書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

都会で気持ちよく生きる

 数日雨でしたが、今日は晴れました。最高気温も15度と、春の陽気。ベランダに出ると、頬にあたる風が心地いいです。

 一直線に上がるわけではないですが、これから夏まで、少しづつ気温が上がっていくと思うと、とても嬉しいです。私は、気温が下がる方向に行くよりも、上がる方向に進むほうが、なんとはなしに幸福感を感じるタチです。みんなそうなのかな。私だけかな。

 今日は、厚いセーターではなく、春物の薄いサラっとしたセーターを着てみました。軽くてしなやか。それだけで、とても気分が良くなりました。薄いセーターを着て、春のような風に吹かれていると、自分の人生への満足感がふつふつと湧いてきて、それは、「都会を気持ちよく生きている」という点に集約されている気がしました。

 大阪市を都会と呼ぶかどうかは判断が分かれる所でしょうが、便宜上、都会と呼んでしまえば。私は、地方よりも都会のほうが、性に合っているのです。

 地方にも個性はありますが、やはり、どこか画一的な面は否めません。地方の駅を降りると、だいたいどこも似たり寄ったりな気がするのです。北海道と九州では違うと思いきや、意外と同じような光景が広がっている。駅前にロータリーがあって、地方百貨店があったり、商店街の入り口があったり。その奥はもう平らな土地。特に何もない。百貨店や商店街に入っているお店も、日本全国どこも同じような感じ。

 地方の悪口みたいで申し訳ないです。住んでいる方にとっては、穏やかで平和でのんびりしていて、暮らしやすいのだと思います。旅行客からしたら、画一的な印象を受けるという意味なので。

 一方で、都会は、そこそこ個性があるように思います。大阪と東京では、駅を降りた瞬間から見える景色が違います。歩いている人も違います。自分達が望む方向に、それぞれの都市は個々で勝手に変化しているような。

 大阪は、都市人気ランキングではいつもワースト入りなのですが、私には住みやすい街です。基本的に、電車でどこにでも行けるし、電車自体、数分ごとに走っているし。つまりは、「どこかへ行きたい」と思えば、まず待たずにサーッと行けてしまう。イラちな私には、ピッタリなのです。多分、大阪市内であれば、どこにでも1時間以内で行けると思います。

 都市で気持ちよく暮らすには、できるだけモノを持たないで、身辺を常に身軽にしている事が大事かもしれません。都市では、大富豪で豪邸で物を一杯持って大きな車に乗ってブランド物を嫌というほど身に着け、というような暮らし方は、暑苦しい気がします。それよりも、コンパクトな家で、必要最小限のモノを持ち、常に風通しよく身軽に動ける生き方が、素敵に感じます。そういう、物がない事による寂しさ、みたいなものが、都市では感じにくいです(個人的見解ですけど)。

 人って、寂しいから、物を集めるのかもしれません。

 物が沢山ないと、なんとなく寂しく感じるのは、人生に物足りなさを感じているからかもしれません。私は、自由に動き回りながら暮らしていると、あまり物足りなさを感じずにすむのです。

 自由がないと、物を集めたくなるかもしれない。自由があれば、物はいらない。というか、ないほうが身軽で気持ちいい。都会では、周囲がどんどん変わっていくし、沢山の行きたい所見たいもの興味を刺激されるものがあって、自分で何かを所有して楽しむ必要性を、あまり感じないのかもしれません。

 

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 春風の吹くベランダで、そんな事を考えていました。息子は今日も、大学の期末試験。今日は得意科目なので、気楽に出かけました。「学食が、最近、混み合いだした」と言うので、お弁当を持たせました。中庭のベンチででも、食べるとのこと。今日はお天気がいいから、外ランチは気持ちいいことでしょう。