書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

兄弟喧嘩に親は介入すべきか。

 私には子供が一人しかいませんので、「兄弟喧嘩が始まるとウンザリする」というお母さん方のお声を聞いても、「一人っ子しか育てていない私が、口を出す権利はない」と思うので、何も言いません。

 言わないけれど、心の中で思う事があります。

 それを、今日はここに書きたいと思います。

 

 私には姉がいます。つまり姉妹の片割れ、それも、年下側として育ったわけです。

 そういう私の立場からすると、親元で生活していた20年と少しの期間、私と姉の喧嘩に母は一切介入してくれなかった事について、私はいつも辛い思いをしていました。

 このブログでも再三書いてきたように、姉は一言でいえば自分勝手な性格で、そういう人と一つ屋根の下で生活すれば、喧嘩にならないほうがおかしいわけです。喧嘩するのが嫌だから我慢していると、姉の勝手さは増す一方なので、私の我慢の限界を超えた時点で喧嘩になる、というのがいつもパターンでした。

 私はこういう性格なので、一つひとつ事を分けて姉に説明し、「だからあなたが悪い。謝って改善して」と言うわけですが、姉は話をそらしたり誤魔化したりして、絶対に謝りませんし、態度を変える事もありません。姉は、私よりも年上である、という事で、私をバカにし軽く扱う権利を有していると考えていたからです(今現在でもそうです)。

 私と姉の当事者二人で話しても、筋の通った話はできないので、私は母に「こうこうこういう事があったから、お姉ちゃんに謝らせて欲しい」と頼むわけですが、母は私達の喧嘩には絶対に介入してくれませんでした。

 母いわく「姉妹だから喧嘩ができるのよ。どんどんやればいい。他人なら喧嘩したら物別れになるけれど、姉妹は不思議と次の日には忘れて仲良くなれるものよ」

 そう言って、母は、私の話を一切聞かず、「お母さんは関係ないから」と逃げてしまうのです。

 年上である強い立場の姉からすれば、母がいないほうが有利ですが、弱い立場の私にとって、母が裁判官の役目を果たしてくれない事は、大きな痛手でした。私は結局、泣き寝入りするしかなかったからです。

 そういう経験をずっと積み重ねてきて、私は、姉と喧嘩しても私の意見が通る事は絶対にない事を学び、だから姉とは表面的な会話に留める事を心して生きています。そして日常的に姉とは関わらないこと、を心がけています。関わると、腹の立つ事が出てくるので、意見せざるを得なくなるし、意見してもそれが通る事は絶対にない、つまり嫌な思いをするだけになるので。

 一方で母に対しては、「本当に困った時には、私の味方をしてはくれない人だな」と見限りました。日常的な些細な部分では、あれこれ助けてくれますが、心底私が母の助けを必要としている時には、さーっと逃げてしまう人だと思います。これはもう、仕方ないこと。私は随分前に、多分小学校低学年の頃に、そう悟り、諦めました。

 母が、子供の喧嘩に介入しない主義を通すメリットは、沢山あったと思います。まずは、子供の面倒な話を聞かなくて済む事。子供の話を聞く事は、親の自由時間を奪いますから、子供の喧嘩に介入しないと決めれば自分の時間を奪われないという大きなメリットが得られます。また、どちらかを「悪い」と決めずに済む事、つまり悪い側になった子供から恨みを買わずに済むわけです。子供達のどちらにも、常にいい顔をしていられる。更にまた、子供の喧嘩というような大人からすれば「低レベル」な争いからは、離れている事で、自分を高い位置に置く事ができます。

 だから、母は、私と姉の喧嘩には、介入してくれなかったのだと思います。

 今現在でもそうです。私はたまに姉からされた酷い仕打ちや言葉を母に愚痴る事がありますが、母は、私には「お姉ちゃんが悪いねえ。あの子はどうしてああなんだろうねえ」とは言うものの、姉に対してその事で小言を言う、という事はしません。

