書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

伝わらない伝え方

 人と話していて、また、何かの説明を読んでの感想なのですが、伝わらない伝え方をしている人って、本当に多いなあと思います。謎の上から目線で恐縮ですが、今日はこの事について書きたいと思います。

 ・・・・・というか。伝わる伝え方をしている人のほうが、圧倒的に少ないと思います。お前自身はどうなんだ?と言われたら、自分では判断がつかないので、私自身の事は棚に上げて申し上げますが。

 少なくとも私の周囲の人のほぼ全員が、「伝わらない伝え方」をする人です(言い切ってしまいました)。伝わらない理由はそれぞれ微妙に違うのですが、共通点も挙げられます。

 

1、時系列でしか話さないので、本当に言いたい事が、話の最後まで聞かないと分からない。話が長くなると、聞いているほうの集中力が落ちてくる。話し手が本当に言いたい事が出てくる話の後半は、聞き手の聞き取り力が一番落ちている時、という事になり、聞き手は疲れるだけで、何が言いたかったのかが結局よく分からなかったという結果になる。

 

2、説明の切り口が、1方向しかない。ある1つの方向で説明して、聞き手が理解できなかった場合、別の方向で説明し直さないと、相手に理解させる事は不可能なのだが、これが分かっていない話し手が多い。相手が理解しない時は、同じ説明の仕方を繰り返すのみ。何度説明しても、同じ説明の仕方しかできないのであれば、繰り返し説明しても意味がない。

 

3、説明を、口頭だけで済ませようとする。書いたものを渡さない。入り組んだ内容の話だと、口頭だけでは分かりづらい。整理して書かれたものがないと、理解できないような内容の時も、口頭説明だけで済ませるので、結果、伝わらない。

 

4、説明の中に、自分に都合の悪い部分が含まれている場合、そこは言わないで済ます。よって、話の筋が所々で飛んでしまい、聞き手は筋道を見失う。話し手は、話の内容が分かっている状態でスタートするので、所々飛ばしても筋道は伝わると勘違いするが、聞き手は話の内容が分かっていない状態がスタート。だから、途中大事な箇所をすっ飛ばされると、もうその時点で内容理解が不可能になる。聞き手は、何も分かっていない状態スタートなので、何かをすっ飛ばされた事すら分からないのだから。ただ、急に話が分からなくなった感だけがある。そして、分からないまま話を聞き続けるので、余計に分からなくなる。

 

5、話の到達点が、話し手すらよく分かっていない。こういう話し手は、話しながら考えている。こういう人は、自力で考える力が弱く、「考える」という作業に付随するストレスを、他人に半分負ってもらおうとしている。一人で考えるのが嫌なので、話しながら考えようとしているのだ。こういう人の話は、筋道すらなく、話がアチコチに広がり、聞き手は振り回されてただただ疲れる。

 

6、感情優先で話す人は、話が前後で矛盾している事が多い。話し手は矛盾に気が付いていないが、聞き手は分かる。話し手は、矛盾の上に論理を積み上げていくので、聞き手には理解ができなくなる。よく、「今からちょっと深い話をするね」と前置きを言う人は、このケースが多い。深いんじゃなくて、矛盾に矛盾を積み重ねた話だから誰にも理解できない、というだけの事なのだけれど、話し手は「私の話は深いから、理解できない人が多い」と思っている。違うんだけどな~。

 

7、説明が面倒くさいところは、面倒くさいから端折る。でも、実際は、その「説明が面倒くさくて端折りたくなる所」が、その話の肝で、絶対に説明しなくてはいけない所である事が多い。そこを端折られると、話の肝が分からくなるので、聞き手には、何の話かすら分からなくなる。話し手は、「端折った所は、聞き手の想像力で補え」と思っているのだろうけれど、無理だから。

 

8、話し手の目的が、共感や称賛を得たい・味方になって欲しい、というものの場合、そもそも「正しく理解されたい」とは思っていない事が多い。いやむしろ、味方になってもらう為には、正しく理解されないほうが都合が良かったりする。そういう時は、故意に「分かりにくく」話す。話の筋を所々ずらしたり、肝心な事を言わなかったりして。あえて真実が伝わらないように話す。

 

 私の周囲の人で、言っている事がよく分からない伝え方の例は、こんな感じです。

 

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 あと、周囲の人ではないのですが、息子の大学の教授にも、話がよく分からない人は多いです。上手な教授もいますが。というのも、前期はほぼオンライン講義だったので、時々横で聞いていたのですね。で、内容は興味深いのに、どうも話が頭に入ってこない事がわりとあり、原因を考えるに、どうも教授陣の「伝え方」がうまくないからだなと思ったので。

 そういう人の伝え方にもまた、共通点があって。

1、自分は分かっているスタートなので、より「粋に」「高度に」「複雑に」説明したがる。生徒は分かっていないスタートだという事が頭から抜けていて、分かっている人が聞いたら「ほー、うまい言い方だな。高度な説明だな」と感心されるような粋な説明の仕方を好む。分かっていない生徒に分からせよう、という視点がない。本来、分かっていない生徒に分からせる為には、「泥臭く」「程度を下げて」「シンプルに」説明すべきなので、これだと真逆。

 

2、物理的に、声が小さい、もしくは、異常に早口。

 

 という感じです。

 

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 伝わらない伝え方がどうしてなくならないのかというと、それが伝わらなくても、少なくとも話し手は困らないからだと思います。

 私の周囲の人だと、自分が言いたい事を言い、相手に聞かせ、それで気が済むという場合、相手が理解しているいない、はあまり関係ないわけです。自分が言った、相手に聞かせた、それで完結なわけで。聞かされた相手が、「何かわけのわからない事を長々と聞かされたな」とストレスを感じたとしても、それは相手のストレスであり、自分のストレスではないので、構わないわけです。

 また、伝えなくてはならない用件があって伝えた場合でも、相手に伝わらなかった場合、理解しない相手が悪い、とすれば済むので、少なくとも話し手の中では、伝わらない事が自分の落ち度にはならない。だから改善しない、という事になる。

 大学の教授陣で言えば、言うべき事は言ったから、学生が点を取れる取れないは学生の問題、自分には関係ない、という事なのだと思います。大学という所は、その教授の過去問さえ手に入れれば満点が取れる世界でもありますし。実際に、その教授の講義内容を理解せねばならぬと、真面目に考える学生はあまりいないでしょう(私の息子は、発達障害で友達がおらず、過去問が手に入らないので、必死にならざるを得ませんが)。そういう事情から、分かりやすい講義を心掛ける必要性がないわけです。それより、自分が気持ちよくなれる講義、をやっているのだろうなと思います。

 

 今日の記事は何のために書いたのか、自分でも分からなくなりましたが、言いたかったのは、他人の言う事を「ちゃんと理解しよう」とあまり一生懸命にならないほうがいい、という事です。

 話し手のほうが、相手に理解してもらおうと努力する意識が低い場合が多いのに、聞き手だけが一生懸命になるのは、筋違いなので。

 普通に淡々と聞いて、「あ、この人の話は分かりにくいな」と思えば、そこから先は聞いているフリで聞かない、というのが正解じゃないかな。そこで、一生懸命食い下がって理解しようとすると、疲れるだけで得るものは薄いです。

 若い頃は、人の話はちゃんと理解したい、と思っていましたが、最近はこんな風に、「分からないけど別にいいや」と流せるようになりました。理解できないと、理解できない事がストレスになったりもしますが、そこは考え方を切り替えて、「そもそもこの人の話は誰にも理解できない」と割り切れば、ずいぶんラクです。

 ではでは、今日はこのへんで。

 

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