自己防衛本能と生存本能って、厳密に言えば違うと思うのです。で、生存本能のほうが強いと思う。今日は、そんな事を書きたいと思います。
自己防衛本能って、ザックリ言えば、「自己の正しさを守りたがる気持ち」みたいなものだと感じています。
つまり、明らかに自分が悪い場合に人から批判された時、その批判を受け入れない理由は、自己防衛本能が働くからだと思うのです。
「あなたは間違っている」という指摘を受け入れない。受け入れてしまうと、自分が間違っているという事になるので、それでは「自己が正しいと思いたい」という自己防衛本能が危うくなる。
だから、批判されると、批判してきた相手の落ち度を探し、「そういうあなただって、ここが間違っている。間違っている人に、間違いを指摘されたくない」みたいな、よく分からない屁理屈で言い返し、自分の間違いをうやむやにしようとします。
また、どうしても相手の落ち度が探せない時は、心理で言うところの「鏡の法則」を持ち出し、「私が冷たい人間だとあなたは言うけれど、それは、実は、あなた自身が自分の事を冷たい人間だと思っているからだ。人に言いたい事は、自分に言いたい事なのだ」などと言い返し、やはり自分の間違いをうやむやにします。
人から批判されて、冷静に受け止め、反省し、改善できる人は、いないと私は思っています。私もできません。そしてそれは、自己防衛本能のなせる業だと思うわけです。
だとすると。
間違った人は、永遠に間違ったままなのか。悪い人は悪いまま、ずるい人はずるいまま、こすい人はこすいまま、酷い人は酷いまま、なのか。
というと、そうでもないと思うのです。
そうでもない理由は2つあって。
1つは、時間がたてば、必ず、自分の間違いに対するペナルティーが下されるからです。ただこれは、10年先20年先かもしれず、今すぐ、というわけではないし、いつ下されるかも分かりません。
2つ目は、生存本能が脅かされる時は、自己防衛本能は引っ込むので、そういう時、たいていの人は、誰かからの批判を速やかに受け取り、謝罪し、反省し、改善します。
生存本能が脅かされる時って、どういう時かというと。命の危険がある時です。
大富豪は別として、人は生きていく為には、どうしてもお金(収入)が必要です。収入がなくなると、生活できなくなり、命の危険を感じます。つまり、収入を失う危険=命の危険、だと私は思うのです。
収入を失う時というのは、たいていの人にとって、仕事がなくなる時、を意味します。
よって、自分の収入(仕事)を握っている人、左右できる人から言われる批判については、たいていの人は、受け入れ謝罪し反省し改善します。プライベートでは絶対に謝らない人でも、仕事の場では顧客や上司に平気で頭を下げるわけです。自己防衛本能よりも、生存本能のほうが強いから。
なので、自分が相手の顧客の立場だったり、上司や得意先の立場であれば、相手を批判する事は可能なのです。勿論、いちゃもんをつけるような筋の通らない批判をすれば、逆に訴訟を起こされたりしますから、何を言ってもいいわけではありません。でも、きちんと筋の通った批判であれば、そして自分が相手の収入を左右する立場であれば、相手にそれを言う事は可能なのです。相手は、逆キレのような屁理屈を言ってきたり、鏡の法則を持ち出してマウントしてきたりはしないでしょう。
そうではない場合、つまり普通のプライベートな場では、人を批判する事は無意味です。受け取れる人はいないから。私も含め。
今日考えた事は、こんな事でした。ではまた~。