書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

勝ち負けのある世界にいながら、勝ち負けのない境地で生きる難しさ

 受験生の母親をやっておりますと、気を遣って頂き、よくこんな事を言われます。

「本人より母親のほうが大変よね」

「父親には仕事があるから気が紛れていいけど、母親は四六時中受験が頭から離れないから大変よね。体調崩したら母親の責任になるし、神経疲れるよね」

みたいな。

 言って下さる方は労いの気持ちで言って下さっているのでしょうが、私はひねくれ者なのか、こういう事を言われるのがあまり好きではありません。

 なんか、「ああ、自分は受験生の母親でなくて良かった」と、きっとこの人は内心思っているのだろうなと、思ってしまうから(ひねくれてますね)。これは、受験生の部分を発達障害児に置き換えても言える事なのですが。

 「発達障害児を持つと、本人よりも母親のほうが大変よね」

「父親には仕事があるから気が紛れていいけど、母親は四六時中、発達障害のことが頭から離れないから大変よね」

 みたいな。

 労われているのだろうけれど、素直に「有難う」と言えない。きっと、「ああ、自分は発達障害児の母親じゃなくて良かった」と思っているのだろうと思うから。

 そして、それは正解ですし。

 受験生の母親も、発達障害児の母親も、ならずに済むならならないほうが幸せです。絶対。しんどいですから。

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 何かわけの分からない前置きなのか愚痴なのかを書いてしまいましたが、ここからが本題でございます。すみません。

 受験って、勝ち負けの世界じゃないですか。自分に対して勝つか負けるか(自分の怠け心をどれだけ克服して勉強に励めるか)だ、と言う人もいますが、まあそれも一理ありますが、最終的には、他人との勝ち負け競争をやらないとならないわけです。資格試験等と違って、受験は絶対評価ではなく、相対評価なので。

 私は、世の中を「勝ち負け」で考えないように、と、普段は生きております。人にマウンティングしないように、逆に自己卑下しないように、優越感や劣等感を無闇に持たないように、世界になじむように、それが平和な生き方だと知っているので、そう努めていて、普段はそれが成功していて、穏やかに暮らせているのですが。

 受験ですよ、今、息子の大学受験真っ最中でございまして。

 勝ち負けの世界の渦中に暮らしております。

 さすがの息子もピリピリしていますし、毎日その精神的ケアをするだけで、疲れ切ってしまいます。

 だって、勝ち負けの世界にいればしんどいのは当たり前、苦しいのは当たり前。だから勝ち負けの概念をとっぱらって生きようと、息子には言ってきましたし、それで彼は穏やかに暮らせていたわけで。

 息子からしたら、勝たなきゃいけないのは分かっているからこそ、そのプレッシャーや競争心が苦しい、絶対に勝たないとと思えば思うほど、ストレスが嵩じて苦しい。分かるよ、大変だよね、で納得してくれる子ではないので、何とかして、そのストレスをゼロにしてやらねばならない。毎日です。毎日、ストレスまみれの息子が私に「しんどい」と言ってくるたびに、そのストレスを引き受けて、彼のストレスをゼロに戻してやらねばならない。ああ大変。

 私が使っているのは、「ダメ元」という言葉です。

 受からなくて当然のダメ元の所を狙っているのだから、負けて当然なのだ、と。負けてもいいのだ、と。

 今、我が家では、「ダメ元」という言葉が日常的に飛び交っております。これが、勝ち負けのある世界にいながら、勝ち負けのない境地で暮らせるコツかなと思います。あくまでも、息子の場合に限り、ですが。

 ダメ元~!と空に叫びたい気持ち(笑)

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  話は変わりますが。先日記事に書いておりました、市立美術館に行って来ました。一水会展という展覧会に、母の知人が作品を出しているそうで、チケットを貰ったので。

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 市立美術館

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 赤い矢印に従って、右の階段を降りますと、こんな感じ。

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 中は撮影禁止だったので、写真は撮れませんでした。先日たまたま見た搬入作品は、やはりこの展示会のものだったようで、大きな絵が沢山ありました。胸に残る絵も2つほど。たまにこういう展示会を観に行くのもいいものですね。

 一番心に残ったのは、文部科学大臣賞を獲られた平井芳夫さんの「野花」です。少し暗めの野原に、18歳ぐらいのデニム姿の普通の女の子が立っていて、手に一輪野花を持っているのですが、野花の色も暗い薄い紫で、背景の野原からあまり浮いてはいない。花、というより、確かに、野っ原に咲いている汚い花(野花)という感じ。女の子はそれを、手にして立っている。

 この絵を見て、なんか涙がじわ~っと出て来ました。私もこんな子だったなあ、と思って。汚い落ち葉を拾って、ああ綺麗、と手に持っていたりする子だったなあ、と。でもそれは、母などに言わせると、ただの「汚い葉」でしかなく、綺麗だと感じた私の気持ちは誰にも通じないんだなあという、寂しさも同時に持っていた。

 「野花」という絵を見て、私はそういう時の気持ちを思い出して、涙が出てきたのですが、この絵を見て、沢山の人が、同じように、まったく目立たない汚い一輪の花に、自分の何か大事なもの、誰にも理解されないけれども自分だけは大事に感じてしまうもの、を投影して、静かに感動するのだろうと思います。

 あとは、新人賞の下田さんの絵も素敵でした。

 写真が撮れないので、文章だけですみません。

 今日は以上です。ではでは。

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