金を買いました。55歳から受け取りにしたので、昨年から、そこそこの年金が口座に振り込まれています。これが死ぬまで続きます。この終身年金のおかげで、私は経済的に死ぬまで不安を感じずに暮らせます。

 でも、20代の私に、誰かが「終身年金買いなさい」と言ってくれたわけではありません。雑誌や本に、書かれていたわけでもありません。あの頃は、株や何かの投資ブームで、年金なんて何を寝ぼけた事を、という感じでした。そんな若いのに、年取った時の事を考えるなんて、なんて後ろ向きなの、みたいな。

 でも、私は、「終身年金」という響きになんとも言えない安心感を感じたので、迷わず買いました。当時、今では想像がつかないほど利率がよくて、10%ぐらいありました。それが、今そのまま受け取れているわけです。

 周囲の人の言う事を聞いていたら、株を買ってしまっていたと思います。そしてリーマンショックで泣いていたでしょう。

 周囲の言う事を聞かない、というのは、大事だと思います。ただ、これは結果論で、もし私が54歳で死んでいたら、年金購入に払ったお金は無駄になっていました。まあ、完全に無駄にはなりませんが(元本分は、受取人に支払われるので)。

 

 ああ、そうそう。周囲の身内を「鬼」とみなす、というのもそうです。他の方からしたら、「身内を鬼だなんて」と眉をひそめられる事でしょう。でも、私はあまり人からどう思われるのかは気にならないので、平気でブログに書けてしまうのです。

 身内を鬼とみなす、と言っても、相手にそれを告げるわけではなく、私の心の中で思っているだけですから、迷惑はかかりません。また、私は、母親として、主婦として、また娘として妹として、役目は果たしています。更に、「鬼」だとみなす事によって、相手に何かを要求する事を諦めていますので、無駄な言い争いは生じません。むしろ、何かをしてもらったら「鬼なのに、そんな事をしてくれるの」と喜びすらするという(笑)好循環が生じます。

 身内をこそ鬼と考える、という私の生き方は、私が独自で考えた生き方ですが、私はこれが良いと思っていて、今のところ、うまくいっていると思います。

 

 何が書きたかったのかというと、まず、やるべき事をやって、あと、自分が良いと思う事をやろう、という事。それだけやれば、人生、そんなに悪くはならない。だから、それだけちゃんとやっていたら、あとは小さい日々の浮き沈みは気にせず、おおらかな気持ちでゆったり生きていこう、という事です。

 

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