書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「母性神話」と揶揄する人へ

 私は、自分が発達障害児を産んでしまい、子育てに苦労したので、子供を産む事に女性は慎重になるべきだと、自戒を込めて思っています。今日はその事について書きます。またしても長いです。お時間のおありになる時に<(_ _)>。

 

 私や夫の親族に障害者はいませんし、私自身、子育てが苦手なタイプでもないので、産む前に「出産するかどうか」を慎重に考える必要性を感じませんでした。

 でも、発達障害児を産んでから、発達障害について調べたら、今、生まれてくる子供の6人の1人が発達障害児で、また、発達障害は代を追うごとに障害が重くなる(特性が濃くなる)という事も分かりました。

 つまり、親族にバッチリ障害者がいなくても、薄い特性を持つ健常者がいれば、自分は発達障害児を産む可能性があるということや、全くそういう親族がいなくても、6人に1人というのは、たまたま生まれてくる確率もあるという事が、分かりました。

 だから、これから子供を産もうという方は、本当に、慎重に考えて欲しいと思います。それは、自分の為でもあり、生まれて来る子供の為でもあります。発達障害児を適切に育てる事は、本当に苦行だし、母親自身の人生は無くなります。その覚悟を持てる人なら産んでも良いと思います。逆にその覚悟が無い人が、安易に出産をして、生まれて来た子が発達障害だった場合、普通の子育て(つまり障害児にとっては不適切な子育て)をしてしまうと、親に自覚はなくとも、親は毒親になり、子供は心に傷を負ってしまい、生涯、精神病に苦しんだり、引きこもりになってしまったり、と不幸な結果をうむ事になります。 

 この少子化の時代、そんなに慎重になっていたら、少ない子供が益々少なくなってしまう、という意見もあるでしょうが。生まれた所で、子供時代は毒親に苦しまされ、成長してからは精神病に苦しみ、自立する事も叶わず生涯家から出ずに過ごす事になるのです。苦しむ為に生まれ、社会に何一つ貢献できない。親が苦しい子育てを選択しないなら、子供が苦しむとはこういう意味です。子供時代だけ苦しむのではなく、一生苦しむ。現在、ひきこもりの方の数は、60万人です。

若年無業者(15~34歳の非労働力人口のうち,家事も通学もしていない者)の数は,平成14(2002)年に大きく増加した。平成25(2013)年は60万人で,前年より3万人減少した。15~34歳人口に占める割合は長期的にみると緩やかな上昇傾向にあり,平成25年は2.2%となっている。年齢階級別にみると,15~19歳が9万人,20~24歳が15万人,25~29歳が17万人,30~34歳が18万人である」

内閣府HPより引用

 

 この60万人の方の全てが発達障害だとは言いませんが、割合はかなり高いと思われます。つまり「適切に育ててもらえなかった発達障害者」です。そして、発達障害児を適切に育てるという事は、親にとって苦行以外の何物でもないのです。勿論、悦びもありますが、かなり後になって微かにやってくるものであり、子育て真っ最中にはほとんど得る事ができません。ただ苦しいだけなのです。私の場合も、死にたいと苦しみながら苦しんでいる事を子供に悟られないように、病気になって逃げだす事すら自分に許さず、ひたすら耐えて頑張り続けた先に、今やっと、なんとか一息つける所まで辿り着いた状況です。私がやった同じ事を、他人様に勧めたくない。苦しすぎるから。でも、やらなければ、発達障害児は育たないのです。

 私は、発達障害者が生れてくるべきではない、と言っているのではありません。ただ、発達障害児を育てる為には、親は、沢山の犠牲を払い、ひたすら忍耐を続ける人生になるという事を、分かっているべきだと言いたいだけです。

 全てを二択で考えるのは嫌いですが、あえて書くとしたら、こういう事です。

 子供には、育てやすい子供と、育てにくい子供が、存在する。

 育てにくい子供が生まれた場合、親か子供のどちらかが必ず苦しむ。親が苦しんで育てるなら子供は苦しまない。親が苦しまないで育てるなら子供は苦しむ。

 

