書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

逃避である趣味に没頭する事。

 私の実家には、母の描いた絵があちこちに飾られています。絵だけではなく、書や書画も。いろんな飾り物も。全て玄人はだしであると同時に、どこまでも素人くささが抜けていない。母は「お稽古番長」で、沢山の芸術系の習い事で、日々を埋めている人でした。いえ、80代の今もそうです。残るものだけでなく、短歌や俳句、音楽系、インテリア、華道、懐石、等々、ありとあらゆるお稽古を嗜んできました。新興宗教に多額の寄付をした事もありました。

 一度、私が母の絵を指して「すごいね」と言ったら、「全部、現実生活からの逃避だから」と言っていました。

 いやいや、自分で分かってるんじゃん。。

 私は、母の絵を自分の家に飾る気には、どうしてもなれません。我が家には母の絵は一枚もありません。何故かと言えば、落ち着かないからです。母の創作物からは、母の「私を認めなさい。私を尊敬しなさい。私はこんなに趣味がよく、美しいものを創れるのだ」という承認欲求が溢れてくるからです。

 私は、母という人をよくよく知っているので、母がいかに俗物であるかも分かっています。そういう人が、天の高みに上ったようなものを創っても、ただ表面をとりくつろっただけのものに見え、そのとりつくろいにイラついてしまうのです。だから、私は母の創ったものは、我が家には飾っていないのです。

 現実生活のしんどさから逃げる為に、趣味に没頭することを、私は悪いことだとは思いません。ただ、現実生活をちゃんとやってから、現実生活の自分の役目をきちんと果たしてからなら、という条件がつきます。

 現実生活の自分の役目をちゃんとやってからなら、どれだけ趣味に没頭しようと、私は良いと思うのです。そういう現実逃避なら、良いと。

 でも母の場合は、現実生活の自分の役目をないがしろにしていて、高尚な芸術的な趣味に逃げ込んでいたので、外から見ていて気持ちのいいものではありませんでした。

 父は真面目に働いてくれる人でしたが、母はのべつまくなし父の悪口を言っていました。父を妙に褒めたたえるようになったのは、父が亡くなった後からです。存命だった頃はあれだけ馬鹿にしていたのに、、、と唖然としたのを覚えています。

 子育てにしても、厳しい母親であったと同時に、放任主義の母親でもありました。母は、自分の邪魔になる時と、自分の決めた「子供像(外見&言動)」から私達子供が外れた時だけ、厳しく怒る人でした。つまり、母の邪魔にさえならなければ、子供が何をしようが知ったこっちゃなかったです。また、私の髪型や服装は100%母が決めていましたし、「下品だから使ってはいけない」と言われていた言葉が沢山あり、例えば、お金の話、政治の話、体調(下系)の話、親への口ごたえ、「早くして」等の言葉は、絶対言えませんでした。

 同時に母は、子供がどうすれば幸せに生きれるのか、等といった面倒な事は、考えてはくれませんでした。着せて食べさせるだけが母親の仕事、と割り切っていました。自分の事は自分で考えなさい、というのが母の口癖で、要するに、母を煩わせるな、母は子供の事などという下等な仕事ではなく、高尚な世界でやるべき事が沢山あるのだから、というわけです。

 今、80歳を超えた母が一人で暮らす狭くない実家の、壁という壁には、母の描いた絵や書画が飾られています。納戸には、飾れない絵が山のようにしまい込まれています。ああいうものは一式、母が亡くなった後は、処分せざるを得ないでしょう。

 母は結局のところ、焼かれて消えてしまうものを創る為に、せっせと時間と心を割いてきたと言えます。

 とはいえ。じゃあ、もう少し良心的な子育てをしてくれたらよかったのか、と言えば、どちらにしても、私達子供だとて、いずれは焼かれて消えるのです。

 母が、子育てより高尚な趣味に力を注いだ事が、だから、悪かったわけでもないと私は思います。良い事ではなかったけれど、悪い事でもなかったと。どっちでもなかったと。良くも悪くもない、どっちでもないという事は、世の中案外たくさんあるものです。

 ただ、私は、母の創ったものを我が家には飾りたくありません。そこからは、良いものを感じないから、という理由で。

 

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 でも母は、基本的には良い人です。どっちでもない、というよりは、少し「良い人」寄りだと思います。世の中には割り切れないものは沢山あり、割り切れないままに生きていくしかありません。