書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「主婦」や「母親」という肩書や権利。それに付随する義務や責任。

 今日はいきなりものすごく涼しいですが(寒いほど?)、4連休真っ只中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 私は相変わらず、近場をちょろちょろしております。コロナであまり遠出できなくなったせいで(関西圏内から出ないようにしているせいで)、近場にも意外と良い場所が沢山ある事を発見し、嬉しくなっております。またブログにも書いていきます。

 息子のほうは、すっかり元通りになり、面倒くさい面が消えました。私が対応を慎重にしているせいと、本人が反省したせいだと思われます。息子に問題がなくなると、私の生活を一気に平和になります。

 さて。

 先日拝読した記事が興味深かったので、今日はその事を書きます。バリバリのプロブロガーさんの記事なので、勝手ながら貼らせて頂きます。コチラです。

【何度でも言います】SNSとの付き合い方について私が言いたい事。 | kosodatefulな毎日 ~オギャ子の暴走~

 オギャ子さんは、アメブロの有名なトップブロガーさんなので、読まれた方も多いかもしれません。私も時折拝読しております。

 今回、彼女はとてもご立腹でして。理由は、過去にも何度も繰り返されているそうなのですが、一部の読者さんが、彼女の子育てについて誹謗中傷コメントを入れてくるそうなのです。

 今回そういうコメントがついた記事の内容を、ざっと説明します。

 彼女には小学生の男子が3人(小6、小4、小1)おられるのですが、彼女は夜遅くまで動画やドラマを観てしまう為に、朝起きられないのだそうです。それで、子供達の朝食も作れない、と。かといって、前日に何か朝食用の食べ物を冷蔵庫に入れておいてあげる等もしていない、と。それで、困った長男(小6)が、一人で朝食を作るようになった、と。その事を、オギャ子さんはとても喜び、子供が一歩自立に近づいたと、私の子育て大成功だ、と自画自賛された。そうブログに書かれたのです。

 その記事に対して、おおむね「その通り!オギャ子さん最高!素敵な子育て!」と称賛コメントが殺到する中、「長男さんが自分で朝食を作れるようになるのは良い事かもしれないが、そういう状況で自立をせざるをえないのは、長男さんとしては、寂しいのではないか」とか「私も親が朝起きてくれなくて、小学生の頃から自分で朝食を作らざるを得なかった。今でも親を恨んでいるし、親が嫌い」といった、苦言コメントも入っていたようです(アメブロさんや、オギャ子さんが、そういう否定コメントは削除されています)。

 さてさて。

 母親が、夜好きな事をして夜更かししてしまうせいで朝起きれない、というのはよく聞く話ですし、小学生が自分で朝食を作って一人で食べて学校に行く、というのも、もしかしたら私が知らないだけでよくある話なのかもしれません。母親が朝起きて朝食を作ってくれたほうが、子供は嬉しい、これは当たり前のことで。子供に一人で食事が作れるようにさせたいなら、休日に一緒にご飯を作るなりして、料理を覚えさせてあげれば良い話で。まあ、私ならそうするなあと思いますが、他人様がどうしようと、私には関係ないので、この件については何とも思いません。

 では私がなぜ上の記事を読んで、「興味深い」と感じたのかというと。

 このオギャ子さんの「読者からの苦言コメントを、全て誹謗中傷と受取っておられる事」と、「何をしようと自分は絶対に悪くない、という驚くほどのスタンス」と、「私を否定する人は、みんな私が羨ましいから否定してくるのだ、嫉妬するのはやめて、あなたの人生だって素晴らしいのよ」という謎の上から目線。この3点が、凄く興味深かったのです。

 彼女は発達障害ではないか、とよく言われるそうです(ご本人がそうブログに書いておられました)。ご本人はそうは思っておられず、当然診断なども受けておられません。

 発達障害の我が息子と比べてみるに。

 先の2点(苦言=誹謗中傷、自分は悪くない)は、息子と多少似ていると感じましたが、ただ、息子の場合、時間が経って落ち着くと、必ず反省はするし、アドバイスと誹謗中傷の違いは分かっているので、オギャ子さんと息子は異なるなと思います。また何より最後の3点目(私を批判する人は、私に嫉妬しているのだ)が、息子にはない点です。