 将来、医学が進んで、発達障害育児の苦しさを軽減できる方法が、開発されるかもしれません。例えば、一日に3時間しか寝ない障害特性を持つ発達障害児がいます。睡眠障害は特性として多いです。たまに、ではなく、365日毎日です。起きている時間は、障害児なので目を離す事ができません。そういう子は、子供だけ預かってくれる場所が少ないです。療育施設でも母子通園がほとんどで、子供だけ預ける事ができません。つまり、母親は一日3時間しか寝れない、という事です。

 でも、そういう子供でも、きっかり6時間寝てくれる薬が開発されたら、親の負担は随分軽くなります。今も、睡眠薬に近いものは存在しますが、効き方は子供によってまちまちで完璧ではない上に、副作用が多く、小さい子供に対して処方を躊躇う医師が多いです。 

 でも、いつか、完璧な薬が開発されたら、睡眠障害特性を持つ発達障害児の母親でも、一日6時間寝れるようになる。それだけでもどれだけ助かるでしょう。

 

 逆に言えば、発達障害育児を助ける医学的援助は、今の段階ではほぼ無いので、全ての負担が母親に掛かってくる以上、出産は慎重に考えるべきだと私は思うのです。

 

  さて。どうして私がこういう事を長々と書いているかというと、下記の記事を読んだからです。プロ(素人ではない)の方なので、勝手ながらご紹介させて頂きます。

母性神話 | カウンセラー星野えみ(えいみー)の「もう2度と『わたし』を一人にしない生き方を」

 この記事を書かれた星野さんは、某自己啓発のカウンセラーさんです。代表的な教義は「やりたい事だけやろう」「やりたくない事はやめよう」「ありのままの自分でいよう」です。私の姉が信奉している自己啓発で、姉はここの教義を自分の行動の自己弁護として、よく引き合いに出します。姉は、家事育児を放棄し、怪しいスピに走り、自力で自立した長男からは縁を切られ、発達障害で鬱で不登校の長女からは「一生恨む」と言われています。それでも姉は、「今が一番幸せ♡」と一切の反省なく、周囲を苦しめ続けています。

 姉は星野さんの事も信奉しているので、私は時々彼女のブログを読んでおく事にしているのですが、読むたびに疑問を感じずにはいられません。

 彼女は、小学生と中学生のお嬢さんをお持ちのシングルマザーさんですが、長女さんの子育てに悩んでおられます。長女さんはいわゆる「育てにくい子供」で、星野さんは、小さい頃から今に至るまで、叩く等の暴力や心を傷つける暴言といった虐待を、長女さんに対して行ってきました。小さい頃は親のほうが大きいので力で押さえこめたけれど、中学生にもなると、叩けば叩き返され、暴言を吐けば、暴言を吐き返され、更に「不登校」という親が一番嫌がる手段で仕返しをされる。それに耐えられず、星野さんは長女さんを、元夫さんに親権も含めて引き渡します。

 勝手ながら、星野さんの記事の一部を引用させて頂きます。

******(引用始まり)*****

「子どもをかわいがれない」 

「子どもを叩いてしまう」

「母親になるんじゃなかった」

「子どもを生んだことを後悔している」

今でこそ、こんな声を発している人を、ちらほら見かけるようになったけれど、それは、「自分らしく生きること」を良しとする、ごくごく小さなコミュニティーだけの話で、いまだに社会では「母性」は神聖化されている。「母親」と「子育て」には絶対不可侵な神話が根底に流れていて、声をあげることは眉をひそめられ、わざわざ言うことじゃないよとタブー視されているのが現状だと思う。

 昨日から、13歳の長女はまた元夫の家へ。元夫が長女を迎えに来た際に、本格的に、彼女の親権も住居も学校も何もかも含めてそちらへ移したいと申し出ていた件の話し合い。話していると、後悔や、罪悪感や、諦めや、残念さや、いろんな気持ちが、渦巻く。

 

 お母さん向けの長期講座の作成もあって、毎日毎日「母性」や、「母というもの」について、さらに深く考察している日々。母性や、母親というものに対する『理想像』は、以前よりは、少しだけ和らいでいる印象はあるけれど、やはり世間では、相変わらず神聖視されている。 

