書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

こりゃいかんな、と思ったこと。

 何か分からないのだけれど、ある人の文章を読むとイラっとする、という事、ありませんか。書いている内容はいちいちごもっともで、正論で、驕り高ぶっているわけでもなく、冷静沈着でとても客観的である。適度にユーモアまでちりばめられていたりして。文句のつけようがない。にも関わらず、読むとイラっとするんですよね。

    一方で、書いている内容には全く共感できないのに、この人の文章は読んでいると絶対に楽しくなる、というのもある。

 この違いは、どこから来ているのか、と考えた時に、身もふたもないですが、多分「相性」だろうと思います。

 私は、どんな滅茶苦茶な内容でも、とにかく「ハッキリ言いきって潔く」書いている文章に惹かれます。

 つまり、くどい文章や、保険かけまくっている文章は、苦手なのです。

 文章が長いのが悪いというのではなく、くどいのが悪い。くどい、というのは、「同じ事を少し表現を変えて繰り返し語る」という事です。

 また、「保険をかけまくっている」文章も、苦手です。「〇〇だという事は承知の上で、あえて言わせてもらうなら」みたいな文言が、やたら入っている文章ですね。自分の意見だけが正しいなんて思っていませんよ、反対の意見もある事は分かっていますよ、私はそういう事は全部承知の上ですよ、私は全方向全てちゃんと理解していますよ、私は何もかも分かっていますよ、その上であえて書くんですよ、的な。

 保険をかけてあるからって、共感できるわけではないし、保険をかけていなくたって、共感できないわけじゃない。つまり、「保険かけてるかけてない」と、その文章に「共感できるできない」は、関係ない。

 なのになぜ、保険をかけるかというと、後で責められたくないから、であって、つまりは保身なのですね。

 保身を捨てられない人の書いているものは、全然面白くないわけです。

 翻って我が身を見るに、文章はくどくいし、保険もあちこちでかけているしで、全然まったく面白くないわけです。

 そう言えば、会話中に、「あなたの話はくどい」と注意された事があります。私としては、相手に一ミリも誤解の余地を残さないように、徹底的に説明したいのです。「だって」とか「でもさ」とか「こういう場合は」とか、後出しで反論されるのが本当に嫌いで。だから最初から徹底的に言い尽くしたくなり、結果話がくどくなるわけです。

 こりゃいかんな、と思った次第です。ちょっと改めます。

 

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関係ないですが、先日ムーミン展で買ったマグ、愛用中です。軽くて大きくて使いやすい。薄いんだけど丈夫で、プラスチックじゃなく陶器製。こんな素材は日本では見た事ないんだけと、北欧ではポプュラーなのかなあ。