 発達障害者の特性は千差万別なので、これだけで決めつけられるものではありませんが、私は、オギャ子さんは発達障害ではないような気がします。どちらかというと、私の姉に近いなあと感じます。姉も、家事育児をしない自分の好きな事だけする生き方を実践している主婦ですが、身内(医師)の診断では発達障害ではありません。

 こういう方を親に持つと、子供は大変だなあと感じます。

 小6の長男さんはすでに諦めておられて、一人で生活しようと考えておられるようです。でもこれが出来るのは、長男さんが「強い子」だからで。下のお子様たちも強い子がどうかは分かりません。もし弱い子がいたら、相当な不幸が起こると思われます。姉の娘のように。ちなみに、姉の娘は鬱で不登校になり、現在は薬を飲んでなんとか暮らしている状態です。将来的に自立できるとはとても思えないし、一生親が面倒見続ける事になるでしょう。姉夫婦が他界した後は、いったいどうなることか。

 

 オギャ子さんは、プロブロガーとしてアフィリエイトで、また自社の物販で、年に何千万円も稼いでおられるそうで。だからまあ、家族も何も言えないのだろうなあと思います。この「大金を稼いでいるから、家族に何も言わせない。嫌いな家事育児をせず、好き勝手に暮らせる」事が、「読者は私を羨んでいる。妬んでいる」という思い込みのもとになっていると思われます。

 

 私は以前にも、貧困の恐ろしさについて、いくつか記事を書いていますし、この世の不幸の一つは、間違いなく貧困だと思っています。

 では、裕福がイコール幸福なのか、と言えば、なかなかそう単純にはいかないなあと、このオギャ子さんの記事を読んで思いました。

 もし、オギャ子さんがトップブロガーにならず、普通の主婦であったなら、苦手だからと言って家事育児を放り出すような我儘はさすがにしないでしょう。子供達に朝食も作ってあげるでしょう。そのほうが、子供達にとっては、幸せじゃないかと思います。

 オギャ子さんご自身にとっては、好きな事だけやり、「私は常に正しい」を言い放てる今の環境は、幸せなのだと思われます。ですが、その幸せが、ずっと続くとは思えません。子供が不幸になると、子供がうまく育ちにくく、子供がうまく育たないと、結局のところ、親が困ることになるからです。

 こういう事を、オギャ子さんは全く考えないのだろうなあと思います。

 

 例えば、上に貼った彼女の記事より一部引用させて頂くと。

私は家事育児完璧だけど自分の意見を押し付けるお母さんになるより、家の事は適当だけど明るく自分の生活を楽しむお母さんでいたいと思っています。アナタからしたら、やりたい事も我慢して、家族を第一優先にして生活しているのに好き勝手やってるように見えるオギャ子が憎らしいのかもしれません。でも、イライラする必要なんて全然なくて、あなたのその生活はとても素晴らしいものなんだから胸を張って貫いてほしいです。」

 

 なるほど。まず違和感があるのは、どうして二択なんだろう?という事です。「家事育児はちゃんとやるけれども、明るく生活を楽しむお母さん」だって、沢山いますけどね。そういう人達の存在は、なぜかスコーンと抜け落ちている。

 オギャ子さんの中では、

家事育児をちゃんとする母親=自分の意見を押し付ける人間、

家事育児が適当な母親=明るく自分の生活を楽しむ人間、

 と、きれいに二つに分かれていて、何が何でもそれ以外の存在は許さない。なぞそうなるかというと、彼女に苦言コメントを入れてきた人を、全員「自分の意見を押し付ける人間」としてしまいたいからです。

 でも実際は、彼女に苦言コメントを入れた人の中には、「家事育児はやりつつ、自分の生活も楽しむ人」である可能性はあるわけで。そういう人は、別に彼女に自分の意見を押し付けよう等という気持ちはなかったでしょう。そうなると、彼女の「苦言コメントは全て誹謗中傷」という決めつけが成り立たなくなる。よって、「家事育児はやりつつ自分の生活も楽しむ主婦」等存在しないと決めつけるしかないわけです。

