書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

雨の日、剥離骨折、椎名林檎さんのライブ、等。

 今日はしっとりとした雨の日です。晴れが続いていたので、心なしかホッとします。

 朝から息子の皮膚科通いに付き合いました。学校が軒並み休校なので、皮膚科も多少は混んでいるかと思ったのですが、いつもと同じでした。でも、先生が気を使って、早めに(9時より前から)診察を開始してくれたので、いつもより早く診察が終わりました。

 我が家からクリニックまでは、徒歩で20分くらいです。いつもは自転車で行きますが今日は徒歩。行きは眠くてぼーっとしていたのですが、帰り道はさすがに目が覚め、久々の雨の日を楽しみながら歩きました。息子は清算したり薬を貰ったりしている私を待たず、先に帰りました。ので、一人のんびり。

 最高気温は10度の今日。いつもよりは寒いけれど、セーターに薄手のダウンで十分快適です。

 雨の街は、一枚薄い靄がかかったような、秘密めいた奥ゆかしさがありますね。咲き始めた花に光る小さな雨粒に、貴重なものを見つけたようで嬉しくなります。朝という時間のせいか、コロナのせいか、歩いている人が少なく、街を独り占めした気分になりました。

 以前、足がもっと悪かった時は、雨の日に20分も歩くのは恐怖だったのですが、今では問題ありません。本当に回復してきたのだと実感し、これも嬉しい。スニーカーしか履かない事に決めた事と、ストレッチを毎日欠かさない事が、回復の秘訣だと思います。どちらも私には厳しいのですが、くじけず頑張っています。その分、ダイエットとか、あまりシビアでない事が、頑張れない状況です。ストレッチ頑張ってるし、ダイエットはまあいいか、と思ってしまう。いやいや、両方頑張れ、私。

 

 足と言えば、夫が先日、足を剥離骨折しました。剥離骨折とは、急に大きく筋肉が引っ張られる事により、筋肉にくっついている骨の一部が剥がれてしまうというものです。夫は、道を歩いていて、端っこの溝に足をぐぎっと入れてしまったそうです。全治二か月とのこと。一応、サポーターをして歩く事は可能ですが痛いのだそうで、かわいそうです。通勤はいつもは電車ですが、治るまで車で行くとか言ってました。足が痛いのにアクセル踏めるのかな。まあ、満員電車での感染が心配される昨今、車通勤のほうが安心しかしれません。

 夫は、私と違って、コロナ騒動で世間が自粛している事を、「過剰反応」とどこか小馬鹿にしております。ので、このご時世でも平気で出歩くし、平気で外食するし、飲み歩くし、ジムもいつも通り行きます。私が言っても聞かないので、放置していましたが、うまい具合に剥離骨折したおかげで、出歩けなくなったし、ジムにも行けないし、むしろ良かったと思います。夫にはかわいそうですが。

 

 話は変わりますが、今朝、興味深い記事が2つ上がっていたので、貼らせて頂きます。

 一つ目はコチラ↓。

椎名林檎(東京事変)がライブを中止すべきだった理由 あと野田秀樹氏の意見書について - 八幡謙介ギター・音楽教室in横浜講師のブログ

 もう1つはコチラ↓。

どうかあなたも生き抜いて - stage note archive

 

 この2つの記事は、同じテーマで、逆の意見を書いておられるのです。

 テーマは、先日の椎名林檎さんの一万人ライブについて、野田秀樹氏が擁護する意見書を出された件についてです。

 上の方は、野田氏を批判。下の方は、野田氏を擁護。

 それぞれの論旨は読んで頂いたほうが確かなのですが、私が勝手にザックリ引用してまとめるなら、

上の方の論旨。

(野田氏の意見書の)文中、公演の中止(劇場の閉鎖)は「演劇の死」を意味しかねないとありますが、この程度の騒動で死ぬ文化ならそれでいいんじゃないでしょうか?

既にコロナウイルスが原因で破産したホテルやクルーズ船があり、今後はビュッフェやスポーツジムにも波及しそうですが、それでもビュッフェの閉鎖は「ビュッフェの死」を、ジムの閉鎖は「筋トレの死」を意味しかねないとは誰も言いません。

仮にたった2週間公演を中止しただけで演劇文化そのものが死ぬのなら、そもそも最初から瀕死だったからではないでしょうか?

1、アーティスト活動は社会が健全だから行える。

2、今その社会が新型コロナウイルスにより機能低下している。

3、健全な社会の恩恵を被ってきたアーティストが、社会機能をさらに低下させるような催しを行うべきではない。

4、2週間公演中止して演劇が死ぬんならそれが定めなんじゃね?

 

下の方の論旨。

命には代えられない。そのとおりだ。ひとの命より尊重されるものはない。たとえそれが演劇であれ、音楽であれ。ただ苦しい。「正しさ」とはまったくべつのところで、私はただ、苦しいのだ。

野田さんの意見書は間違っているだろうか?そうかもしれない。でも私は「やめるな」と言ってくれる野田さんを待っていたような気がする。やめるなと言ってほしかった。それが間違ったことでも、あなたからは、やめるなという言葉を聞きたかった。 

 

 どちらの意見にも共感します。コロナ問題については、「これが絶対的に正しい」と言い切れる判断など、何もないのかもしれません。だからこそ、私達はどっちつかずな宙ぶらりんの状況に、苦しい思いをしているのでしょう。

 ではでは今日はこのへんで。

 

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いつかの夕日。