前回の記事の続きになります。前回もいい加減長々書きましたが、更に長くなります。お時間のある方だけ、お付き合いください。すみません。
で。
前回の記事を読んで頂いているという前提で、書きますと。あのブログ記事に、こういう内容のコメントが入っているのを見まして、それで、また少し書きたくなったというわけなのです。
そのコメントの番号は1155番。youさんという方です(でも、批判コメントとみなされて削除されるかもしれません)
「やっぱり子どもが絡んでるからだろうね。夫婦だけなら、大人だけならマジでどんなことしてようが構わないし笑
(オギャちゃんがそう思ってそうってことではなく)子どもは親のものではないしね。大人になってからは自分の判断で行動しての結果やから、どんなことしてようが自己責任。でも子どもは違うから。子どもは自分家しか知らんから判断できないから、子どもがいまどう感じてるかは全てではないと思うし。(これまたオギャちゃん家のことではなく)ひどいことさせられてても気付かないんだよ、その家庭の子どもは。そのことを知っていると、経験していると、やっぱり見過ごせないと思っちゃうことは出てくるんやと思う。
発信するのはもちろん自由!だって自分のブログやし!!けど、ブログを誰にでも見れるようにしてるなら、逆にその発言をうけてどう思うかも自由では?とは思ったかも。こう思えよ!てのはなんかちょっとうーん…てなったかも。あかん、コレ怒られるな、ごめんなさい」
というもの。
かなり勇気を出して書かれたのが分かる文面です。
私は、他の方のブログに、わざわざ批判コメントを入れる人の気持ちが分からなかったのですが、このコメントを読んで、「ああ、そういう事か」と腑に落ちました。
自分自身が、オギャ子さんの家のお子さんのような扱いをされて育った人達、それで辛い思いをした人達は、「見過ごせない」と思ってしまうのですね。言っても無駄だと分かっていても、どうしても、見過ごせない。だからコメントも入れてしまう。
だけども、私が思うには、それも全て無駄だと思う、、という事で。私も姉に、これだけは言わねば、と思う事だけ伝えて来ましたが、逆切れされて終わりました。受け取らない人は、絶対に受け取らないのです。
このコメントを入れた方の気持ちはよく分かります。
本人が困る分には別に構わないのです。でも、本人の我儘勝手のせいで、子供が苦しむのが見ていられない。私もそうでした。姉のせいで、甥っ子姪っ子が苦しむのが耐えられなかった。
それでも、どうしようもないのです。我儘勝手な人というのは、どこまでも我儘勝手なのです。治らないのです。言うだけ無駄なのです。どうしようもないのです。
オギャ子さんの文章「オギャ子が寄り添い育児が好きじゃないって言ったぐらいで、モヤモヤしたり傷ついたりしないでほしい。オギャ子ごときの意見にいちいち揺らいだりしないで、ご自分の子育ての信念を自信を持って貫いてほしいです。」
オギャ子さんの文章「子育てのやり方は、人それぞれでよくない?」「私の子育てを見て、子供がかわいそうと感じるのは、それはあなたの価値観。価値観は人それぞれ違うのだから、あなたの価値観を私に押し付けないで」
子育てのやり方は人それぞれ、その通りです。ただし、子供が苦しまないやり方であれば、という前提条件が付きます。子供が苦しんでいるのに、「これは我が家のやり方」と押し通すのは、おかしいです。
私が覚えている記事では、長男さんの学校行事で(マラソンか何か)、リュックと折り畳み傘を持たせて下さいというお手紙が学校から来ていた事がありました。しっかりした長男さんは、それをちゃんとオギャ子さんに渡したのですが、オギャ子さんはそういうものは読みませんので、行事当日も、リュックではなくランドセルを持たせ、雨が降りそうであったにも関わらず、折り畳みの傘を持たせませんでした。折り畳み傘が家になかったそうで(年に何千万円も稼いでいるのになぜ??)。終日外で過ごす学校行事ですから、みんなリュックな中、長男さん一人だけ重たいランドセルで、しかも雨が降ったのに傘がないのも長男さんだけで、びしょ濡れになり。
この記事を、オギャ子さんは、「長男に申し訳なかった。二度としない」と反省文として書いたのではなく、むしろ、「こんな失敗してしまうオギャ子って、面白いでしょ!」というネタとして、書いておられました。反省していないので、それ以降も同じような失敗を繰り返し、そのたびに面白ネタとして、記事にされていました。
これが、オギャ子さんの言う「我が家の子育て」「我が家のやり方」です。
確かに、子育ては人それぞれでいいんだけれども、それは、子供が苦しまない、という前提があって初めて成り立つわけで、オギャ子さんのように子供を苦しめている子育ては、「人それぞれ」と胸を張って言うべき子育てではないと私は感じます。
オギャ子さんのされている子育ては、一般的に見て客観的に見て、よいものではないと思います。一言で言えば、放任放置です。
そして。
親から放任放置な子育てをされてつらい経験をした人が、オギャ子さんのブログを読むと、「子供がかわいそう」と感じるのは当然です。そして、放任されて育って事で、大人になってからも精神的にしんどい思いをしている人達なら、「そんな子育てをしていたら、ろくな事にはならない」と、警告を発したくなるのも当然です。
放任されて育った子供は、少なからず、アダルトチルドレンになると言われています。社会生活において、生きづらさを一生感じ続けるのです。
だから、「放任はやめてあげて」とオギャ子さんに対して、声をあげる。
それを、オギャ子さんは、「誹謗中傷しないで」と返す。
私は、母親が自由に楽しく生きる事は良い事だと思います。私自身もそうしているつもりです。
でも一方で、子供を丁寧に育てる事も、必要だと思っています。そうしない人を見ると、不思議だなと思うし、先々の不幸が見えるだけに、気の毒だなと感じます。
オギャ子さんのように、読者の数が莫大だと、いろんな人がおられて、対応が大変だと思うし、中にはとんでもない人がおられるのだろうと気の毒にも思います。世の中にはとんでもない人が沢山いますからね。そこは気の毒だなあと思うし、だからこそ今回彼女が、批判は止めて、と強く言ったのもある面では理解できます。
でも、それと、放任子育て無反省というのは、話が違う気がします。間違っている事は間違っていると、早く気付く事が必要だととても感じますが、彼女に直接言っても無駄なので、ここに書きました。いずれにしても、私は彼女が、とても気の毒な人だと思います。まだお若いのだから、早く気が付いて方向転換して下さる事を祈ります。