書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

人生のカンニング

 私の家族がお世話になっていた神職の方(先の事が分かる霊能者さんでもある)が、お亡くなりになったので、我が家ではもう誰も、先の事を誰かに聞く事ができません。

 家族はよくその方に、先の事を聞きに行っていたのですが、私は自分の事については、一度も聞きに行った事がありません。もともと私はスピリチュアル嫌いなので。

 ただ、夫が聞きたいというので一度、それから息子が聞きたいというので一度、その方の所に連れて行って、一つだけ先の事を教えてもらったという事はあります。また、あちらから「〇〇だから気を付けて」とご注意のお電話を頂く、という事はよくありましたが。

 私が、自分の未来をその方に尋ねなかったのは、それが「ズルだ」と思ったからです。誰も、自分の未来が分からない状態で、探り探り生きているのに、自分だけ「私の未来はこうなる」と分かっていて生きるのは、効率はいいですが、効率がいい分ラクをしているわけで、それはズルです。

 人生をカンニングしながら送っているようなものです。

 テストでカンニングしたら0点になるように、人生でもカンニングをしたら、おそらくその人生は、送った事実を消去され、次回また、同じ課題を持って生まれ直さねばならないと思います。

 なんでこんな事を書いているかというと。

 息子が、すでに亡くなっているその霊能者の方に、自分の未来を聞きたいと、しつこく言うもので。お亡くなりになっているのだから、聞けるわけがない、と幼稚園でも分かる理屈を話して聞かせても、その一瞬だけ黙るだけで、数秒後にまた「〇〇さんの所に行きたい。先の事を教えて欲しい」と言い、エンドレス。

 それで、息子に、上に書いたような事を説明したわけです。先の事が分かる霊能者の人をたとえ知っていたとしても、何でもかんでに聞きに行くというのは、人生をカンニングしているのと同じ事だよ、と。そんな事をしたら、この人生であなたが頑張って課題をクリアしても、死んだ時にチャラにされて、また来世、同じ課題に取り組まされるよ、と。

 そういう風に説明したら、やっと息子も納得してくれました。

 先のことが分からないから、人は一生懸命にならざるを得ないし、どれが無駄か分からないから沢山の経験をせざるを得ない。それが「生きる」という事の定義で、先が分かってしまったら、純粋な意味では生きていない事になると思います。

 その事が、息子に分かってもらえてホッとしたので、ブログに書き残しました。とりとめのない内容にお付き合い頂き、有難うございました<(_ _)>。

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