 「家事育児はちゃんとやりつつ自分の生活を楽しむ人」のほうが、オギャ子さんのような「家事育児はてきとうで、自分の生活だけ楽しむ人」よりも、まあ一般的に見て、正しいからです。

 「家事育児はやりつつ自分の生活を楽しむ主婦」の意見のほうが、自分の意見よりも、一般的に見て正しい、という事になり、つまりもらった苦言のコメントは、苦言コメントではあっても、誹謗中傷ではありえなくなります。

 だから、オギャ子さんは、「家事育児はやりつつ自分の生活も楽しむ主婦」の存在を、絶対に認めないのだと思われます。

 認めない姿勢を貫けば、それがどんなに歪な姿勢であっても、彼女の中では「自分は正しい」を貫ける。だから、こういう記事も、堂々と書けるのでしょう。

 でも、彼女には見えていない事があります。彼女が認める認めない関係なく、世の中には客観的な事実というものがある、という事です。

  

 客観的な事実の一つとして、「心身の健康だけは、どれだけお金を払っても、買う事ができない」というのがあります。だからこそ親にとって、子供を健康に育て上げる事は、自分の人生の充実や、大金を稼ぐ事よりも、重要視すべきことだと私は思っています。

 もし、自分が家事育児を放棄したせいで、子供の誰かが体を壊したら、心を病んだら、その子を治してあげる責任は親に来ます。治ればいいですが、治らない病気もあります。

 そして、残念なことに、母親が自分の人生を充実させようと過度に思うと、また、母親が大金を稼ぐ事に過度に傾倒すると、当然母親の気持ちも時間もそちらに取られてしまい、子供にそそぐ眼差しは減ります。そうなると場合によっては、子供は病んでしまいます。こういう不幸な例は古今東西、枚挙にいとまがないです。記憶に新しいのは、三田佳子さんとか。素晴らしい女優さんで、おそらくお人柄も良い方なのでしょうけれど、次男さんは薬物依存からどうしても抜けられない人生のようです。その事で、三田さん自身も、後年とても苦しまれています。

 

 少し前の記事で、オギャ子さんは「私は、子供に寄り添う育児、なんて嫌い」と書いておられたそうです。子供に寄り添わずに子育てが成り立つとは、私には思えませんから、この言葉はつまり「私は育児は嫌い」ということなのだと思います。

 ならば、何故3人もお産みになったのだろう? いつも、最後にはこの疑問が湧いてしまいます。

 オギャ子さんはトップブロガーさんなので、信者さん達は沢山おられます。つまり、彼女と同じ考えを持った女性が、とても沢山おられるという事です。「母親は家事育児なんてしなくていいんだよ~。母親が好きな事をして毎日ニコニコしているのが一番いいんだよ~」というやつです。常日頃から、家事育児の手を抜く事を、「何よりも善」としている方々です。

 だとしたら。

 どうして結婚したの? どうして主婦になったの? どうして子供を産んだの? もしかすると、そういう方々にとって、欲しいのは「主婦」とか「母親」という肩書や権利だけなのかもしれません。肩書や権利は欲しい、でも、それに付随してくる義務や責任は放棄したい、という事なのかなあ。

 そうは問屋が卸さない、と思う私は頭が固いのかもしれません。

 

 

f:id:oinor-i:20200904115426j:plain

 オギャ子さんのブログは、あまり子育てのことを書いておられないのに、何故かアメブロの子育てカテゴリーに入っています。ブログタイトルも「コソダテフル」。つまり「子育てで人生が満杯」という意味のタイトルを付けておられます。何かのジョーク? よく分かりません。やはり、母親という肩書は十二分に利用したいけれども、一方で義務は果たしたくない、また、そういうご自身の考えを、絶対に正しいと信じて疑わないのでしょう。私も、身近に姉という人がいるので、こういう人が存在するという事は、よく分かります。世の中、いろんな人がいます。