 子どもを生んでから、子育てに向いていなかったと気づくひとは、確かにいる。「子どもを作る前に、子どもを生む前に自覚しなさいよ」と言うひともいるけれど、そんなもの、妊娠中であれ、出産後であれ、第二子妊娠中であれ、いつ気がつくのかなんて、ひとそれぞれだ。当人だって、困惑するのだ。他人が口を出すことでもない

  実際に子どもを持ったあと、子どもを育てる環境や、自身や家族の病気やトラブルなど、人生が変化することによって、子どもを生んだことを後悔することだってある。

  子どもを生む時点で、そんなことすら予測して、心の準備をしている人なんて、およそいないだろうし、 今すでに母親という立場にいる人で、『母になる』という決断を、確固たる意志を持って降してきた人が、どれくらいいるだろうか?

  案外、そんなに堅い意志で子どもを生んできた人は、少ないのではないかと思う。

  たくさんの母親が、子どもとの関わり方がわからず、かわいがれないことや、楽しく遊んであげられないことに悩んだり、自分の時間や体力を削がれることで子どもにきつく当たったり、時に叩いてしまったり、それでも、あらゆる手を尽くして、子どもと、自分の命をつなごうとしていたりする。

  「正常だよ」って、わたしは思う。子どもをかわいがれないことも、母親になるんじゃなかったと思うことも、子どもを生んだことを後悔することも、それが、一時的なものでなく、一生自分につきまとう気持ちでも。頭がおかしいのでも、母性が欠落しているのでもない。常識がないのでも、ひととして未成熟なのでもない

  時間が経てば、母親であることに慣れるというのも、それでも生んだ子どもを愛しているはずだというのも、全部、理想論でしかない。

  母親になるんじゃなかったと、生むんじゃなかったと、後悔している人の苦悩は、その人にしかわからない

 普通の母親たちが、こんな思いを抱きながら子育てをしているという事実も、この世界には存在している。 

 いま組み立てている長期講座は、そんな人も来てほしいスクール。

 *******(引用終わり)***** 

 

星野さんを始め、この自己啓発の方々の記事は、80%の部分は一般の共感を得られる記述で埋められます。上の引用で言えば、黒文字の部分です。

 ですが、残りの20%が、おかしいのです(赤文字の部分です)。

 この自己啓発の教義の特徴として、前提や結論に、ごまかしや飛躍がある事です。

 前提部分に巧妙なごまかしがある事が多く、また結論は論理的に前提と繋がっていない事が多いのです。成り立たない事を、あたかも成り立つような断定口調で書くので、読み手は誤魔化されます。8割の部分に共感しているから尚更です。その上、悩んでいる読み手が「欲しい言葉」を断定的に書くので、悩んでいる人ほど、そのおかしさに気づけず飛びついてしまう。

 上の記事の赤文字部分について、一つひとつ見ていきます。

 

「自分らしく生きること」を良しとする、ごくごく小さなコミュニティー

 このコミュニティーとは、星野さんの所属する自己啓発団体の事だと思いますが、この書き方だと読み手は、その自己啓発の人達だけが「自分らしく生きることを良しとしている人達」なのだと勘違いします。でも、実際は、「自分らしく生きたい」と願わない人はいません。全ての人が「自分らしく生きたい」と考えています。

 ただ、社会の中で暮らす上で、「自分の責任を果たし、情や和も尊重した上で」自分らしく生きようとバランスを取って生きています。でもこの自己啓発では、「自分の責任を放棄し情も和も無視して」自分らしく生きる事を推奨している。

 つまり、一般人と、この自己啓発の人達との違いは、「自分らしく生きる事を由とする」部分ではなく、「自分の責任を果たすかどうか。情や和を尊重するかどうか」の部分です。星野さんの記事ではいつも、この部分をあえて読み手に勘違いさせる書き方をされる。

 自分らしく生きる事が悪いなどと考える人は、一人もいません。

 ただ、自分の責任を放棄し情や和を無視する事に、抵抗がある人が、普通の人であり、抵抗がない人が、この自己啓発の人達。 

 この前提部分「自分らしく生きることを良しとするのは私達の自己啓発だけ」というのは、間違いなのです。

 でも、星野さんは、そこを誤魔化してまず書き、読者の共感を得つつ、「責任放棄してもいいのだよ」をそれとなく匂わせる事で、続きの文章が読み手に違和感なく伝わるようにしています。この自己啓発の人達のブログの書き方は、常にこうです。

