書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

孤独が平穏を維持するのかも。

 前回の記事で、息子が私に暴力をふるうことを書きました。ブログ上では数日なのですが、実はあれから結構日々は過ぎておりまして。現状を書いてみようと思います。

 私は、噛まれた指に包帯を巻き、いつでも家を出られるようにスーツケースに荷造りしました。とりあえずの着替え。当座に必要なお金も銀行から降ろしてきて、荷物に詰め、保険証やパスポート、マイカード等の証明書も、常備薬も、洗面道具も化粧品も詰めました。ハンドバックと一緒に持ち出せば、数か月は家を出て一人で暮らせるように。

 行先は最初、実家を考えましたが、そこだと息子が探しに来ると見つかってしまうので、ビジネスホテルを泊まり歩く事になるのだろうな、と。北海道や九州などの、距離のある場所に行くほうがいいかもしれない、と、宿泊先の候補も探して、メモしておきました。

 そういう作業をしながら、私は心の中で、息子への感覚を、あえて変えようと努力していました。

 我が子なので、当然ですが、とても愛着があり、多分、この世で私が一番大事に思っている、心を許せる信頼できる安心できる存在が、息子です。息子の良心を私は信じているし、息子が私に寄せる信頼が真実であることも知っています。そういう風に、心から信用できる人は、この世に息子しかいません。

 でも。彼は発達障害児なので、私には理解できない障害特性があり、それが「不安感から自閉的傾向が強まり、発作的に私に暴力をふるってしまう」という悪癖です。

 中学生くらいまでは、私が息子の不安感を徹底的に受け止め、何時間でも話し相手になってやっていたので、彼が私に暴力をふるう事はありまんでした。

 でもその話が、5時間6時間ぶっ続けで続くようになり、私が疲弊してしまって医師に相談したところ、「息子さんの話を聞いてはいけない。拒否しなくてはいけない」と言われ、それから、息子が私に不安感からからんでくる時は、キッパリと「ダメなものはダメ」と拒否するようにしました。

 私から拒否された息子は、「私に長時間からむ」という事ができなくなり、その反動で私に暴力をふるうようになりました。

 今度は、暴力をふるう事を止めさせました。このへんの経緯は過去記事に書いているので、良かったらご参照ください。

 とにかく。徹底的に暴力を止めさせ、私に対して長時間からんでくることも、暴力をふるってくる事も、ほとんどなくなりました。

 でも、ゼロではありません。

 1年ぶりに、前回の記事に書いた通り、息子から暴力をふるわれました。

 はー。残念。やっぱり治ってなかった。

 

 というわけで、気持ちを切り替え、次の手を考えたわけです。それが、今度私に暴力をふるったら私は家を出ます、という事を、息子に告げた事です。告げただけでなく、実際に準備もし、いつでも出られる用意もしました。

 その準備をしながら、私は、愛着のある息子のことを、他人のように考えようと努力し始めました。息子だと考えると、どうしても捨てられないからです。家を出るということは、息子を見捨てるという事です。息子だと思うと、捨てられません。

 あの人は他人である。と無理して考えるようにしました。

 そうしながらも、ずっと一緒に暮らしているわけです。顔を見れば、ああかわいいな、と思うし、発言のひとつひとつが彼らしい素直さにあふれていて癒されるし、息子の心のまっすぐさも伝わって来るし、何よりこの存在を産まれた時からずっと大事に育ててきたのです。他人と思うのはとても難しい事でした。が、他人と思わなくては家を出る覚悟ができません。

 私は、意識して、息子と心の距離を置きました。いつもぴったり一緒の感覚で生活していましたが、あえて距離を置きました。そして、日々少しづつその距離を離していきました。

 数字で書くなら、以前は数センチだった距離が、今は数メートルまで離した感じ。

 私は、とても孤独を感じました。今まで息子と一緒に生きていると感じていましたが、今は、私は一人ぼっちです。感覚として、孤独になりました。

 この息子との心の距離感を、私は態度では示しませんでしたが、それでも、息子には、どことなく私がよそよそしくなった事が、感じ取れたようです。それは、息子に、不安感を与えたと同時に、危機感も与えたようです。

 

 息子が私に暴力をふるう時というのを、過去全部思い出してみたところ、2つのパターンに集約される事に、気が付きました。

 一つ目は、夫が私に大声で怒鳴る時、または夫が私に対して、不満気になる時。息子は、私と夫が喧嘩を始めると思い、私を止めようとして暴力をふるいます。

 二つ目は、息子が何らかの理由で、学校を休みたいと言いだした時に、私が「休んではいけない」と言うと、息子は私の答えを変えようと暴力をふるいます。

 よくよく考えたら、息子が私に暴力をふるう時というのは、このどちらかだけです。

 

 何故、息子が私に暴力までふるうかというと、この二つの時、息子は極度の不安感に襲われるからだと思われます。夫の大声や不機嫌な声は、小さな頃に夫に殴られた事を思い出すのかもしれません。学校が休めないという事は、何らかの理由で行くのが怖いという不安が病的に高まっているからだと思われます。

