書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「これを言うのは〇回目です」という前置き

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 先日、興味深い記事を拝読しました(勝手ながら、上に貼らせて頂きました)。

 私が今日書く事は、引用させて頂いたブログの主旨とは違うのですが、「前置き」というひとつのテーマとして書きます。

 前置き、、、。

 私、します。

 私がする前置きは、「この前も言ったのですが」これ一本です。「〇〇さんも言っていたのですが」的な前置きはしません。

 でも、「この前も言ったのですが」は、絶対に言います。

 なぜ言うかというと、同じ事を何回も言いたくないからです。

 面倒なんですよね。一回で動いて、と思う。いや、出来ないなら出来ないでいいから、それならそれで、すぐそう返事して、と思う。

 上に貼らせて頂いた記事の内容を例にとれば、事前に出さねばならない会合用のレポートを、なかなか提出しない、というケース。「こっちは忙しくてそれどころじゃない」「自分の中で、ものすごく優先順位の低い用件だから、今書けないと返事する事すら面倒くさい」「そもそも、依頼された事すら迷惑」等が、返事をなかなか返さない理由だと思います。でも、要するに「今書けない」という事なのですから、即答で「今書けない」と連絡すれば済む話ではないでしょうか。「感じが悪い人だと思われたくない」或いは「ただ単に返事するのが面倒くさい」から、返事をずるずる引き延ばしている行為は、私にはあまりに身勝手だと感じられます。

 上の記事の方は、記事の最後に、「勇気を出して自分の意見言いきれ」というような結論を書いておられますが、であれば、レポートが書けないという返事も、即ハッキリ言うべきじゃないのかなと思います。少なくとも、相手が要望している期日までには書けないと、先に言っておくべきだと思います。そういう返事がなければ、相手は、レポートを書いてもらえるのかもらえないのか分からないまま、無駄に待ち続けなくてはなりません。しかも、結局期日までに届かないわけですから、困り果てる。先に、期日までにレポートが届かないと今分かっていれば、それ相応の対処が出来るのです。

 「期日までに書けない」と返事すると、相手からまた「そう言わずに書いてくれ」と返って来るだろうから、そういうやりとりが面倒くさい、という気持ちもあるでしょう。でも、こちらから一度ちゃんと「期日までには書けない」と言ってあるのだから、後は相手がどう言ってこようと、そこは無視して良いわけです。書けないと返事はしたのだから。無視したら相手から嫌われるから無視もしたくない、一番自分が悪者にならずにすみ、かつレポートを提出するという面倒も回避できるのは、何も返事をしない、というやり方です。だからこそ「返答を曖昧に引き延ばす行為」は、身勝手なのです。無駄な前置きを言う行為よりも、遥かに時間の無駄なのですが、誰にとっての時間の無駄かと言えば、相手にとって、です。自分には被害はない。困るのは相手だけ。だから返事しない。というのは、とても利己的だと私は感じます。

 

 やるかやらないか、分かったのか分からないのか、ずーっと曖昧なまま放置していたり、やって欲しいという要望を聞いておいてやらなかったり、やらないでくれという要望を聞いておいてやってしまったり、とにかく言った事が通じていない相手に、同じ事を何度も注意や説明をせねばならない時、私は必ず「この前も言ったのですが」を言います。

 「同じ事を何度も言わせないで欲しい」という気持ちがあるからです。

 どうして人に同じ事を何度も言わせて平気なのか、がむしろ私には分からないです。やらずに放置、聞かなかった体で放置、というのは本当に勝手だと思う。

 相手が幼児なら、私も繰り返し言いますし、発達障害児の息子には、それこそ何千回も同じ事を言い、底の空いたバケツで水を汲むような気持ちで、言い続けます。それは、相手がまともな大人じゃないと分かっているからです。

 私にとって、同じ事を何回も繰り返し言い続けなければならない苦行は、発達障害児の息子に対してのみで限界で、それ以外の人に割く心の余裕が無いです。

 相手がまともな大人で、こちらに「一人前の大人として扱え」と要求してくるなら、「だったら大人としてちゃんとやって」と思います。

 

 「この前も言ったのですが」という前置きは、言われたほうは嫌な気分になるでしょう。むしろ嫌な気持ちになってもらう為に、わざと言うのですから当然です。言われたくなければ、一回言われた時点で、さっさとやって下さればいい。あなた、健常者なんでしょ、と思います。

 世の中にはいろんな人がいます。何回言われても理解できない人、聞いてもすぐに忘れてしまう人、それはその人が悪いのではなく、障害や病気のせいです。身近に、始終繰り返し注意や説明をしてやらねばならない障害者や病人がいる人間は、健常な大人に対してまで、繰り返し説明する余裕がないです。できる能力のある人間は、サボらずさっさとやってくれ、と思います。能力がないなら仕方ないけれども。 

 障害や病気なんて、普通は考えてもみないでしょうが、障害者や病人は、この世界に意外と沢山生きています。発達障害は今6人に1人生まれてきています。認知症になる高齢者世代も益々増えています。口には出さないけれど、そういう人達のお世話を日常的にしている人間は、意外と沢山います。障害のない人、健康な人は、出来る事はやって欲しいです。

 障害や病気以外にも、世の中にはたくさんの困難があります。口には出さないけれど、みんな多くのストレスを抱えて生きています。

 相手を無駄に待たせない、同じ事を相手に何度も言わせない、こういう心がけは、自分の周囲の人のストレスを、軽減させます。やって当たり前とまでは言わないけれど、やれば善行の1つになります。あなたの周囲から、確実にストレスを1つ減らします。だから、出来たら、心がけて欲しいです。可能な人なら。被害者意識満載で申し訳ないですが。

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 最初にも書きましたが、引用したブログ記事とは、主旨がずれているので、ブログ主様には申し訳ありません。話のきっかけとして、引用させていただきました。ブログ主様は、「度を越したしつこい前置きは不要」という主旨で書いておられ、私はそのご意見には完全に同意です。

 ブログ主様は、「度を越した前置き」に対してのみ否定されていて、「適度で必要な前置きはOK」というスタンスで書いておられます。だから完全に同意します。

 私がここに書いたのは、その「必要な前置き」を、「言う側」からの視点です。この部分が、上のブログ内容に、一部欠けているような気がしたので、書きました。「必要な前置き」が、何故「必要」なのか、についてです。

 度を越したしつこい前置きは、「言う側」の自己保身です。けれどまた同時に、必要がある前置きを否定するのは、「言われる側」の自己保身だというのが私の意見です。