 

 後悔や、罪悪感や、諦めや、残念さや

 いかにも、ご自身が沢山反省し改善し、出来る限りの努力をしてきたかのように書かれています。でも、よく見てみると、彼女の言葉には、「反省」や「改善」という言葉はありません。長女さんが望んでいるのは、母親である星野さんが、自分への虐待を反省し、自分に謝罪し、もう二度としないと約束してくれる事以外にありません。

 星野さんがどれだけ後悔しようと罪悪感を感じようとそんなのは、長女さんには何の関係もありません。それは、星野さんがやりたくてやっている、ご自身を慰める為に勝手にご自身の為にやっている事で、長女さんの為ではありません。

 星野さんの言葉の中に、そしてこの自己啓発の教義の中には、「反省」と「改善」はありません。何故なら、「今の自分が100%正しい」という教義だからです。「100%完璧な自分が、変わる必要はない」というのが彼等の考え方だからです。

 しかし、現実問題、間違っていない人間など存在しません。うまくいかない事があれば、検証し、自分の間違いを反省し、改善する事以外に、現実問題を解決していく事はできません。当然、星野さんの長女さんの問題も、一切解決されません。そこで星野さんが取った手段が、問題を自分から切り捨てる、という方法です。一旦は親権を取った長女さんを、育てられないからと、元夫さんに押し付ける。

 残念だとか諦めだとか綺麗な言葉を使っていますが、残念だと思うなら、頑張ればいい。長女さんへの子育てを反省し、謝罪し、改善すればいい。そうすれば、長女さんを切り捨てるような冷たい事はしなくてすみます。

 ですが、口では「残念だ」とまるで不可抗力のように綺麗に言いながら、実際は反省も改善もする気はない。つまり、「出来ない」のではなく「しない」のです。自分が嫌な思いをしてまで反省したくないし、娘に頭を下げるのは忌々しいから嫌だし、しんどい思いをしてまで改善もしたくないのです。

 でも、彼女の書く文章の中には、そういった自己中心的な心根は巧妙に隠したままで、「残念だ」とまるで、星野さん自身が被害者のように、星野さんには問題解決する責任が無いかのように、まるで他人事のように、書いている。おかしな話です。でも、星野さんと同じ立場のお母さん達は、彼女の文章を読む事で、自分の責任を投げ出す事が出来、心が軽くなるのです。だからこそ、彼女の言葉に飛びつくのです。

 お母さん方の心が軽くなるのはいいですが、お子さんの心はどうなるのか。傷ついたままです。そして、お母さんが態度を改善してくれなければ、傷つき続けます。

 星野さんの、そして、この自己啓発の人達は、子供の心の傷については、一切触れません。相談してくるのは母親であり、星野さん達にお金を払うのは母親であるので、母親がラクになる言葉だけを言います。母親がラクになる事で、子供が更に傷ついても、それはお構いなしです。子供が彼等にお金を払ってくれるわけではありませんから。

 商売としてはうまい方法ですが、世の中に不幸をばらまいているという罪は、消えません。

 

他人が口を出すことでもない

 これも、この自己啓発の方々がよく言う言葉です。私の姉も、少しでも自分が責められると、必ずこれを言います。「あなたには関係ない。他人が口だす事じゃない」と。(いや、、、私は他人ではなく妹なのですが)。まあ、私の事は置いておいて。

 他人が口出す事じゃない、と啖呵を切るなら、社会で生きるのは止めたらどうかと思います。社会は他人で出来ている。他人が払う税金で出来ている。星野さんのお嬢さんが通う公立学校も、税金で運営されています。

 子供は社会全体の資産だからこそ、税金で公立学校が運営されるわけです。それ以外にも、様々な子育て支援(医療費が無料とか)が、税金で賄われます。シングルマザーさんなら、一人親支援も税金で賄われます。生活保護も税金から出ます。

