書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

人生の落とし穴。

 おはようございます。

 今日は、ふと思いついた漠然とした内容を書きます。

 人って、自分がプライドを持って一生懸命取り組んでいる事については、思慮深くもなるし、謙虚に反省もできるものだと思います。

 でも、自分が重要視していない事(よってないがしろにしている事)については、傲慢になるし反省もできないものだと思います。

 

 具体的に言うなら、例えば、お仕事を持っていて、子育てもしている方の場合、そのお仕事でいかにお金を稼ぐかに一生懸命取り組んでおられる人は、子育てはないがしろになりがちな気がします。これは、時間配分という事だけでなく、心の中で、お商売に関する部分については深く考えるし工夫もするし、他者から駄目出しされても案外と受取り反省もできる。でも、子育てについては、あまり深く考えないし工夫もされないし、他者からの駄目出しは受け取らず、反省もなさらない場合が多いなと感じます。

 お仕事を持っている女性全てがそうだ、というのではなく、お金稼ぎだけに比重を置いておられる方は、そういう傾向があるなと思うのです。

 一方で、私のように、子育てしかしておらず、お金は一銭も稼いでいない人間は、子育てに関しては深く考え工夫もするし、他者からの駄目出しも謙虚に受け止め反省もできるのですが、お金に関しては無頓着です。お金を稼いでいない事に対して批判されても受け取らないし、お金に対して傲慢です。

 

 でも、結局のところ、自分の人生の足を引っ張るのは、自分がないがしろにしていた方の事だと思います。自分が一生懸命取り組んでいる事ではなく、ないがしろにしていた事に、足をすくわれる。

 

 先日、ある起業家の女性と知り合ったのですが、彼女は、お仕事に関してはとても謙虚で頑張り屋さんなのですが、私生活は滅茶苦茶で、何度も離婚結婚を繰り返しておられ、それぞれ父親の違うお子様を3人育てておられます。現在も、新しいご主人と結婚されておられるのですが、一緒には住んでおられないそうで、また、仕事の邪魔になるのでお子様方もご実家に預けておられるのだとか。

 まあそういう環境であれば、仕事に集中できて良いなと思ったのですが、その方いわく、自分の心の闇に耐えられずに、毎朝、がたがた震えながら目が覚めるのだとか。お仕事はとても順調にいっているにも関わらず、です。その方は、毎朝、恐怖にがたがた震えながら目が覚めるのだそうです。驚いてしまいました。とても明るく明朗で、そんな闇は微塵も感じられない人だからです。

 翻って私自身を考えるに、息子の発達障害が分かり子育てで疲弊し尽くしていた地獄の日々にあっても、朝、恐怖に震えて目覚める等という事は、一度もありませんでした。その方の、心の闇の深さに驚愕しました。

 私生活が滅茶苦茶である事が心の闇になっているのなら、ご主人と同居されて、お子様方も手元に戻されて、お仕事をセーブしながら生活されたらいいのに、と私なんかは思うわけですが(思っても言いませんが)、その方は、そういう発想は絶対にされません。

 

 外から見たら、私なんかも不思議なのだろうと思われます。子育てしかしてませんから。そんなに一生懸命子育てしたって、子供はいずれ出ていくのに。子供がいなくなったら、残された自分は空っぽになるでしょうに、と。また、お金に関しては、稼ぎたいという欲が皆無で、今あるもので十分生活できるからこれ以上はいらない、と思ってしまっております。たまに「今のうちに稼げるだけ稼いでおかないと、年をとって働けなくなってからお金が足りないと分かっても遅いのよ」と言われますが、ピンときません。つまり、受け取らない。稼いでいない自分を反省していません。

 私、いずれ、お金に足をすくわれるのだろうか、、、と、不安になるので、たま~にお金の計算をして、一応死ぬまで困らない事を確認はしているのですが、人生何が起こるか分からないので、時折、稼がない自分って駄目なのかなと思う事もあります。でも、働きたいとは微塵も思わない。要するに、反省できていない。

 

 何が言いたかったかというと。

 人は、自分が懸命に取り組んでいる事だけが正義だと思いがち、という事です。また、自分が懸命に取り組んでいる事を、やっていない人を見ると、違和感を感じがち、という事。また、人生は、自分がないがしろにしてきた事によって、足をすくわれるのだ、という事。

 上には、仕事VS子育て、だけを書きましたが、勿論それだけじゃなく。例えば、仕事に重点を置き、自分の体調管理をないがしろにする、とか。人間関係をないがしろにする、とか。同じ仕事でも、やりたい分野にだけ懸命に取り組み、やりたくない分野はないがしろにする、とか。同じ子育てでも、兄弟の一方にだけ比重を置き、もう一方を放ったらかしにするとか。体調管理でも、運動にだけ比重を置き、食事には無頓着とか。美容方面にだけ比重を置き、健康面は二の次にするとか。

 つまり、自分が一生懸命に取り組みたい事にだけ取り組み、取り組みたくない事はないがしろにするという傾向が、人間にはあるのかなと思うわけです。

 そして、その「ないがしろにしていた事」が、往々にして、その人の人生における「落とし穴」になりがちだなと、思うわけです。

 

 勿論、自分が懸命に取り組んできた事によって、人生はうまく運んでいるのです。でも、自分が取り組みたい事というのは、自分が取り組みたくて取り組んでいるので、あえて人から「人生うまくいかせる為には、取り組みたい事に取り組もう」と言われなくても、勝手にやっているものです。自分がやりたいわけだから。

 でも、そうやって懸命に頑張っているのに、足をすくわれる事が起こる。それは、ないがしろにしてきた事があるからだ、と私は思うわけです。

 私も、しっかり考えていかないといけないなとつくづく思うので、書いてみました。

 

f:id:oinor-i:20201005141632j:plain

 天気予報によれば、今日までいい天気。明日からは雨が続くそうですね。