書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

全部自分の選択だと徹底すると気持ちいい。

 今日は、息子は河合塾全統模試に出かけ、夫は午後から同窓会に行ったので、家には私一人の、ラクちんな日曜日です。

 しかし暑いですね。紫外線を計測できる最高値が11だそうですが、今、大阪の紫外線レベルは10だそうで。ほぼ、最高値。なんなんだ。ゴビ砂漠か、、。というか、ゴビ砂漠のほうが、湿度が低い分、マシかもしれません。高湿度高温度、そして高紫外線の三重苦です。

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 そろそろお盆ですが。我が家はお墓参りは先週、お盆より少し早くに行って来てしまいました。お盆は夫が実家に一週間ほど帰るので(私と息子は大阪に残ります。受験の年なので)、先週しか行けなくて。さっき私の母が電話してきて、この酷暑の中「お墓参り、行くわ」と言うので、全力で止めました。私達が先週行って、きれいにしてきたから、大丈夫だから、と。我が家のお墓はけっこう遠いので、81歳の母が電車を延々乗り継いで行くのは自殺行為です。行く必要は絶対に無い。

 まあでも、母は、私に「行くな」と止めて欲しくて電話してきた気配が濃厚でした。でなければ、わざわざ「行く」宣言の電話をしてくる理由がありません。いつもは勝手に一人で行くのだもの。母「行くわ」、私「止めて」、母「でも行かないと」、私「絶対止めて」という会話を、10回ほど繰り返した後、母はしぶしぶな体で、「じゃあ、お盆はやめて9月に行くわ」と言い、満足げに電話を切りました。ああ、面倒くさいなあ。。

 こういうの、なんて言うんでしょうね。自分は常に「善人である」という立場をキープしつつ、やりたくない事をやらない大義名分に人を利用する(?)という、、。

 ちょっと、母に対して意地悪な言い方をしてしまいましたが、偽善者というのは言い過ぎとしても、母の年代の女性というのは、どこか偽善者めいて感じられる事が私には多いのです。いや、年代関係ないかな。若くても、偽善者めいた人はいますものね。

 特に女性。特に母親。自分が外から見て「褒められない行動」をする時、子供をダシに使う人、わりといます。「褒められない行動」とか、「かっこ悪い行動」とか。

 例えば、マクドナルドで知人がランチしているのに会った事があるのですが、その人は私に「子供が来たいって言ったから~」とわざわざ言ってきて、違和感を感じたのでした。マクドナルドでランチするなんて貧乏な人だと思われたくない(私はそんな事思いませんし、そもそも私自身がマクドナルドにランチしに行ったのに)、だから子供が~と子供をダシに使ったのだと丸わかりで。というのもその友人は、普段は子供の意見など聞いてあげたりしない人だから。もっと言うなら、お弁当にも冷凍食品は絶対に入れちゃ駄目と言うほど、食べ物は「手作りじゃなきゃ」にこだわる人だから。出来合いのものは体に悪い、と決めつける人だから。子供が行きたいと言ったからマクドナルドに行くとは考えられない。

 私はそういう、偽善的な感じの会話、が本当に苦手です。

 人によっては、人間らしくておもしろい、と感じるのでしょうね。

 私は、ああ、時間の無駄だ~と思ってしまいます。

 いいじゃん。お盆にお墓参りに行くのをサボっても。育ちざかりの子供にマクドナルドを食べさせても。いや、良くない事かもしれないけれど、良くない事をしたっていいじゃん、と思います。

 大切なのは、良くない事をする事を選択したのは自分である、という事を、内外にハッキリさせる事だと私は思うのです。自分は良くない事をしたけど、それは、人に言われて仕方なく渋々やったのであって、自分は本当はしたくなかった、みたいなエクスキューズを言う人が、かなり苦手です。

 自分がした事は、全部自分の選択だ、と徹底すると、すっきり気持ちよく暮らせる気がしています。

 まあこうやって、「私は偽善的な言動はキライ」と宣言するという行為自体が、本当は偽善なのだとうっすら思うのですが。

 本当は今日は、家事の事が書きたかったのですが、母の電話でそれてしまいました。次回家事の事を書くことにします。今日も暑いなあ。皆様、ご自愛ご自愛で。

 

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