書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

不公平感をどうするか。

 梅雨前のこの季節、とっても気持ちいいですね。風が涼しくて、爽やかで。今朝も、朝食を終えて、コーヒー片手にソファーでぼーっとしていたら、窓からうっすら聞こえてくる車の走行音が、波音のように聞こえてうっとり。昔、西海岸に住んでいた事があり、よく海沿いのモーテルに泊まりに行って、こんな風にソファーで寛ぎながら、波音を聞いていたなあと思い出しました。ら、足元から幸福感がふつふつと湧いてきて、ああ気持ちいいなあ、と思いました。まあよく考えたら車の走行音なんですけどね、、、。  

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 さて。ふと思ったのですが。

 世の中、不公平な事って、多いですね。多いというか、厳密に言えば、公平な事なんか、この世には無いんじゃないかと思います。

 今、LAで、黒人差別問題でまたしてもデモが起こっておりますが(先日は大阪でも1000人規模のデモが起こりました)。人種差別はダメだと分かっていても、人種差別は永遠に無くなりませんね。私が若い頃も、LAでは同じようなデモが沢山ありました。40年経っても、程度の差こそあれ、変わりません。私自身も、オリエンタルという事で、けっこう差別されましたし。LAではどっちかというと、黒人よりオリエンタルのほうが差別されてた記憶すらあります。黒人は言ったってネイティブ(米国生まれの人が多い)ですけど、オリエンタルは一代目の移住者や一時的な居住者が多く、マイノリティー度が高かったからです。数でも歴史でも黒人に負けていたので、オリエンタルは黒人からすら差別されていました。

 今はどうか分かりませんが、40年前の私の感覚だと、白人、黒人、オリエンタル、という順番だったと思います。オリエンタルの中には、アジア系・ヒスパニック・インド系などあるわけですが、このへんいっしょにされていた気がします。あと、白人黒人からしたら、アジア系の細かい民族差なんて分かりません。パッと見、日本人なんだか韓国人なんだか中国人なんだかフィリピン人なんだかベトナム人なんだか、彼らには分からない。いっとくしゃでアジア系。私達からしたら、全然違うじゃん、と思いますが。

 差別って言っても、そんな大した事されていませんが、例えば、レストランでトイレの前の席に通されるとか(他にも一杯テーブルは空いているのに)、プールのジャグジーに私が行くと、それまで入っていた白人達が全員出て行ってしまうとか、、、。言い立てる程のことではないけれど、なんとなく落ち込む感じ。

 最近の黒人への人種差別デモを見ていて、これはもうダメだなと思いました。人種差別は無くなりません。全員が差別するわけじゃないですが、差別する人は心の中で、どうしたって「色のついた人種は一段劣っている」と、根強く思っていて、これはどうしてもぬぐえない感覚、本能、みたいなものです。無理やり米国に連れてこられた黒人の方々は気の毒ですが、そうでない人で人種差別をされたくなければ、自分の国から出ない事だと思います。白人の国に行けば、色付き人種は差別される。秋の後に冬が来るのと同じように、これは変わらない事実だなあと思います。

 

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 こういう不公平感というのは、仕方ない、と流すのか、文句を言って改善を望むのか、どっちが正解なのでしょう。人種差別だけじゃなく、世の中に存在する全ての不公平について、どういう態度で臨むのが正解なのか。

 この答えは、人それぞれだと思いますし、同じ人でも、ケースバイケースだと思いますが、自分なりの対処法を確立しておく事が大事だと思います。でないとずっと文句を言い続け、不公平感に苦しみながら、死んでいく事になってしまいます。

 私は、基本的に「仕方ない」と流すタイプです。不公平ってあるよね、仕方ないよね、というタイプ。

 でも、どうしても耐えられない不公平、それによって自分(や子供)が、著しい被害を被っている場合に限り、改善を要求する事にしています。ただ、改善を要求しても、叶えられない可能性のほうが高い、という事も分かっているので、改善を要求する時は、相手(或いはその環境)と、すっぱり縁を切る覚悟を持った上でのみ、決行します。相手(或いはその環境)と、うまく仲良くやりながら、相手(或いはその環境)にクレームを出すというのは、非現実的なのです。相手からしたら、私の要求は、不本意であり、自分を批判されたと感じられるはずで、私に対して敵意を抱くのが普通だからです。

 つまり。

 そこに不公平が存在する時、私はできるだけ近寄らないように、距離を置くように心がけ、どうしても距離を置けない場合は気にしないように心がける。でも、どうしても我慢できない場合は、そこと縁を切る覚悟で、クレームを出す。「不公平に対してクレームを出す」時は、自分側の論理が完全に筋が通っている事、落ち度がない事が不可欠です。それでも、相手から激怒され拒絶され仕返しされる危険はいつでもあるので、そうなった場合は、速やかに退去する。そんな感じです。

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 今のLAのデモを見ていると、そしてアレと同じ事が40年前からずっと続いている事を考えると、「不公平に対してクレームを出しても、何も変わらない」という事実を、私は思わずにはいられません。

 不公平はある。次は白人に生まれるしかない。或いは、私の息子なら、次は健常者に生まれるしかない。そして、今生の自分は、死ぬ気で頑張るだけだ、と割り切る。死ぬ気で頑張っても、それでもどうしようもなければ、死ぬしかない。今生はそこで終わるんです。

 一番不毛なのは、自分は頑張りもせず、不公平感だけ抱き続ける事です。いや、そうやっていても、誰からも批判はされませんが、自分が苦しいだけです。私はどこか負けず嫌いの気があるので、不公平感にイラついたら、その不公平を見返してやろうと発奮します。今まで5ぐらいの力でやっていたのなら、10にする100にする1000にする。相手に改善を要求するより、そちらを選択します。

 こんな狭い山がちの小国の、体の小さな脆弱民族が、世界に伍して存在し続けていられるのは、私と同じような性格の人が、この国に多いからじゃないかなあと思います。