書くしかできない

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真面目な批判にジョークで返す是非。

 たまに耳にする説で、「人から批判された時の受け答えとして、ジョークで返すのが最適」というのが、あります。

 理由は、ジョークで返すと笑いに転じる事ができるから、だそうです。自分が批判された時、自分は悪くないと思っていると、当然、批判に反論するしかないわけですが、反論するとまた反論されてキリがない。かといって、批判をそのまま反論せずに受け取るのはあまりにも癪で納得できない。そういう時には、小粋な洒落やジョークでかわすのが、一番良い方法だと。

 私はその説には、反対なのです。

 なぜかと言いますと。

 相手は、真面目に批判してきているわけです。そういう相手の真面目な態度に対して、ジョークで返すというのは、あまりにも失礼だから、です。相手の真面目さを小馬鹿にし、自分はさも器の大きい大人物であるかのように、相手の言葉をまぜっかえして鼻で笑う。批判に対してジョークで返すというのは、そういう態度のことですから。

 批判にジョークで返されるぐらいなら、真正面から反論してこられるほうが、ずっとマシです。まだ誠意があると感じるからです。

 

 ジョークというのは、取扱いが難しく、一番やってはいけないのは、「自分に都合の悪い状況になったが言い逃れる言葉がない時に、逃げやごまかしの手段としてジョークを使う」というものです。この場合のジョークは、ものすごい上から目線に聞こえるものです。

 なぜなら、そういう風に、何らかの誤魔化し、混ぜっ返しの手段としてジョークを使う人は、ジョークが言えるという事を、何か「人より一つ上の人格。精神的余裕の表れ。頭脳明晰の証明」のように、考えているからです。だから、そういう人の発するジョークは、ものすごい上からに聞こえてしまうのです。

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 本来、ジョークというのは、究極のサービス精神の発露です。それを、どこでどう間違ったのか、「ここで一発ジョークでも入れて、自分の頭の良さを示しておこう」等と考える人が、意外と多い。特に男性に多い気がします。

 G20の時の、大阪城のエレベーターの件での安倍総理のジョークも、その一つでしょう。各国のトップを前に、洒落たジョークが言える自分をアピールしようとしたのが完全に裏目に出ました。その場でほぼ誰も笑わなかったと聞きますし、ネットでは安倍総理への批判が湧きおこりました。

 安部総理は、自分は気の利いたジョークを言っただけなのに、何故ここまで叩かれるのか分からなかったと思いますが、ジョークの意味を勘違いしている故だと私は思いました。

 ジョークはあくまで、サービス精神から行うもので、それ以外の目的で言った瞬間に、悪臭が漂うのです。安倍総理のアレは、自虐風の自慢とユーモアが言える人間だというアピールでした。だから周囲は笑うどころか、しらーっとしてしまったのです。周囲はそっちのけで、自分が言いたい事だけ言った結果は、たいていそうなるように。

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 私はアメリカに住んでいた事があるのですが、西洋のジョークというのは、日本のお笑いに近いと思います。お笑いもそうですが、エゴを完全に消さないと、人を笑わす事は不可能です。自分を卑下するとか、下手に出るとか、謙遜するとか、そういう上辺の話ではなく、心根の部分で、誰の為に今発言しているのか、という事です。そのお笑いなりジョークが、自分の利の為に言っているなら、周囲は笑えません。それが、純粋に周囲の人の為に発言されて初めて、それはジョークとして存在できるのです。

 

 例えば、国のトップの方々のジョークで比較してみると。先に書いた安倍総理のジョークは、「大阪城は最初に16世紀に築城されましたが、明治維新の混乱による焼失後、天守閣の復元工事が行われました。ただしかし1つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまった事です」という内容です。

 ミスを犯した、という自虐を言っているようで、実は、エレベーターまでつけちゃう日本の技術力アピール、なわけです。自虐風の自慢、というやつで、最も嫌われる物の言い方です。ネットでは、弱者に対する視線の欠如が指摘されていますが、私はその事よりも、そもそもこれがジョークとして成り立っていない事のほうに違和感を感じました。

 安倍総理は頭のいい方だし、コミュニケーションを仕事として前向きに活動されている方なのに、どうしてこういうミスをされるのだろう?不思議でなりません。

 

 一方、かなり前になりますが、ブッシュ大統領が日本に来られた時に、体調不良で倒れた事は有名です(晩餐会の席で嘔吐してしまったのです)。この時、奥様であるバーバラ夫人は、咄嗟にこういうジョークを言いました。

 「〇〇(大統領の側近の名前)が、今日の昼間、大統領に無理やりテニスをさせたんですよ。(そのせいで、疲れたブッシュが倒れたと言外に含ませる)。悪いのは〇〇です」と言って、大袈裟にその側近を睨む仕草をしたのです。一同大笑いでした。

 誰も、その側近が悪いなんて思っていないし、バーバラ本人もそんな事は露も思っていない事は明白で、でも何か言わないと、受け入れ国の日本の名誉にかかわる(日本の接待の不備だと世界に言われたら申し訳ない)、かといってブッシュ大統領を下げる発言もできない、アメリカの威信に関わります。それで、側近を下げる見事なジョークでその場を切り抜けたのです。

 大統領が倒れたのを見て凍りついたその場が、バーバラのジョークで救われました。みんなホッとして笑ったのです。なにせ、倒れた瞬間は、なんで倒れたのか分かりませんから、撃たれたのではないか?毒をもられたのか?と緊張が走り、見上げるような体格のSP達がどっと大統領をガードしに走ったのです。晩餐会のテーブルの上に乗って走ったSPもいたぐらいです。そんな中での、バーバラのこのジョークは、秀逸だと思いました。その場にいる人達全員への、また受入国である日本国民全員への、更に自国アメリカ国民全員への、サービス精神がしっかり流れています。

 私の下手な文章では、バーバラのジョークの勘所をうまく表現できていませんが、口調、視線、間の取り方、仕草、等々をうまく使って、周囲を和ませたのです。

 申し訳ないけれども、安部総理の自虐自慢ジョークとは、雲泥の差です。

 バーバラ夫人が実際はどんな人かは全く存じませんが、ジョークはうまいなと思いました。ジョークは何のために使うのか、その勘所を正確に把握しておられる。

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 時に、我の強い人の不快なジョークに笑っている人を見ると、不思議な気がします。この人は、本当にそれを面白いと感じているのだろうか。お付き合いで笑ってあげているだけなのか。もし、本当に面白いと感じているのなら、感受性の何かが壊れているのではないか。そんな風に思ってしまいます。

 まあ。

 私はいい加減神経質なので、特別なのかもしれませんが。ジョークというのは、意外と難しいと思います。

  

 勿論、日本人でもジョークというか、スピーチのうまい人はいます。生来のセンスというより、努力で身に着けたのだと思います。例えば、トヨタ社長とか。最近の記事を一つ貼っておきます。

トヨタ社長のスピーチは、なぜアメリカ人に「大絶賛」されたのか(リップシャッツ 信元夏代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)