書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

何に対してニコニコしているのか、が大事。

 今日は、「おお!なるほど」と納得した記事があったので、その事を書きます。

 拝読した記事はコチラ↓

㊎アリとキリギリス ~教えて!波動相談室~ | 竹久友理子のパルプンテ

 内容を勝手ながら要約させて頂きます。

竹久さんは、「波動を高めると良いですよ」という事を推奨されている方で、時々、波動についての質問を受けておられます。今回の記事も、波動についての読者さんからの質問に答える形で書かれています。以下質問内容はこんな感じ)

 「職場で、サボっている人達がいる。その人達の分の仕事が自分にまわってくるので、自分は忙しいし残業も多い。よって、イライラしてしまう。一方、サボっている人達は、お気楽に働いて定時で帰って行くのでノーストレスで楽しそう。『イライラする→→波動が下がる。人生を楽しむ→→波動が上がる』だとすると、仕事を押し付けられている自分が、しんどい思いをして波動まで下がって、不公平だと思う。これをどう考えたらいいのか」

 竹久さんの回答はこんな感じ。

 「ニコニコして楽しそう=波動が上がっている、ではない。高波動な状態になればなるほど、無私になるので、自我(私が楽しくなりたい)という感覚はなくなる。よって、職場のその人達のような行動は取れなくなる。自我を満足させて楽しいというのは、低波動。あなたがその低波動な人達を気にしてしまうと、あなたも低波動に同化してしまうので、気にするのを止める事。自分の仕事をコツコツ全うする事に集中すれば、低波動に引っ張られる事もないのでイライラもなくなるし、あなた自身の仕事上のスキルが上がる。今は仕事の能力を磨く時期だと考え、余所見せずに自身の職に集中すればよし」

 

 なるほどな、と思いました。

 竹久さんが推奨されている「波動」というのは、私が思っている「神様などの高次元の存在に近づく事=霊格が上がる、波動が上がる」という事とは微妙に違うのですが、この記事に書かれている考え方には、納得です。

 ニコニコ楽しそうにしている事が、高波動なのだという事ではない、と。何故ニコニコしているのか、何に対してニコニコしているのか、がポイントで、ただ我欲が満たされた事に対してニコニコしているのであれば、それは低波動なのだという事。それはそうだ。極端な話、泥棒が仕事がうまくいって上機嫌だったら高波動か、といえば、全く違うわけで。

 また、低波動な人を気にしてしまうと自分も低波動に同化してしまうから、気にしないように頑張る、というのも正しい努力の方向だと思いました。気にしてしまう時点で同化する、というのは、感覚として分かります。

 要領のいい人に仕事を押し付けられてイラッとするのではなく、自分の仕事のスキルを磨く一つの手段だと考えて、コツコツ仕事すればいい、という考え方も新鮮でした。ただ、人間は神様ではないので、身体的精神的限界というものがあるので、限界を超えてまで仕事を引き受けることはないなと個人的には思います。私なら、仕事を押し付けられたら迷わず断ります。そこだけが、ちょっと違うかな、と思いましたが、おおむね共感、納得。

 私自身が高波動だという事では全くなく、むしろ低波動だからこそ、これ以上下がりたくない、少しでも上がっていきたい、と考えておりまして、、。ズルしている人とか、おかしいなと思う事をしている人とか、気にするのを止める事で、下がるのを防げるのだと気付き、ああそうか、と思いました。

 

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 いつもの生國玉神社に出かけたら、七五三の参拝客が沢山おられて華やかでした。息子もこんな時期があったな~、あんなに小さくて頼りなかった子が、なんとか無事に大きくなれたなあ、有り難いなあ、としみじみしました。おかげ様で、大学受験、滑り止めの大学にはなんとか合格し、一息つきました。これから本命の受験が始まります。もうひと頑張りです。