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 「家で、子供達の兄弟喧嘩が始まるとウンザリする」というお母さん方のお話を聞くと、「ウンザリするのは分かるけれど、お母さんが介入して、正しい間違いをきちんとジャッジしてあげて、悪いほうに反省を促し改善させて欲しい」と私は思います。私自身は姉妹喧嘩で嫌な思いをし続けてきたし、母が介入して裁判官の役目を果たしてくれたらどんなにか良かったかと思うからです。

 「悪いほうに反省を促し改善させる」という事が、難しいのだとは思います。でも、そここそ親が頑張って、やって欲しいと私は思います。でないといつも、兄弟の弱いほうが、つらい思いをし続けるわけだから。兄弟喧嘩が起こっていない時、というのは、弱い子のほうが我慢している時、なわけで。兄弟喧嘩が起こっていないから平和、ではないわけで。弱い立場の子の我慢の上に家庭の平和が成り立っているのかもしれない、と、少しは考えて欲しいなあ。親自身がなんとかしないといけないと気付くのが嫌で、あえて考えないようにしているのだとしたら、狡いなあ。。。

 もちろん、ただただたわいのない、無邪気な兄弟姉妹が、ただただたわいのない、子供らしい、無邪気な喧嘩をしているだけだとしたら、親がいちいち介入する必要はないと私も思いますが。

 また、兄弟喧嘩する事で社会性が育つ、だから大人(親)は介入しないほうがいい、という考え方もあるでしょうが、、。明らかに年の差があり、性格にも強い弱い、狡い優しい、というような差があったり、どちらかが発達障害のケ(障害とは言えないまでも若干の傾向がある)場合、もう片方の兄弟のしんどさは過酷です。社会性が育つ前に、心が壊れる可能性が高いと思います。

 だから私は、こういう、冷めた人間になってしまったわけで。一方姉は、どんなに客観的に見て自分が悪くても、何のかんの言って結局最後はうまく逃げ切れる、という、いい加減な人間になってしまったわけです。そしてそういう生き方をしてきたツケが、今姉の人生に押し寄せてきているわけで。

 母が私達姉妹を、一切叱らずに育てたわけではありません。むしろ口うるさく叱る母親でした。ただ、母が叱る内容は、母に迷惑をかけたり、髪型や服装が母の気に入らなかったり、という、母目線で母を不快した時のみだったのです。それだって一緒に暮らしていれば、結構多いわけで、私はしょっちゅう叱られていた記憶があります。今でも、服装とかチクチク言われて落ち込みます(母いわく、私の服装はしまりがないだらしない、という事のようです)。また、荷物が多いとか、そういう事も今でもよく叱られます。

 

 とまれ。いつもいつも、でなくていいし、喧嘩の内容を選んでここぞという時だけでいいので、兄弟喧嘩において、たまには親が裁判官の役目を果たしても、いいのではないかと私は思います。

 「子供達が喧嘩ばかりしてウンザリする」のは、親がその喧嘩の原因をつきとめる努力を怠っているからではないかと思うのです。誰が、何故悪いのか、どうしたら解決するのか、徹底的に話を聞いて解決しておかないから、いつまでも同じようなイザコザが発生し喧嘩が繰り返されるのだと思います。

 悪いほうの子供にどれだけ注意しても直らないなら、それは「直せない」理由が子供側にあるわけで、親が子供に対する対応や子供に与えている環境を改めなくてはいけません。また、兄弟のどちらかが発達障害のケがある場合は、障害特性からの問題行動で兄弟を苛めている可能性もあり、これは障害なので直りませんから、兄弟の生活圏を分けるとか、生活スケジュールを重ならないようにするとかして、健常のほうの兄弟を、救ってあげなくてはいけません。 

 一言で兄弟喧嘩といっても奥が深く、「兄弟喧嘩にウンザリする」で放置しておいて良い場合と、良くない場合があると思います。それを見極める為にも、たまには親が介入してあげてほしいなあと思います。

 

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