 とすれば。

 息子に、暴力をふるわせない方法として、私が出来る事は以下の二つ。

 一つ目は、夫と極力、関わらない事。以前から関わらないようにしていましたが、今後は徹底して関わりません。平日夫が帰って来たら、食事を出すなどやるべき事をさっさとやって、すぐに自室にひきとります。週末、夫が家にいる時も同じで、基本的には自室で生活し、夫に何かしなくてはならない時だけ、ささっとやって、また自室へ。不用意に会話すると、そのどこかが夫の琴線にふれて不機嫌になられる恐れがあるので、会話も必要最小限に。無駄話は一切しません。

 本当は、夫が私に怒鳴るのをやめてくれたらいいのですが、彼にそれを望むのは無理です。不機嫌にならないで、と頼んだ瞬間に不機嫌になる人です。関わらない以外の対処方法はありません。喧嘩しているわけではないのです。ただ、身の安全の為に、関わらない、という選択です。

 二つ目は、息子が何らかの理由で、学校を休みたいと言ってきた時、私は「いいよ」と答える事にする、というもの。そこで私が「ダメだよ」と言えば、息子の中の不安感が膨れ上がって暴力になるからです。

 私は、「いいよ。休んでいいよ」と言う事にします。

 その上で、「息子が休みたいと言っているから、あなたから駄目だと言って下さい。私が言うと殴られるから」と、夫にメールします。ずるいようですが、これしか方法はないと思います。息子は夫が怖いので、夫から駄目だと言われたら、考えるはずです。私は自室に逃げておくか、何なら家から出ておきます。身の安全の為に。

 また、学校を休みたいと息子が言ってきた時は、必ず息子が荒れる事は間違いないので、あらかじめ、医師からもらっている頓服を飲ませます。今、エビリファイをもらっていますが、もっと即効性のある抗不安薬のほうがいいかもしれません。今度、医師に相談してみます。

 息子が学校を休みたいと言いだす時のパターンは決まっていて、①苦手な行事の日、②担任の先生が休む日、のいずれかです。本当に、このどちらかだけなのです。なので、大学になって行事ごとがなくなり、担任制でなくなったら、休むとは言わなくなるのではないかと思っています。

 あと一年。高校生活を乗り切ればいいのでは、と楽天的過ぎるかもしれませんが、そう考えています。

 前回の記事のあった日以降、息子の調子がいい時を選んで、なぜ学校に行かなくてはいけないか、なぜ行事の日や担任がいない日でも行かなくてはいけないか、そこを逃げる事で何が起こるのか、そこを頑張ることで何が起こるのか、を、折々で、丁寧に息子に話しています。

 私の希望的観測かもしれませんが、息子の理解は進んでいる実感があります。息子の口からは、「嫌なことがあっても頑張って学校に行くと、いい事もある」という言葉が出るようになりました。前回の記事の時も、翌日息子が頑張って登校してみたら、休む予定だった担任の先生が、熱が下がったということで、学校に来られており、息子としては「僕が頑張って登校したら、先生も来てくれてた」という、一種の成功体験として刷り込まれました。

 また、以前、こういう記事を書きました↓が、 

oinor-i.hatenablog.com

 ↑ここに出てくる内容の一部を、息子にも話しました。

 「あなたは、お母さんの事を、自分の持ち物だと思っているのではない?自分の持ち物だから、傷つけても構わないと思ってやしない?」と。息子は「そうかもしれない」と言いました。それで「お母さんは、物じゃなくて、人間なの。あなたが幸せな人生を歩む権利があるのと同じで、お母さんも幸せな人生を歩む権利があるの。あなたに傷つけられるのはおかしいの。あなたがどうしてもお母さんを傷つけるのを止められないなら、お母さんは、あなたから離れるしかないから。そこは分かってね」と言うと、息子は「分かった。お母さんは、物じゃない。傷つけてはいけない」と繰り返し言っていました。

 上の記事で出てくる発達障害児の方は、まだ幼いお子様で、世の中の理解も進んでいないご年齢なので、言葉で母子の同化を断ち切る事が不可能でした。ただ息子はもう高校生で、ある程度の言葉で理解が出来るのではないかと私は思っています。そこに一抹の期待をしているのですが、ポジティブ過ぎるでしょうか。ちょっと分かりません。言葉で同化が断ちきれなければ、家を出る選択を取るしかありません。

 

 いずれにしても。私が息子と、心の距離を置き始めた事で、息子は危機感を感じるようになりました。また、私が人間であり物ではない、という事も、言葉では理解できています。その上で、息子が暴力をふるうきっかけをことごとく止めました(夫とは関わらず、学校に行きたくないと言われた時に否定しない)。

 

 これで、うまく、息子の悪癖がなおればいいのですが。どうなることやら。とりあえず、今は平穏です。

 ただ、私は今、とても孤独です。私が孤独になることで、平穏が維持できるのかなと思ったりします。あと、油断しないということも大事。もう大丈夫だろう、もう息子の悪癖は治っただろう、と私が油断したら終わりだと思います。今回がそうでしたから。もう息子は大丈夫と私が油断して、痛い目に会いました。家の中でもずっと油断出来ないというのはしんどい事ですが、仕方ありません。