 他人が口出す事じゃない、と啖呵を切るなら、他人の払う税金を使わず生きて欲しいと思う。幼稚園は勿論、小学校からずっと私立学校に通わせ(今時の私立はかなり税金が入っていますが)、子育て支援も返還し、一切他人に頼っておりません!と言い切れる生き方をして始めて、「私の子育てに他人は口出ししないで」と言える。

 都合のいいところは他人の手を借りておいて、都合が悪くなると「口出しするな」と言うのは、矛盾しています。

 他人だって、何でもかんでも口出ししているわけではないでしょう。明らかに長女さんが困っているのが見えているから、口出すわけでしょう。他人に口出ししてもらわなければ、子供は親の虐待から逃れる術がありません。親と子の力関係の差は絶対的で、子供が親に逆らう事は無理です。虐待で死んでしまう子供と、助かる子供の差は、他人が口出ししてあげたかどうか、です。

 私は、子供を死なせるくらいなら(それは、身体的にも精神的にも、です)、他人の子育てに口出しして良いと思います。それを拒絶する権利は、親といえども無いです。この子は自分が産んだのだから、自分の所有物だ、叩こうと殺そうが自分の勝手だ、というのは、時代錯誤も甚だしい考え方です。

 とはいえ。

 子育て以外のことであれば、星野さんがどういう人生を送られるのかは、星野さんの自由です。他人もいちいち口出ししないでしょう。ただ、他人からお金を取ってご自身の説を広めるとなると、別のお話です。星野さんがどう生きるのかは、星野さんのご自由。でも、他人を巻き添えにするとなると、「止めて下さい」と言われるのは、致し方ないのでは。一人で勝手にやっている分には問題ないですが、他人にそれを勧めるなら、他人から否定されるのも致し方ない。他人に好き勝手勧めておいて、否定されたら「他人は口出すな」は矛盾しています。最初に他人に関わりに行ったのは、星野さん(達カウンセラーさん方)のほうなのですから。

 そっちから来るから、こっちからも行かざるを得ないのです。私も、姉が巻き込まれさえしなければ、こうやって星野さんについて、ブログで意見したりしません。

 

ひととして未成熟なのでもない

 確かに、未成熟ではありません。子供を虐待するしないは、親の精神的な成熟未成熟の話ではありません。親の、人格問題です。親が、自己中心的だ、という事です。いかに精神的に成熟している大人でも、自己中心的な人は沢山います。そういう人は、育てにくい子供を忍耐して育てる事をしません。

 人として未成熟ではないが、自己中心的ではある、というのが正解です。ですが、未成熟という言葉を使う事で、自己中心的であるという事を、誤魔化しています。

 

母親になるんじゃなかったと、生むんじゃなかったと、後悔している人の苦悩は、その人にしかわからない

 いや、分かりますよ。「育てにくい子供」を授かった全ての母親が、分かりますよ。

 みんな、産むんじゃなかったと一度は後悔し、苦悩しながら必死で育てるのです。「育てにくい子供」を誠意を持って、子供の立場に立って、虐待せず、丁寧に育てている母親が、苦悩していないわけ、ないじゃないですか。

 子育てにおいて、叩いたほうが遥かにラクです。暴言を吐いてスッキリしたほうが遥かにラクです。それをやらずに、忍耐して育てている母親は、虐待して育てている母親より、遥かに苦悩しています。ストレスはどこにも吐き出せないのですから。

 「母親はしんどいなら子供を虐待していい」は、通用しません。それを星野さんは、多くのごまかしと詭弁で正当化し、その自己正当化を、自身の講座で他人にも広めています。私の姉もかぶれた一人です。姉の子供達は、先にも書きましたが、一人は姉と縁を切り、一人は「一生母親を恨む」と私に宣言しました。姉は家族の中で孤独です。

 

 最後になりましたが、この長々した記事で私が言いたかった事は、ただ1つです。

 女性は、自身が「育てにくい子供」を授かる可能性を、考えて、覚悟の上で、出産すべきだという事です。

 そんな事考えて産む人なんかいないよ、と言うなら、今私がここに書きましたから、今から考えて下さい。それは、私の為ではなく、その人と、その人の子供の為です。