書くしかできない

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車内に子供を置き去り事件

ksl-live.com 

 どう考えても悲惨な事件であるのに、既視感が酷いというか、同様の事件は以前から何度も目にしてきた気がします。

 藤田まさみ市議という方が、「車内の温度を一定に保つ機能を車に持たせる事で、万が一こういう事件が起こっても子供を死なせずに済むのではないか」という趣旨のツイッターを書かれたそうで、上に貼った記事は、それに関する記述。

母親が絡む幼児の死亡事件では「母親だけ責めてはいけない」と擁護する声が必ず上がり、藤田市議のように厳罰を否定する人が必ず現れる。確かに離婚などを期に女性が単身で子育てすることが当然のように語られるのはおかしな話だが、これが逆に男親による事件で「母親は何してた」とでも言おうものならフェミニストに袋叩きにされるだろう。」

と書かれている。

 ブックマークに寄せられたご意見には、

車に放置する時点で、その運転手は弱者。弱者救済の為に警報でも冷房でも何でもやれる限りの事はやった方が良い」

「 男親の自分も独りで子育てすることになったら「家に子供を放置し責められること」を怖れて車で連れ出す思考になるほど余裕がなくなってしまうかもしれない。なので社会でどう子供を助けていくか議論が進むのは有難い」

などが見られました。おおむね同意。

 

 私が付け加えるとするなら。

 こういう人は、男であれ女であれ、どうして子作りしたのか理解できない、という事です。子作り=性行為、ではないわけですから。避妊しない性行為=子作りの意思あり、という事ですから。

 世話ができない、もしくは、したくない、可能性があるのに、なぜ子作りしたのか。

 ブックマークの二つ目にご紹介した意見は「社会に子育てを助けてもらえると有難い」という趣旨が含まれていると理解するのですが、日本という国に、そこまで福祉能力があると、何故思えるのだろうか。そもそも私にはそれが不思議でならないです。

 日本には、これまでも、これからも、そんな余力ないですよ。福祉にそこまで力を注げる国じゃないです。食料自給率だって5%とかそんな状態から、脱する事ができない。災害が多発していますが、支援だって行き届けられない。一つの災害のダメージが回復する前に、次の災害がやってくるのがこの国です。そういう貧しい環境にある国なのです。それでもなんとか体面保ってやっていられるのは、国民が勤勉だからで、要するに、国民一人一人が、他者を当てにせずに真面目に精一杯努力するのを旨としているからです。福祉に頼れるような、そんな余裕のあるお国柄じゃないです。この国は。

 

 私が思うのは。

 男だろうが、女だろうが、子作りする時はよくよく考えて欲しいということ。ちゃんと育てられる自信がある人だけが、避妊なしの性行為をしてほしいということ。

 「いや~、こんなに子育てが過酷だとは思わなかったから~」という言い訳は、これだけこういう事件が多発している現在、通用するわけないでしょうに。子育てが過酷じゃなきゃ、こんな事件起こるわけないですから。

 

 あと、これも私がとても強く思うことは。

 子育てを、夫婦で押し付け合うとか、なんなら社会に押し付けようとか、子供にとっては、この世の地獄だなと思う。もし私が子供なら、そこまでして産んでほしくはなかったと思うと思う。

 望まれたから生まれてきた筈なのに、どうして?と思うと思う。

 

 結局のところ、「子供が欲しいと望んだのは誰ですか?」という話です。

 子供が欲しいと望んだ人が、状況によっては死に物狂いになるのかもしれないけれど、責任持って育てるべきだと思います。夫や社会に無理やり産まされたなら、夫や社会に押し付けてもいいけれども。

 今のところ、産む産まないの選択権は女性(母親)にあるのだから、母親が責任持つというは、当たり前の話じゃないかと私は思います。夫が産む産まないの選択権を持ってるなら、夫が責任持って育てるべき。社会に選択権があるなら、社会が育てるべき。それだけのことだと思います。

 子供を盾に、弱者ぶるのはやめてほしいと思います。子育て中の母親が、弱者なのは当たり前。野生の世界を見てもそうでしょう。子育て中の母親が一番過酷です。自分の命を守ること、子供の命を守ること、かつ、餌も取るということ、一つひとつが矛盾する事を、全て同時にやらねばならないのだから。

 子育て中の母親は、すべからず全員が弱者です。だから守ってもらえる福祉国家もありますが、日本はそうではない。そこまで豊かな国ではない、ということを、日本の女性は全員が分かっているべきだと思います。それが嫌なら、福祉が充実している国で子育てすればいい。選択権は本人にあります。

 そろそろ国民は、日本という国がそれほど豊かじゃないという事や、国を動かしている人達がそれほど立派ではないという事を、知るべきじゃないかな。

 上に貼らせて頂いた記事の主旨も、つまりはそういう事だと思います。

 正論を言えば、「母親だけが子育てするのはおかしい、まずは父親が一緒に子育てすべきであり、それが難しい家庭の場合は、福祉が手厚く支援すべきである」と。そうですよね、まさにその通り。でも、現実問題、全ての父親が、子育てを母親と同等にやろうとするわけではありませんし、日本の福祉はそこまで手厚くなれません。いや、理想論を言えば、父親が子育てに参加し、社会が福祉を手厚くすべき、です。でもそれは、あくまでも理想論であり、現実的ではありません。そんな事は、日本の場合100年たっても現実にはなりません。

 だから、最悪の場合、子供が車に放置されても車内の温度を一定に保つ機能があれば命は救えるのでは、という方向に思索が行くわけで、これはこれで正しい思考の方向性だと私は思います。

 そして、私個人の意見としては、そもそもが、育てる自信のない人は産まない事、これに尽きると思うわけです。別に正論を言っているわけじゃなく、現実的な解決策を言っています。生まれた子供を辛い目に合わせて死なせるくらいなら、そもそも産まない事しか、解決策はないからです。産める能力のある女性に「産むな」と言うわけですから、これのどこが正論なのか私には分かりません。むしろ人として邪道な考えだと自分でも思います。邪道であるけれども、これ以外の現実的な解決方法はないのだから、仕方ないと思うのです。

 むしろ「全ての父親が子育てに参加すべき、福祉を十二分に手厚くすべき」という意見こそが正論だと私には感じられます。この意見は、正論ではあるけれども、絶対に現実にはなりません。正論とはそういうものです。

 「女性は、子育ての大変さをしっかり認識し、育てられる自信がある場合だけ産む」という考え方が、世論的に高まる可能性は、ゼロではありません。こういう悲惨な事件が繰り返し起こる現状を考えると、こういう考え方が常識となる日がくる可能性は、少しはあると私は思っています。

 でも、日本において「全ての父親が子育てに参加する、福祉を十二分に手厚くする」は不可能です。可能性はゼロです

 これは、可能性の問題で、良い悪い、の問題ではありません。生まれてきた子供を辛い目に遭わせて死なせない為には、どちらがより現実的かという問題です

 

 

 人は、生まれてしまったから生きるのであって、「よりよく豊かに生きるべき」とか言ってるからおかしな事になる。そんな事言ってるから、結婚もしなくちゃ、子供も産まなくちゃ、となる。よりよく豊かに生きなくたっていいんです。ただ生きる、でいい。それだって大変な苦行です。ただ自分一人が生きるのだって滅茶苦茶大変だという事実を噛み締めれば、むやみに子供を産もうとは思わないのでは。

 なんてことを私がここに書いたところで、今日もまた、何も考えずに子供を産み、子育てが辛いと言って、死なせてしまう人が出てくるのでしょう。諸行無常