書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「悪意」ホーカン・ネッセル著

 

悪意

悪意

 

  ホーカン・ネッセルは、スウェーデンを代表するミステリー作家です。とりあえず、似た作家さんというのが浮かびません。他の作家の追随を許さないというか、考えに考えた、練りに練った、その上で肩の力を抜いた独特の芸術性漂う文体。読むと、その世界に引き込まれ、渡世を忘れます。

 

 この本は、長編と短編、5作品から成っています。

 私が、「う、うわ~」となったのは、その中の「トム」という小説。ロシアのマトリョーシカのように、仕掛けが入りこ細工になっており、おおよそのエンディングを予測して読み続けると、何度もそれを考え直さないといけない仕組みになっています。

 20年前に殺した筈の義理の息子から、ある晩電話が掛かってくる。それが「トム」の出だしです。誰がトムを騙っているのか? 目的は? と追っていく。夫の遺産狙いか?義理の息子トムは、夫の連れ子だったから。。DNA鑑定をすればすぐバレる嘘を何故つく? 一つひとつの疑問が一つひとつクリアになっていくたびに、新たな疑問が浮かび上がり、最後にやっと何もかも解決して平穏な日々が戻って来たその日、またしても電話のベルが鳴る。「もしもし? トムです」。

 

 この本の中の一番の長編である「レイン ある作家の死」もまた、唸るしかない小説です。一部の登場人物はイニシャルで語られるのですが、その理由は最後に分かります。とまれ、そんな事は些末な事で、とにかくある国際的に有名な作家が殺されるのです。しかし彼は死ぬ直前に小説を一つ仕上げて、別の国の編集者に送っている。「私の国では出版しないように」という但し書きを付けて。当然、信用と実績のある翻訳者が選ばれ、翻訳作業に入る。

 普通の小説のように思えるのに、普通ではないのです。読めば分かる、と書いてしまうのは無責任過ぎるので、普通ではない点を挙げるとするなら、小説はこの翻訳者の一人称で語られるのにも関わらず、翻訳者の人となりが今ひとつ分からないという事。もしかして(というか途中でそれは確信に変わりますが)、この翻訳者は殺人者なのではないか?と読者は気づく。え?どういう事?と立ち止まる事すら許されず、筋書きはどんどん進んでいき、エンディングは「あ、そうか。そうね。それしかないね」という。

 この「レイン、ある作家の死」は、ミステリーとしての筋書きも秀逸ですが、文章もまた魅力に溢れています。私は途中で、不本意ながら、何度も胸をあつくしてしまいました。決して大げさな描写や、これみよがしな表現など無いのですが、ふとした文章に人の心を揺さぶる力がある。

 たとえば。

「若者たちの多くは裸で、昨晩などわたしがベッドに入ろうとしたとき、そのうちの二人がわたしのバルコニーのすぐ下で交尾するのを観察することができた。それは静かな、心のこもった行為で、少女が少年の上に乗り、月光の中で前後に揺れていた。そのあと寝ようとしても、その光景を網膜からはがすことができなかった。わたしだって、砂浜で女と愛し合う事になんの異存もない。おそらく、そういうことだったのだろう。繊細さなんてくそくらえだ。そう思ったのを覚えている」

 

 ゆっくりゆっくり、物語の筋を追いながら、温かい紅茶の湯気の中で読み進めたい本です。北欧のミステリーは、冬が似合いますね。