書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

息子の話に付き合うのがしんどいという愚痴

 突然なのですが。というか、前から思ってはいたのですが、息子の話を聞くのは本当に大変だなあ、、、という事を、つくづく感じております。

 息子の話を聞くのは、私にはものすごくストレスなのです。それでも、息子が話し続ける限り、拒絶せずに頑張って聞きますし相槌も打ちますが、心の中で「ああ、、しんどい、、」と悲鳴をあげております。

 どうしてこんなにつらいのだろう?と、つらつら理由を考えるに。

 一つには、息子の話す内容に、私がまったく興味が持てないからだと思われます。学校の先生が(クラスメイトが)こう言ったああ言った、受験の結果がこうなるのはこのせいで、ああなるのはあのせいで、こう考えるべきかああ考えるべきか、親戚の誰それはいつどうしたこうしたなのか?誰それはどうなのか?等々、私には興味が持てないし、考える意味が分からないし、考えても仕方ないし、そういう内容ばかりで。

 なんて言うのか、、、極端な例え話をするなら、飼い犬と散歩していて、犬が話せたとして、「どこにおしっこしたらいい?この電柱?それともあの電柱?」とひたすら聞いてくるような感じです。「どこでもいいよ」と答えたい。答えたいけれど、そう答えると、相手が一気にパニックになると分かっているので、そうは言えない。「どこでもいいよ」という答えは許されず、「どこか指定して」と言われ、なんの根拠もなく「この電柱は?」と言うと、すかさず「どうしてその電柱なのか理由を言って」と言われ。

 理由などないわけですから、聞かれても答えられなくて苦しい中で、なんとか無理やり理由を探しだす。「この電柱は日陰で涼しいから」とかなんとか。自分でもバカバカしいし、そんな事を考える手間も時間も本当に無駄でしかないし、こうやって私が息子の相手をしている事が、息子に為になっているのかどうかも分からない中で、ただひたすらしんどい思いをしているという二重苦三重苦。

 二つ目の理由は、息子の話しが分かりにくい、という事です。相手の立場にたって話す、という事ができない子なので、自分の話の背景を相手は全く知らない、という事を無視して、いきなり言いたい事だけ話します。登場人物が誰なのか、どこで、いつ、の話なのか、も言ってはくれません。主語もよく抜けるし、一体誰がいつ何をした話なのか、話の骨格が全く分からない。

 勿論、小さい頃から、5W1Hを意識して話す事の重要性は、何度も何度も繰り返し教えてきましたが、本人が覚える気がないので、右から左に消えていきます。息子の発達障害特性の中で、言語能力の低さが、やはり抜きんでています。ここは本当に、時間をかけて繰り返し繰り返し練習し訓練しても、ほとんど伸びません。いつまでたっても、自分勝手な話し方しかできないので、私には、息子が何を話しているのか、理解することがとても難しいのです。それでも、「何言ってるのか分からない」とは絶対に言えない。言えばパニックになるので。

 どうするかといえば、私が、一つひとつ紐解いて質問し、息子の言葉足らずの部分を補足して文章の骨格を作り上げるしかない。話の筋道を、私が想像力と推察力で、作っていかないといけないのですね。これが本当に大変で、しんどい。ぼーっと聞いていたら、何がなんだかすぐに分からなくなるので、一瞬も気を抜けないのです。

 全く興味が持てない内容の話を、というか、その話をする事に何の意味も意義も感じられない話を、ものすごい集中力で聞き続け、息子の言葉足らずなところを適宜補足する為に質問を入れながら、聞きつづけなくてはならないのが、本当にしんどい、、。 

 

 私は親だから、これを義務としてやっていますが、他人は絶対にやってくれないだろうなあと思います。しんど過ぎるから。私が死んだら、この子の話を聞いてくれる人間はいなくなるなあ。この子は本当に、孤独に生きていくしかないのだなあと、暗澹たる気持ちになったり。

 受験がだんだんと終わりに近づいてきたので、受験に割いていた心の負担が軽くなってきまして、そうすると、別の問題が浮上してくるもので。以前からあった問題ですが、受験という大きな負担の影に隠れて見えなかったものが、重しがとれた事で、見えるようになってきた、という。

 

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 息子には良い面が本当に沢山あります。正直だし、真面目だし、努力家だし、誠実だし。この前も、自販機で飲み物を買った時に、お釣りが100円多く出て来た事がありまして。私はそのまま「あ、百円儲かった、ラッキー」と財布に入れかけて、息子を見たら、「え?」という顔をしている。ああ、これは駄目だ泥棒だ、と思い直し、すんでの所で、「この百円は、前の人が取り忘れたものだろうね。このままここに置いておこう。取りに来るかもしれないし」と、お釣りの取り出し口に戻しました。息子は、誰が見ていようと見ていまいと、ネコババは絶対にしないのです。モラルの低い私自身が恥ずかしかったです。

 まあ、そういう息子なのです。良い面が沢山ある。

 でも、他人の気持ちが分からない事や、いつまでたっても話すのが下手、という部分は、やっぱり周囲はしんどいです。

 今日は、いつにも増して、愚痴めいたとりとめのない内容で失礼しました。ここで終わります。

 午前中は曇りでしたが、だんだん太陽が出て来ました。あたたかい午後になりそうで嬉しいです。

 

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